石音インストラクターブログ

2017/01/04

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記~台湾編その10~

皆さんこんにちは。
ついに最終章を迎えることになりました。

思えばこれまで長い道のりでした。
旅行に行った時間(24×5)くらいかかっていますよ、この旅行記。
それもまたいい思い出です。

皆さん、今後とも長谷インのグローバル囲碁旅行記をご期待ください。


台湾編その10「成長の証」

旅行4日目、時刻は21時45分。
長谷インはすべての終わりを悟っていた。
そう、最終バスを乗り過ごしてしまったのだ。

「・・・・・・。」
もう体力も尽き、精神力もなく、ただ茫然とするばかり。
無心のまま上へ向かって歩き出す。

(しょうがないから今から旅館に飛びこむか、イートインスペースで夜を明かすか、
Gさん達と仲良く一夜を過ごそうか。)

言葉が通じないのに、どうやって交渉しようか。
かといって外で寝たら、野犬やGの餌食になって死ぬかもしれない。
イートインに入り浸ったら、店員さんに追い払われないだろうか。

そもそも一番の懸念は明日の飛行機の時間です。
明日の16時頃の予定だから、まあ間に合うことは間に合います。
しかし、明日は故宮博物館を見に行こうと思っていたのに・・・。

限界まで追い詰められながらも、まだその意欲を失っていません。
それ以前になぜ上を目指して歩いているのか?
実は50メートル先にもバス停があるのです。

(ダメ元でとりあえず確認しに行こう。)

まあダメでしょうね、それはわかっています。
それでも確かめずにはいられない。
この世にはきっと猫バスが走っていることを・・・!

「うっ・・・。」
「あの光は・・・?」
「まっ、まさか・・・!?」

そう、目の前のカーブから一台のバスがやってきました。
何という僥倖、何という奇跡・・・!
しかし、現実はそう甘くありませんでした。

「あ、行き先が違う・・・。」
そうです。
皆さんお忘れかもしれませんが、台湾では「〇〇(番号)」となっている
バスの行先を見るわけです。
(※旅行記3参照。)

そんな都合よく奇跡は起こりません。
この世には神もトトロも存在しません。
そう悟りつつも諦めきれずに歩いていた、まさにそのとき・・・。

「うっ・・・。」
「あの光は・・・?」
「まっ、まさか・・・!?」

そう、目の前のカーブから一台のバスがやってきました。
何という僥倖、何という奇跡・・・!
そして今度こそ、それは本当の奇跡だったのです。

「あれは、忠孝復興行きのバスじゃないか!」

なりふり構わず、必死に手を上げました。
バスはもうバス停を出発してカーブに差し掛かっているところです。
ただでさえ、バス停で手を上げないと止まってくれないのに、
道の真ん中じゃあ・・・。

プシュー。
ウィーン。

今、奇跡の扉が開きました。
猫バスはあったんだ、トトロはいたんだ!
乗りこみながら必死に悠遊カードをタッチして席に座りました。

運転手さん、ありがとう。
トトロはあなただったんだ!

もうズタボロの身体で、すべての気力は潰えても感謝の気持ちは
自然と溢れてきます。

「まだ、まだ油断できない。」
「ここで寝てしまっては、寝過して元の木阿弥だ・・・!」

ここで寝落ちできないのは結構きついですよ。
まあ、疲れすぎてて眠気もそんなになかったわけですが。

忠孝復興まで九?から一時間半かかります。
無事に帰路に着くことができるかどうか。

「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「ここか、いやここじゃないのか?」

また今どこなのか、わからなくなりました。
もう思考力はまったく残っていません。

「うう、ここは街だしみんな降りてる。」
「ここは・・・見覚えがない、どうする?!」
「ええい、やあ!」

決意の降車。
はたして長谷インの運命は・・・!?

「・・・・・・。」
「およ?」
「ここは、ゲストハウスの真ん前だ。」

そう、そこはまさにホーム。
懐かしい宿の目の前でした。

4日目の朝、ここを出てからどれくらい時間が経ったのだろう。
丸一日?・・・いや、違う。
おそらく一ヶ月、いやそれ以上かもしれない。
もののけが跋扈する九?の地へ赴いたあげく、辛くも生還することが
できました。

