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石音インストラクターブログ

つい最近、2015年度のノーベル賞受賞者が発表され、医学・生理学賞に大村氏、
物理学賞に梶田氏が選ばれました。お二人の功績がどれほど凄いのか、私には到底
理解することはできませんが、大村氏の研究は、全世界数億人の命を救ったと言います。
なるほど数億人の命を救ったのであれば当然の受賞だな、と私も納得しました。

ちょっと気が早いですが、来年のノーベル賞が今から楽しみで仕方がないのであります。

何故かって?

それは、私がとんでもない世紀の大発見をしてしまったからです!
その発見は、数億人の命とは言わないまでも、数 億人の悩みを解消する
画期的なものなのです。あっ、すいません。数億人はかなりサバを読んでしまいました。
数千万人に訂正します。

私の大発見とは・・・
「碁が強くなる呪文」 を見つけてしまったのです。
ん?疑っていますよね。そこの人たち。
そんなものがあるわけない。と、思ったでしょ?

断言します。「囲碁が強くなる呪文はありま~す♡」
私は何度も呪文を教室で使って、再現実験に成功していますから、安心してください。

この呪文を発見した経緯を少し説明しましょう。
ゴルフ場で・・・あ、いや自宅で、微生物から・・・ではなく息子から発見いたしました。
息子と13路盤で対局中 で の出来事、息子がある言葉を発すると、私の予想をはるかに
上回る手がドンドン出てきたのです。

息子とはほぼ毎日打っていますから、大体の手は予測がつきます。
しかし、その言葉を唱えた後の着手は、明らかに彼の能力を超えたものだったのです。
その言葉が囲碁が強くなる魔法の言葉、つまり呪文だったのです。

前置きはこのくらいにして、皆さんには特別、その呪文をお教えしましょう。

その呪文とは・・・
「もうちょっとイイ手ないかな~」 です。

これを唱えて着手をすれば、囲碁が強くなります。
ポイントは純粋な心でちゃんと口に出して唱えることです。
そうしないと効果はありません。何せ呪文です ので。

私の実験でも、大人より子供に効果があったので間違いありません^^
もう一つ注意点として、囲碁が強くなる呪文であって、勝つための呪文ではございません。
何故なら、この呪文を唱えた瞬間、相手にも魔法がかかってしまうからです。
その点をご理解ください。

とまあ、ここまでは半分冗談でしたが、ここからは本気で呪文の謎を説明しましょう。
この呪文はなぜ効果があるのか、理論的に説明すれば、猜疑心の塊のような
そこのあなたも、明日からは呪文を唱え続けるでしょう。
それでは、ひとつずつ説明します。

棋力を計るバロメーターに、盤面をみる視野の広さ、というものがあります。
ある着手をす る場合、どこまでの広さを意識して打たれているか、が視野の広さです。
どちらかというと、見ているというより感じているに近いでしょうか。
この視野の広さの差が、棋力の差と比例しています。

私の経験では、囲碁覚えたての入門者なら碁盤の1、2マス程度の視野です。
10級前後で3×3マス程度、初段前後で5×5程度
高段者で盤の4分の1程度、全局を見渡せて打てればプロ級、という感じです。

個人差と局面にもよると思いますが、大体イメージはそんな感じです。
つまり、囲碁が上達するにつれて、碁盤を見る視野が広がっていくわけです。
逆を言えば、視野を広げる練習をすることで、自ずと碁が上達することになります。

そこで有効なのが例の呪文です。
「もうちょっとイイ手ないかな~」 と唱えることで、脳に直接命令を送り、
強制的に視野を広げることが可能となります。
そうすると、今までは出てこなかった着想が浮かびやすくなるわけです。

ほかに、強制的に視野を広げるテクニックとして、姿勢を正す、というのもあります。
姿勢を正すことは、作法としてだけでなく、技術向上にも重要な役割を果たしています。

もう一つ呪文が優れている点を指摘しておきます。
碁の上達は一歩一歩の積み重ねです。2段跳び3段跳びで強くなる事はありません。
山で例えるなら、麓にいる人がいきなり頂上には行けないということです。
一歩一歩進むことで、少しずつ頂上に近づくわけです。

碁で言えば、10級の人がいきなり初段にはなれませんよね。
10級の人はちょっとイイ手を探して9級になり、もうちょっとイイ手を探して
8級になって、そうやって上達するわけです。
したがって、10級の人に初段レベルの手を教えても意味がありません。
10級の人には、少し上のレベルの手が一番為になります。
つまり、棋力に応じて為になる手は変わるのです。

これは指導者にとって、重要なポイントです。
強くても教えるのが下手な人は、大抵自分のレベルの手を初心者とかに教えています。
少しだけ上の手を示してあげるのが良い教え方となるわけですが、そんな技術は
教える訓練を相当積まないと普通はできません。
ですので、10級の人にとって一番良い先生は、実は8級程度の人なのです。

ちょっと棋力が上の人の手なら、理解もできるし、対局もしやすいですから最高です。
碁敵がいると自然と強くなる のも、気持ちの張り合いだけでなく、そういった
技術的効果もあるからです。
10級の人だって、12級の人にとっては良い先生なのです。
この理論がわかれば、だれでも碁の先生になれることが理解できるでしょう。

そこでもう一度、例の呪文を思い出してください。
「もうちょっとイイ手ないかな~」
最善手を求めるのではなく、もうちょっとイイ手が効果的なのでした。

最後に補足ですが、最善手を求めようとすると、どうしても「無理」という感情が
心のどこかに生まれてしまいます。
しかし、もうちょっとイイ手なら何だかできそうに思いませんか?

