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席亭ブログ
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その他
進化するお墓
何十年も前に両親が八王子に購入したお墓を、都心型に引越しした。
そのお墓にはまだ誰もはいっていない。
お彼岸ということもあり、お墓参りの人で建物内は混雑していた。
ICカードをかざして待つこと1分。
空いているブースが自分の家のお墓となる。
お墓なんて興味ないといいながらも法曹界にいた父は、
永代供養の法的意味や50年後のビル耐用年数後の権利関係など質問していた。
こうしたタイプのものが世に出てまだ10数年だが、
今日購入したところは、7,000家族のお墓を収容する能力があり、
既に2/3は販売済という。
年間使用料も50年分前払いした。50年後、僕は97歳。
その頃のことを母は色々と心配していた。
弟がひとこと。
「大丈夫。その頃は母さんもう口だせないから」
笑いがおこった。
つい20年前、いまの様相は考えられなかった。
進化するお墓は、50年後はどんな状態になっているだろう。 -
その他
お墓の引越し
先週末、はじめてお墓の引越しを経験した。
祖母父、曾祖父母の4人が眠るお墓を祖父が懇意にしていた近くのお寺の
地下納骨堂に移したのだ。
お墓の下には人が立てるほどの深さがあり、そして水が20cmほど
溜まっていたのに驚いた。このお墓はつくって30年以上が経っている。
どうしても湿気が侵入するという。
骨壺に入ってるとはいえ、冷たかっただろう。
祖父の骨壺を開けて確認する。愛用の眼鏡が懐かしかった。
そして久しぶりに会えた気がして嬉しくなった。
元気な祖父母の想い出は自分が学生の頃が中心だ。
いくら高齢化が進んでいるとはいえ、自分が老いを意識しだす中年以降は、
なかなか会える存在ではない。
しかし自分が何歳になっても、想いだして語りかけることはできる。
想い出の井戸があることは幸せだ。
そんな井戸を掘ってエッセイを書いてみたくなった。 -
その他
懐かしいものがある幸せ
夕方小雨がふるなか、近くの神社で開催の縁日に妻と突撃した。
この近くで小学生3年生から中学2年生まで暮らしていたので、
30年ぶりにまた同じ縁日にきている。
焼き鳥屋台の後ろにテントが張ってあって、座って落ち着ける場所があった。
狭いスペースに丸椅子2つ。雨があたらないように僕らは小さくなりながら
買ってきたばかりのタコ焼きと焼き鳥をつまんだ。
「お母さんにはないしょだよ。こういうところで買って食べるのに
うるさいから」
30数年前、親父が僕にこっそり渡してくれた500円札を想いだす。
あの時の500円は、僕にとって大きなプレゼントだった。
いつも母より厳しい父が、この時は味方になってくれたので、
余計に覚えている。
そんな話を妻としながら、ふとこんな言葉が自然と出た。
「懐かしいものがあるって幸せなことだなぁ」 -
その他
ドッジボール
ある時2人のシニアと話をしていて、言っていることが同じなのに
伝わり方が違うことに気がついた。
何が違うのだろうか。
それはキャッチボールとドッジボールだ。
相手が取りやすい玉を投げるのか、
それとも、
相手に当てることだけ考えて投げるのか。
悲しいことに、歳をとればとるほど後者の割合が高くなる。
後者とは、自分はキャッチボールをしているつもりでも、
「何を話すか」に夢中になっていて
「相手が何に興味を持つか」にまで気が回っていない人のこと。
そういう自分も、話すのが大好きで、ふと気づくと発信に意識の
ほとんどがいってしまい、慌てることも多い。
ある人のアドバイスをうけて、講演のときは、自分が話す言葉を
漫画の吹き出しのごとき風船と考えて、それを一人ひとりに
手で届ける気持ちで話すようにしている。
それはキャッチボールというよりボール配り。それぐらいの意識で
丁度いいということなんだろう。 -
その他
未確認歩行物体
先日、夜遅くに自宅そばのファミレスで打合せをしていたら
携帯に妻からメールがきた。
「いま目の前の電線を、2匹のイタチ?が歩いていた!」
寝ぼけるにはまだ早い時間だ。
ここは東京の中野。新宿まで歩いて20分。大通りの青梅街道から
ほんの50m入ったところにある。16年住んでいるが、犬猫以外の
歩行動物に会ったこともなければ、近所で出没情報も聞いたことがない。
しかもベランダは地上4F。目の前の電線といってもかなりの高さで、
それも細い。
「あれはぜったい猫じゃないわ。顔が違ったもの。スマホで撮ろうにも
一瞬だったから残念!」
翌朝、興奮さめやらぬ口調で主張する。検索したのだろう。
都会の電線の上を歩いているハクビシンの写真も「準証拠」として
送られてきた。
本当にあの夜、2匹が電線を歩いていたのだろうか。
どこに住んでいて、どこに向かっていったのだろうか。
最近夜、ベランダに出る楽しみが増えたのは確かだ。