もう初日?4日目まで死ぬほど歩きました。
しかも無駄に。
無駄こそが人生かもしれません。
人生でこれほど不毛な道のりを歩いたことはありません。

しかしこれで良いのです。
馬鹿なんだから。
「これでいいのだ!」
バカボンボン。

さて、最終日5日目になりました。
昨日までとはうって変わり、すがすがしい朝です。
心が晴れ晴れとしています。

最終日は故宮博物館に行って、そこから空港に向かい日本へ帰ります。
昼までは荷物を預けておけるみたいですが、もう帰ってくる意味もないので
そのまま宿を出ます。正直、荷物を置いてくればよかったと後悔しています。
また毎度の如く、帰国直前まで死ぬほど迷うことになりましたから。

故宮博物館については割愛しましょう。
長谷インには芸術、文化を理解する目がなかったようです。
行く途中でまた軽く迷子になったり、バスの運転手のおじさんに助けられたりと
そこら辺は相変わらずでした。

問題は空港までの道のりです。
故宮を見学しているときに、うっかり携帯を落としました。そしたら何と
バグってしまい、本来の表示より5時間10分も早くなってしまったのです。

もう見学しながら通常の表示ではないので、気が気ではありません。
係の人に「What time?」と聞くも、なかなか通じず正確な時間が
わかりません。仕方がないので、余裕を持って博物館を出ました。

しばらくすると「あ、PCの時間を見ればよかった」
なんて初歩的なことに気づく始末。
しかし台湾最後の地獄はまだこれからでした。

まず忠孝復興に戻って、それからバスで空港を目指す予定です。
しかし乗り換えを誤って「南京復興」で降りてしまい、貴重な時間を
ロスしてしまいます。さらに忠孝復興で桃園空港行きのバスを探しますが、
まったく見つかりません。

正直、迷える余地がないほど限られた場所の中で、どうしても見つけることが
できません。ネットで旅行者のブログを調べて、そこに載ってあるチケット
売り場にもバス乗り場にもいつまで経っても辿り着かないのです。
搭乗の時刻は刻一刻と迫っています。
ここで乗り遅れたら、九?に取り残される比ではない大失態です。

もう泣きそうになりながら歩き回り、恥も外聞も捨てて道行く人に桃園行の
バス停を尋ねました。

道行く方々「******?」

そう、英語も中国語も発音が悪くて伝わりません。
皆さん一様にわからないと言うばかりです。

もう本当に間に合わなくなります。
どうしようもないので、旅行代理店っぽいところに駆けこんで店員さんに
最後の望みを託しました。

長谷イン「******」
店員さん「******」

もはや自分が何を言っているのか分かりません。
何とか英語と中国語で、紙を示しながら必死にここに行きたいと伝えました。
そしたら“超”流暢な英語で店員さんが対応してくれます。
流暢すぎて長谷インにはとても聞き取れません。
しばらく待っているように言われ、その後外へ案内してくれました。

ウィーン。(コンビニ)

長谷イン「??????」
店員さん「******」
年配の女性「******」

そう、この女性こそチケット売りのおばちゃんだったのです。
バス停はすぐそこにありました。
もう店員さん(背が高い、イケメン)には感謝の言葉もありません。
本当にお礼を言う前に颯爽と去ってしまったので、また代理店に
駆けこんでお礼を伝えました。

店員さんが対応してくれているときは、ちゃんと伝わったかどうかも
含めていろいろ不安でした。もう本当に追い詰められている日本人旅行者に
対して、まさに神対応をしてくれました。

ここで長谷インのアホさ加減をもう一度確認しておきましょう。

?忠孝復興のバス停を探していたが、もともとゲストハウスがあった場所なので
戻って聞けばよかった。

?ゲストハウスから送られていた帰りの道順(バス停)の書いてある紙を、
プリントアウトしていたことをすっかり忘れていた。

どんだけアホなんだよ、まったくもう。
それにしてもチケット売りのおばちゃんは意外でしたね。
だってバスが来る15分前になったら空港へ向かう人にチケットを売るわけですが、
動くチケット売り場なんて見つけようがありません。
ネットで旅行者のブログを探すだけでは、こういう細かいところまでは分かりません。
(一応載っていましたが、想像との相違が大きかったです。)

やっと空港へ向かうことができます。
時間はもうギリギリです。

また空港でもバタバタして、職員さんに案内してもらい、どうにかこうにか
フライトに間に合いました。
どこかで一歩でも間違えていれば、完全に乗り遅れています。
洒落になりませんよ、まったくもう。

ついに帰国です。
長かった・・・辛かった・・・。
そして楽しかった・・・!

