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席亭ブログ

2017年9月の席亭ブログ

  • 「昨日ね、大丸のエレベータで『これは障がい者とシニア専用ですよ』
    って店員に言われちゃったのよ」

    笑顔の2人は80代のご夫婦。
    見た目が特に若々しいのは確かだ。

    「私達がシニアじゃなければいったい誰がって話よね」

    青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ

    サミュエル・ウルマンの詩がうかぶ。

    店員はきっと心の若々しさを感じたのだろう。

  • その他

    お墓の引越し

    先週末、はじめてお墓の引越しを経験した。
    祖母父、曾祖父母の4人が眠るお墓を祖父が懇意にしていた近くのお寺の
    地下納骨堂に移したのだ。

    お墓の下には人が立てるほどの深さがあり、そして水が20cmほど
    溜まっていたのに驚いた。このお墓はつくって30年以上が経っている。
    どうしても湿気が侵入するという。
    骨壺に入ってるとはいえ、冷たかっただろう。

    祖父の骨壺を開けて確認する。愛用の眼鏡が懐かしかった。
    そして久しぶりに会えた気がして嬉しくなった。

    元気な祖父母の想い出は自分が学生の頃が中心だ。
    いくら高齢化が進んでいるとはいえ、自分が老いを意識しだす中年以降は、
    なかなか会える存在ではない。

    しかし自分が何歳になっても、想いだして語りかけることはできる。
    想い出の井戸があることは幸せだ。

    そんな井戸を掘ってエッセイを書いてみたくなった。

  • シニア

    脱敬老

    敬老の日に思う。

    子供の頃から、お年寄りは敬いなさいと教わって僕らは育った。
    しかし「敬う」の本質は教わらなかった。

    なぜそう言えるのか。

    それは「〇〇を敬いなさい」という教えそのものが「敬う」を
    理解していないからだ。敬うとは自発的なもので、強制されるものではない。

    敬老を教える際の例で「電車の中で席をゆずる」があった。
    だがここで教えるべき精神は「敬う」ではなく「思いやる」だ。

    シルバーシートに座っている元気なシニアが、体調の悪そうな若者に
    席をゆずってもいいし、シニア同士でゆずりあってもいい。
    大事なのは年齢関係なく思いやる心だ。

    「敬う」の本質から離れて「敬語」や「お辞儀」といった技術が
    広まった結果、それらは感情の伴わない自己防衛の道具となった。

    こうして「敬老」が「敬老しない社会」を創ってしまった。

    では僕らはこれからどうすればいいのか。

    「敬う」から始めないことだ。
    「敬う」をゴールの一つにすることだ。

    人が人と触れ合い、感情のやりとりが密になるに従って湧いてくる
    親しみや友情。その向こうに自然と生まれるのが「敬う」なのだ。

  • 昔に戻ると新しい。

    中村勘三郎の言葉だ。自分の忠臣蔵は、親父の前の台本を使っているのに
    新しいと言われるのが面白いと言っていた。

    そういえば、オープンカフェって20年ぐらい前から流行ったが、
    時代劇を見る限り江戸時代の茶店は皆オープンだった。

    哲学者ヘーゲルは「物事の発展は古いものが新たな価値とともに
    復活しながら起こる」(らせん階段的)と言っていた。

    これから「新しさ」を感じるネタは江戸時代に多くヒントがある。

    江戸時代は「老」が大事にされる社会だった。
    偉い人は「老中」「大老」と呼ばれた。

    そして「老後」とは言わず「老入(おいいれ)」と呼んで、
    「老」を終着点ではなく入口と捉えて前向きだった。

    現在、「老」が本当に尊ばれているとは言い難いが、
    これから「老」をポジティブに捉える、新しい価値観が
    どんどん生まれていくだろう。

  • その他

    懐かしいものがある幸せ

    夕方小雨がふるなか、近くの神社で開催の縁日に妻と突撃した。

    この近くで小学生3年生から中学2年生まで暮らしていたので、
    30年ぶりにまた同じ縁日にきている。

    焼き鳥屋台の後ろにテントが張ってあって、座って落ち着ける場所があった。

    狭いスペースに丸椅子2つ。雨があたらないように僕らは小さくなりながら
    買ってきたばかりのタコ焼きと焼き鳥をつまんだ。

    「お母さんにはないしょだよ。こういうところで買って食べるのに
    うるさいから」

    30数年前、親父が僕にこっそり渡してくれた500円札を想いだす。
    あの時の500円は、僕にとって大きなプレゼントだった。

    いつも母より厳しい父が、この時は味方になってくれたので、
    余計に覚えている。

    そんな話を妻としながら、ふとこんな言葉が自然と出た。

    「懐かしいものがあるって幸せなことだなぁ」