無理と思えば無理ですし、できると思えばできる 。

魔法の言葉とは、そういうものです。

2015/10/16

囲碁, 関兵馬インストラクター

兵馬の気づき 『兵馬の㊙マルチ大作戦!』

ここだけの話ですが、最近私はいい作戦を思いつきました。
この作戦が上手くいけば、皆さんボロ儲けであります。

念のため釘を刺しておきますが、決して他言はしないでくださいね。
何せ作戦名は「㊙マルチ大作戦!」ですので・・・。
私が言うのも何ですが、とてもとても怪しい作戦ですので、
突っ込みはご遠慮ください。それでは3回目のコラム、スタートです。

長年、私は囲碁を教えることを生業としてきました。微力ではありますが、
囲碁普及に貢献してきた自負もあります。

しかし、如何せん個人で普及するには限界があると、最近しみじみ感じています。
初心者をゼロか ら教えるには、指導者がほぼ付きっ切りで数か月はかかります。
初級者や中級者も受け入れてくれる場所が少ないため、放置しているとすぐに
碁から離れてしまいます。なので、初級者・中級者もケアする必要があります。
上級者になってやっと、色々なコミニュティに参加できるようになり、
独り立ちして卒業です。

この作業を囲碁講師1人でしていては、量・質ともに限界があります。
講師数人で担当を決めてやれば質の向上はあるでしょうが、
それでもトータル量はそれほど差は生じないでしょう。

そこで私が考えついたのが 「㊙マルチ大作戦!」 なんです。

簡単にこの作戦を説明すると 「囲碁を教える人を育てる」 というもの 。
そう聞くと、囲碁インストラクターを育てるのと思った方もいるかもしれませんが、
それほど大げさなものではありません。

私が目指すところは 「すべての碁打ちが囲碁を普及できる人」
にしちゃうことです。つまり、上級有段者はもちろん初級者までもが、
入門指導ができるようになることです。
もしこれが実現すれば、爆発的に囲碁普及が進むはずです。

しかし、この作戦には2つの問題点があります。
1、囲碁を教えるための技術が浸透していないこと。
2、初級・中級者が教えることを上級以上の人が馬鹿にする風潮があること。
(これは教えることに限らず、囲碁会全体にある悪しき風潮。普及が進まない根源)

この2つの問題点を当コラムで少しずつ解決していこうかな、と思っています。
教える方法をしっかり理解するためには、まず上達が如何にして起きるか、
を知る必要があります。

したがって、順序としては上達法を踏まえた上で、指導方法を紹介したいと
考えています。自分だけ強くなりたい人は、上達法だけ読んでも構いません。
ただし、有力な上達法に「人に教える」というものがありまして
あなたはすでに私の術中であることを、先にお知らせしておきます。

さて、もし私の生徒さんがすべて囲碁普及者になったら、どうなるか?
皆さん想像してみてください。

1、私の生徒さん1人1人が入門者を育てる。
2、その入門者を中級・上級の生徒さんが初級レベルまでは育てる。
3、初級レベルに達した新生徒さんは、新たに入門者を勧誘する。
4、私はたまに見回りテキトーなことを言う。
5、生徒さんが新たな生徒さんを呼び、私はニコニコしているだけでボロ儲け。

これが「兵馬の㊙マルチ大作戦!」 の全貌です。
もう一度断っておきますが、決して他言はしないでください。
㊙の意味をご理解ください。

ちなみに私だけが得しているように見えますが、それは大いなる勘違いです。
この作戦が進めば、囲碁会分布図(そんなのあるのか?)が変わります。
初級・中級者の全体に占める割合が増えますから、現行の上級者 以上が多い
分布図が逆転します。つまり、初級・中級者が囲碁会の中心になるわけです。

つまり、この作戦は、囲碁が弱くていつもイジメられている初級・中級者が
自由を勝ち取るための、言うなれば「囲碁会革命」です。
あ、上級者以上の方に得がない? そんなことはありませんよ。
上級者以上の方も自分が教えることで、特権階級になれるわけです。
つまり、皆さんにとって良いことだらけの作戦なんです。
そこをご理解ください。

この宇宙コロニーよりも壮大な作戦の手始めが、当コラムです。
今回で3回目となりますが、まだ前回までの話を読んでいない方は
今すぐ読んで頂きたい。
作戦はもう始まっていますので、少し出遅れていますがまだまだ間に合います。
また、もう読んだという方も、今回の内容を踏まえた上で、
もう一度読み直してみましょう。
作戦遂行には意思統一が大事ですので、そこをよくご理解ください。

