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席亭ブログ

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    絵になる風景

    僕が感じたこの感動は、それを僕が表現しなければ
    ほかの誰も感じることができないのです。

     

    片岡鶴太郎の言葉を思い出した。

     

    彼は40歳近くで初めて筆を握ったそうだが、
    きっかけは牡丹の美しさに魅せられたからだという。

     

    GW初日、根津美術館で尾形光琳の『燕子花図屏風』に会った。

     

    300年前に光琳が何を感じたのか、背景をいっさいはぶいた
    迫力ある大きな屏風を通じて伝わってきた。

     

    毎年この期間に公開しているのには理由がありそうだ。
    美術館の広い庭の一角で燕子花が見ごろを迎えていた。

     

    この燕子花を描いたのか。一瞬そう思わせる力がある、
    文字通り「絵になる風景」だった。


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  • その他

    およげないたいやきくん

    阿佐ヶ谷の商店街を散歩していると
    ふと目に留まったものがあった。

     

    『たいやきの開き』

     

    ?!

     

    意味が一瞬わからなかった。

     

    開いてどうするんだ~。
    頭の中でつっこみの声がひびく。

     

    たいやきの皮がすきなあなたへ。

     

    その言葉ですこし納得した。
    たしかにけっこう好きかもしれない。
    ただ、ちょっとかわいそうになってしまった。

     

    いきものじゃないのに。


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  • その他

    経年進化

    ハウスメーカーの人から日々、気密性、断熱性、遮音性といった
    普段耳にしない言葉で営業をされている。

     

    気づくと「性能」で家を比べ始める自分がいる。
    あぶない。あぶない。

     

    20年前、いや、10年前と比べても、見たことのない機能が
    登場しているので目がひかれる。

     

    だがそれは、10年後、20年後も、
    また新しい機能が登場するということだ。

     

    いま最新であるものに目を奪われるのは、
    将来新たに登場するものが羨ましくなるということだ。

     

    そんな繰り返しの輪の中には入りたくない。

     

    いつまでたっても古くならないもの。
    いや、古くなっても、それがむしろ嬉しくなるようなもの。

     

    経年劣化する「性能」ではなく、
    経年進化する「質」に目をむけて選びたい。

  • その他

    tea or coffee?

    「美味しいコーヒーで素敵なティータイムを」

     

    中野駅前の看板にふと目がとまった。

     

    そうか。コーヒーよりティーのほうが守備範囲が広いのか。

     

    「美味しいティーで素敵なコーヒータイムを」
    にはならなさそうだ。

     

    たしかに「お茶しない?」といって
    本当にお茶を頼む人はあまりいない。
    お茶やティーという言葉は、固有から一般までをカバーしている。

     

    では本当にティー>コーヒーなのか。
    コーヒー派の僕は、もう少し考えてみた。

     

    「コーヒーブレイク」という言葉がある。

     

    ティータイムと同じように使われることもあるが、
    その意味での登場頻度はティーよりすくない。

     

    だが、飲み物や喫茶から離れて、「ちょっとひといき」といった
    エッセイやコラムの名称にも使われるときは
    俄然コーヒーに軍配があがる。

     

    生活における守備範囲の広さでいえば、
    ティーとコーヒーは互角。

     

    というのが、
    今日のティータイムで出した
    コーヒーブレイクな結論だ。

  • その他

    時のごちそう

    『坐忘』:静坐し現前の世界を忘れる。

     

    一昨日訪れた笛吹川沿いの宿は、仏教用語から素敵な名前をつけていた。
    心地よい和の設えで至福のひとときを楽しんだ。

     

    広いラウンジが素晴らしかったな。
    朝食が美味しかったな。
    いい湯だったな。

     

    いまも余韻が残る。

     

    だがこれらは時とともに薄れていくだろう。
    ほかの宿の記憶に上書きされることもあるだろう。

     

    いっぽう、義理の両親に予想以上に喜んでもらえたことは、
    時とともに記憶が濃くなっていく予感がする。

     

    「時のごちそう」

     

    とはこういうことなのかもしれない。