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席亭ブログ

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    旅の醍醐味

    それは道の奥にひっそりとたたずんでいた。

    よく来たね。今日はあなたたちが初めてだよ。
    そんな声が聞こえてきた。

    さきほどまでの曇り空は知らぬまにどこかにいって、
    ちょうど陽光が降り注いできたからかもしれない。

    湖南から近江八幡への道すがら、信号待ちの際に
    道ばたの小さな看板に目がとまった。

    ―国宝大笹原神社500m

    ん?国宝!?

    この2文字に目がない僕は慌ててハンドルを右にきった。

    ガイドブックは3冊、隅々まで目を通したが
    ここに国宝があるとの情報はない。

    半信半疑のまま、県道から脇道に車をゆっくり走らせる。
    ほどなく森の中に小さな駐車場があらわれた。車は1台もなかった。

    車を降りて鳥居をくぐった瞬間、つれが声をあげた。
    足先から「びびっと」きたらしい。
    説明をみると『須佐之男命』とある。厳しい神様だ。

    僕らは誰もいない境内にはいった。
    室町時代からたたずむ本殿は、囲いがあって近くまで寄れないが、
    欄間や側面にほどこされた彫刻の見事さを双眼鏡で楽しんだ。

    神聖さや絢爛豪華さ、荘厳さとも違う、
    いままで出会ったなかで一番静かで素朴な国宝だ。

    信号で止まらなければ生涯ここに来ることはなかっただろう。
    そんな幸運に出会えるのも旅の醍醐味の一つだ。


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    仏像に会いたい

    湖北の向源寺で国宝の十一面観音に向いあったとき、
    解説のお寺の方から伺った話が心に残った。

    この観音様は10年ほど前、東博に出品したが
    そのときは仏像ではなく、美術品にして出したという。

    えっ何が違うの?

    僕の疑問に丁寧に答えてくださった。

    仏像はお寺から出すことはできない。
    だから性根を抜いてから運び出す。

    性根を抜くとは仏像の魂を抜くことで、仏像にむかって
    お経を読む作法のようだ。それを経て仏像は美術品となり
    お寺を出られる。

    仏像のお顔や身体を掃除するときも
    性根抜きは欠かせないという。

    仏像は出来る限りそのお寺で会いたい。
    いままでその思いを強くもっていたが、
    一つの答えをもらった気がして嬉しくなった。

    僕は美術品ではなく仏像に会いたい。


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  • その他

    寅さんを訪ねて

    男はつらいよ第47作『拝啓 車寅次郎様』の舞台となった
    滋賀長浜にやってきた。

    寅さんの甥満男と菜穂さん(牧瀬里穂)が歩いた大通寺参道を歩き、
    名物の「焼鯖ソーメン」に舌鼓をうち黒壁エリアの散策を楽しんだ。

    天気はあいにくみぞれまじりの雨で、楽しみにしていた竹生島への
    クルーズも運行休止だったが、長浜のあとは湖北エリアのお寺巡り
    (向源寺、石道寺、鶏足寺、木之本地蔵院)を楽しんだ。

    年末のシーズンオフで荒天ということもあり、
    彫刻史上最高傑作といわれる向源寺の国宝十一面観音像をはじめ、
    四カ所どこも貸切状態で、係の人から30分つきっきりで
    説明を受ける幸運に恵まれた。


    寅さん

  • その他

    似たもの同士

    間もなく4回目の年男となる。そう、僕は戌年だ。

    しかし今までの人生、犬とは全くといって接点がなかった。
    苦手意識は特にないが、飼いたいとか、かわいいといった感情を
    もったことはなかった。

    今日、つれの姪っ子に自宅に招かれたらペットとして届いたばかりの
    生後3ヶ月の子犬がいた。トイプードルとマルチーズのハーフらしい。

    5歳の女の子に、だっこしてごらんと言われて、恐る恐る抱いてみる。
    慣れていないので不安定感抜群だ。

    「似たもの同士だね~」

    というつれの台詞に気の利いた返しをする余裕もない。

    しかししっぽをふりながら喜んでいる様子を見るうちに、
    かわいいなぁと素直に思った。

    動物のお腹をかかえると、当たり前だが鼓動や呼吸が手に伝わってくる。
    生き物と触れ合うのは久しぶりだが楽しくなってきた。

    2時間後、ケージの前に陣取り、子犬の一挙手一投足を
    じっと観察する僕がいた。


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  • その他

    よいお年を

    この挨拶をする機会が増えてきた。

    次に会うのは新年、という時だけ期間限定で登場する
    この言葉の響きは結構好きだ。

    発する自分も「よし、いい年を迎えるぞ」と気持ちが前向きになる。

    そういえば今年の元旦、実家でのことを思い出した。
    4歳になったばかりの姪っ子を隣家に挨拶に連れていった時、
    彼女は堂々と挨拶をした。

    「よいお年を!」

    そのあとに省略されている言葉まで教わらなかったのだろう。
    思わぬ視点に周囲の顔がほころんだ。