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席亭ブログ
2022年9月の席亭ブログ
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囲碁 教え方
子供のころ言われたこと。大人になって大事なこと。
囲碁では最初、「考えて」打つように教わる。
自分なりに考えて打って、失敗して、反省して成長する。
そのサイクルをまわす。上達して高段者になると、直感が磨かれ、
だんだん考えなくても打てるようになる。プロは考えなくてもほとんど打てる。
考えないで打てるからプロともいえる。「考えなさい」からスタートして、「考えなくても打てる」がゴールだ。
テニスでは最初、どこに力を入れるといい球が打てるか、練習を繰りかえす。
上達すると、今度は力を抜く技が必要になる。プロの試合を見ていると、
力の抜けた柔らかいショットが打てる人ほどランキングが高い。
力を入れる方向ではなく、力を抜く方向でレベルの差があらわれる。
「最初に教わったことの反対を意識するといい」
これは趣味やスポーツの話だけではない。
「ひとの言うことをよく聞きなさい」子供のころを思いだしてみると、僕は、学校でも家でもそう言われた。
うわの空で返事をしてさらに怒られた。
これが囲碁で「考える」、テニスで「力を入れて打つ」になる。
とすれば逆はどうなるか。「ひとの言うことを聞かない」
言うことを聞かないとは、条件反射で「はい」と反応しないということ。
よく考えずに相手の意見を鵜呑みにしないこと。とくに上司や目上の人、
そして「すごい人」の意見に要注意。
いつまでもひとの言うことをよく聞いていてはダメだ。
最初から耳を傾けないのも、コミュニケーションとして問題だ。
だからこうなる。「しっかり耳を傾け、そしてひとの言うことを聞かない」
「忘れちゃいけません。覚えておきなさい」子供の頃は覚えることが山ほどある。毎日がそのくりかえしだ。
大人になったいま、「忘れる」「覚える」はどうなるか。
「覚えたことを忘れる」
学校でも家庭でも教えてもらえないこと。それは、「忘れる方法」だ。
『暗記科目』という言葉はあるが、『忘却科目』という言葉はない。
大人になって成長するには、知識を蓄える子供の頃とは逆の動きが必要だ。
なぜ忘却が必要か。それは「気づく」ためだ。新しいことに気づくには、
最初にいれた知識を忘れることが必要だ。
いわゆるデトックス、新陳代謝の基本原理である。
「定石を/覚えて2目/弱くなり」囲碁の格言である。定石とは最初に覚える基本の打ち方のこと。
強くなるために定石を覚えると、なぜか弱くなる、という、逆説的な真実への
警鐘だ。定石を一生懸命覚えると、実際打つときにそれを思い出そうという意識が
強くなる。その場で考える、がおろそかになって弱くなるのだ。これから成長していくには、昔覚えたことを一旦意識の下にしまっておく、
ぐらいの「忘れる」が必要になる。
「忘れない程度に、忘れる」
これは、新しくさまざまなことに気づくための、大事な技術だ。
「ふざけちゃだめです」囲碁で陣地のことを「目」というが、無駄な目、つまりどちらの陣地でもない場所
のことを「駄目」という。
そこから「やっても甲斐のないこと」「してはいけないこと」の意味になった。ふざけるのが大好きな子供に、「ふざけちゃだめ」と言って基本動作を
しつけるのは当然だ。
そして大人になって必要なのはこうなる。
「まじめにふざける」
まわりをみてみよう。新しいアイデアは、まじめにふざけている人から、
毎日湧き出ている。
「まじめにふざける」とは、固定観念や先入観から解き放たれて自由に遊ぶこと。
実際に自分でやってみるとわかる。意外と難しい。20年ほど前、カジュアルフライデーという習慣ができた。
これは見事に定着しなかった。
まじめにふざけられなかったからだ。金曜だけ皆おなじ恰好になった。
スーツを着ていったら課長に怒られた。社会人として不快感を与えない限り自由、
が定義なはず。
が、スーツを着ない日、となった。「自由」が規定となったのである。
なんともおかしなことになった。コンセプトと現実があわず、自然と消滅した。
「効率よくやりなさい」これが正しいと教わって大人になった。だが社会に出てみると、
その逆にサービスの差別化ポイントが隠れていた。「非効率だけどやる」
非効率だがやらなければならないこと。そこに気づいた企業が強い企業だ。
280円均一で人気の焼き鳥チェーン「鳥貴族」。価格勝負の大衆店だ。
どこよりも効率重視のはずだが、一番手間のかかる串うちを各店舗でやっている。
味への強いこだわりで非効率に挑戦している。
なんでも初心者のとき、最初に教わることがある。上達したあとは、
最初に教わったことの反対に、成長の種が埋まっている。
成長に必要だったことは、成長したあとに一旦忘れて、反対を向いてみよう。
まじめに生きることが悪いわけではない。
だが、ずっとまじめに、言われたことを守っていると、成長がとまる。大人はそのことに、なかなか気づけない。