それでは、今回はここまで。
次回は世紀の大発見 「囲碁が強くなる呪文」 のお話をします。

2015/10/03

囲碁, 関兵馬インストラクター

兵馬の気づき 『全自動洗濯機』

我が家にドラム式の全自動洗濯機が登場したのは、今から10年ほど前。
洗濯から乾燥までをボタン1つで可能にしたその機械は、我が家に家事革命を起こしました。

新婚当初、国道246号近くのマンションに住んでいました。車の排気ガスのため、
洗濯物を部屋干しせざるを得なかったのですが、どうしてもあのナマ乾きの臭いが
気になって仕方がなかったんです。

そこに登場したのが、ドラム式全自動洗濯機の「ぜんじ」さんです。
「善二」さんは毎日昼夜を問わずしっかり働き、我が家から「ナマ乾き」なる単語が消えました。
現在は2号機「善次」さんが活躍中。
彼氏の良いところは、私の言ったことを忠実におこなってくれるところです。
何せ私の命令に背いたことは、今まで一度もありませんから。
掃除機は数年前に「ルンバ」君なる輩が登場し、勝手に動き回る彼氏は、
私を部屋の隅にあっという間に追い込んで来ます。
今ではルンバ先生のために、床掃除をしている私です。
我が家で私の言うことをきいてくれるのは、もう「善次」さんだけです。。。
(哀(たまに大きな独り言をいってますが)

さて、私の話はそのくらいにして、囲碁の話に戻りましょう。
前回は「攻めの大事さ」についてお話しました。

簡単におさらいすると、攻めることで着手の選択権を保持し、自らの選択から
実体験を積むことで碁の理解が進む、という内容でした。
逆に、相手の着手に受けてばかり(守ってばかり)では、自分で着手を選んでいないので
学習効果が薄い。昔なら「気合が悪い!」と着手の善悪を超えて根性論的に
指導していましたが、あれは正解だったんです。
たぶん昔の人は、経験的に学ぶ姿勢を理解していたんでしょうね。

選択権を保持することの大事さは、普段の教室でもよく指導しています。
「盤上は好きなもの買っていいよ~状態です。どんどんお買い物してちょうだい。」
「お友達の買い物に付き合って、ついで買いしちゃダメですよ。ちゃんと選んでくださいね。」
などと言って、ご婦人方に説明しています。
自由を手にした生徒さん達は、皆さん楽しそうに対局しています。

そんな中、ひとりのご婦人が
「好きなもの選んでいいと言われても、何を選んで良いか困る。」
と言ってきたのです。正直私はビックリしました。
普段の生活にあまり選択権のない私は、選択権=幸せ だと勝手に思っていたからです。
しかし実際は、選択権があるがゆえに迷いが生じ、決断に困ってしまうというわけです。
う~ん、贅沢な悩みです。

選択権があると、幸せに感じるときと逆に負担に感じるとき、確かにありますね。
たとえば食べ放題飲み放題などで、好きなものを好きなだけ選べるときは幸せに感じます。

しかし、仕事や進路などで選択権から決断を下すときは、言いようのない不安に襲われます。
選択権と言っても、この両者には大きな違いがあるわけです。
それは、物事の重要度の違いでしょうか? 答えは NO です。
なぜなら、あまり重要でもない?趣味の囲碁でも、両者の違いが存在するからです。
ある人は選択の自由を楽しみ、ある人は選択自体を負担に思っている。

これは面白い発見です。
選択には、幸せに感じる選択と負担に感じる選択の2種類がある というわけです。
この両者には一体どんな違いがあるのでしょうか。

それは、「選択に結果を求めるか否か」だと私は思っています。

結果を求めれば、選択権があることの幸せよりも、決断に迫られる不安の方が大きくなります。
対して、結果を求めなければ、決断は負担とはならず、選べる幸福感が支配するでしょう。

囲碁でも結果を気にし過ぎると、対局が、一手一手が負担になります。
楽しいはずの対局が苦しく感じている方は、もしかすると結果を追い求め過ぎているのかも?
重症になると、選択権自体を放棄してしまいます。
ある者は敵の従者になり、またある者は本や上手(うわて)のいうことを
盲信するようになります。自分で考えることを止めちゃうわけです。
良い手とか悪い手だとかにガンジガラメになって。。。

そんなの「全自動選択機」じゃないかい!  
※はい。このセリフが言いたかったです。

私の結論を言いましょう。

結果はどうでもエエから、さっさと選べい!  (子供みたいに)
それで碁がもっと楽しくなるし、自分で選択した手なら善悪はともあれ
体験的に学習できるから上達も早いよ。 (子供みたいに)

どうせなら幸せな選択にしようよ。選択自体を選択できるのだから。
 注:「幸せな選択のススメ 」 関兵馬著(予定は未定)

結果を気にし過ぎて疲れている方に、私からひと言だけ

「善は二の次。善は二の次。」

 

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