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席亭ブログ
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その他
成長のあかし
「よし、今日から心をいれかえよう」
こんな日が僕には1年に3日ある。
元旦と4月1日と誕生日だ。すでに今年、最初の2つは失敗したが、
最後の砦として3つ目はいまのところ順調だ。右手首の腱鞘炎を診てもらいに手専門の整形外科を訪ねた。
びっくりするぐらい混んでいて、たっぷり3時間待った。
恐らく人生で最長不倒の待ち時間だが、
不思議なほどいらいらしなかった。「これはこのあといいことがある前兆だ」
そんな気持ちでゆっくり思索にふけった。
帰り道は、ステロイドの注射が利いてきたのもあって
待ったことも忘れ、ルンルン気分だった。あと今日から始まる予定の建築現場に行ったら、誰もいなかった。
「あれ、予定が変わるなら言ってくれても」
と愚痴をこぼしたくなるところだが、48歳になった僕は、
「隣人に工事が始まる前に挨拶が出来てよかった」
とほっとした。
そして、つれからのプレゼントには、心から感謝した。
頭の中だけでなく、外も成長させていこう。 -
その他
写真の定義
なんとなく気づいていたけど、ようやくはっきりした。
これからは、紙にプリントしたものだけを「写真」と呼ぶことにしよう。
ではネット上のアルバムや、パソコンや携帯にはいっている
膨大な“画像”は何と呼べばいいのか。
あれは、「写真データ」だ。
「いつかプリントするかもしれない、たぶんしない写真」でもいい。
すこし長いか。
ここ数年、めっきり「紙」にすることがなくなった写真を、
ひさしぶりにまとめて1枚紙にしてプレゼントした。
先日実家に帰ったとき、それが額にはいっているのを見つけた。
「これこの前送ってもらった写真だ。こうしてかざっている。ありがとう」
想定外の待遇に、ビックカメラでつくった1枚紙も驚いただろう。
晴れて「写真」となった写真データが、親父の机で輝いていた。
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その他
風を見たい
これから建てる家のカーテンを検討中だ。
電動シャッターをつけるので一瞬いらないかと思ったが、
ある広告文に目がとまった。
「風が見える」
そうだった、そうだった。
光と視線をさえぎる。もう一つ、大事な役割を忘れていた。
そういえば最近見なくなった風鈴だとこうなるか。
「風が聞こえる」
欲張りな僕は、風を見たい。
そして、風を聞きたい。
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その他
小さいな~
ここ数年、人間ドックで身長を測るときに
あごをひくのをやめた。
数ミリとはいえ、少しずつ縮んでいるのを
ごまかそうという魂胆だ。
そういう「小さい」自分は、恒例の背比べのときにも
自然と出てしまう。
アメリカのサンディエゴからくる17歳の姪は
既に173cmを超えた。
すまし顔でバレリーナのごとく爪先立つと
さすがの(なにが「さすが」かわからないが)
アンクル明もあぶない。
こっそり僕も、と背伸びしたところ、
「おじさん、だめー」
と5歳の姪に見つかった。
なんで僕だけ?
小さい自分が、さらに小さくなった瞬間だった。
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その他
とりあえず歩く
映りが悪くなったら斜め上から叩くといい。
テレビの話だが、遠い昔の記憶に何度かある。
説明書には書いてない原始的な方法ながら、一般に広まっていた。
そういえば最近は壊れなくなったからか
テレビを叩く人を見なくなった。
「なぜか効果のある単純行為」が、
身の回りから消えつつあるのは少し残念だ。
ここで一つ提案しよう。
新しいアイデアがどうしても浮かばないとき。
何かにいきづまったとき。
悩みがあるとき。
こんなときはどうするか。
スマホを手にとってはいけない。
パソコンも閉じよう。
椅子に座って腕組をしている場合じゃない。
とりあえず歩く、がいい。
何も考えず、何も期待せず、ただ歩く。
めぐりが悪くなった血が動き出し、
頭の中の映りがよくなるだろう。