最後に長谷インの成長の証ともいえるエピソードを記しておきましょう。

(機内にて)

CAさん「牛肉のごはんと豚肉のごはんどちらになさいますか?」
長谷イン「!!?」

そう、「ビーフorチキン?」ではなく「ビーフorブタ?」です。
つまり臆病者=チキンの選択肢がなくなっていたわけです。
初日の機内食では「チキンorブタ?」の二択でした。

しかし、長谷インはまだ勇敢なビーフではありません。
そう思った、まさにそのとき・・・。

CAさん「豚肉のごはんにはえび春巻きが付いています。」
長谷イン「!!!!!!」

そうです。何も持たない役なしの「ブタ」であった長谷インへの選択肢は、
確かに広がっていました。
勇敢なビーフなのか、それとも昇龍(えび)を携えたブタなのか?!
長谷インの選択は・・・。

長谷イン「えび春巻き付きのブタです。」

これにて台湾旅行は終わりです。
長谷インはまだ勇敢なビーフではありません。
されど何も持たないブタでも、ましてや何もできない臆病者(チキン)でも
ありません。

昇龍のごとき「えび」を携え、天にも昇るブタになります。


グローバル囲碁旅行記 ー台湾全編ー “完”

長谷インの今後にご期待ください。


「こぼれ話」
帰国するのに必死だったため、桃園空港で両替するのをすっかり忘れていました。
日本で両替して3000円幾らか損することに・・・。
そもそも宿泊代、食事代、席料、交通費で1万そこそこしか使っていません。
飛行機代も往復2万7千円って、どんな旅だよ、まったくもう。

(おしまい)

2016/03/26

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記~台湾編その9~

皆さんこんにちは。
最近、独学で気について学んでいる長谷インです。

アルファ碁が囲碁の未知を解明するのなら、別のアプローチで囲碁の可能性を広げようじゃないかと思う次第です。コンピューターに理論で対抗しても仕方ないですから、第六感を引き出して囲碁の感覚的な視野をさらに広げていきたいと思っています。
(本音はヒグマと戦う準備です。)

〜前回のあらすじ〜
勝負の3日目をようやく乗り越えることができた長谷イン。
予定では3日目までにサクサクっと取材を終わらせて、4日目からは観光するつもり
でした。今回の取材目的には「とある場所」も含まれているので、まだまだ囲碁取材
には時間が掛かりそうです。

台湾編その9「切腹できない侍」

4日目の朝を迎えました。
台湾に来てこれまで、一度として清々しい朝を迎えたことはありません。
前の晩はひたすら翻訳作業に明け暮れていました。
というのも、囲碁取材は個人的にはもうお腹いっぱいなんですね。
何のためかというと、昨日の名人児童棋院へのお礼文をしたためていたわけです。

もちろん海峰棋院にもお世話になりましたが、女の子が可愛かった、もとい皆さんに
すごく良くしてもらいましたから。
(この日は木曜日で、海峰棋院での手合い日だったこともあります。)
とにかくお礼だけはしておこう、そんな気持ちでいっぱいでした。

で、恒例の翻訳タイムですよ。
おそらく7、8時間はかかっていたと思います。
旅行先でそんなことしているアホは前代未聞です。

しかしこういうことは前もって準備できないわけで、端からスマートに旅行しようとも思っていません。

過密スケジュールで観光スポットを巡り、各地の名産を食べて回る。

そんなことより、そのとき必要なことを熱心に取り組むほうが性に合っています。
(ある意味、過密になっていますが。)

今回は今までとは違い、翻訳には特別な工夫がしてあります。

ふふふ、何だと思いますか?

なんと繁体字、日本語、英語の三か国語でお礼文を作りました。
いやー、我ながらナイスアイディアですよ。

昨日お話して思ったのは、翻訳機がそれほど役に立たないことです。
つまり正確にこちらの意図を伝えるのは難しいと言わざるを得ません。
ならば、3つのアプローチでこちらの想いを伝えるほかありません。

謝さんと大学生の女の子は日本語が分かりますし、英語は日本よりも台湾のほうが
習得率も高く流暢に話しています。そして簡単な文章にまとめてしまえば、
こちらの気持ちがストレートに伝わるはずです。

分かりやすい文章とそれぞれの整合性を求めた挙句が、7、8時間の対価
だったわけです。まあ、すこぶる寝不足ですが、やり切った感はありますね。
あとはノートにちゃんと清書すれば完璧です。
(このあとノートを買うため文房具店を探すのにまた一苦労)

ただ今回の囲碁取材の目的はまだ完遂していません。
この機に台湾の囲碁教室のとある秘密を調べてくるように密命を受けています。
それは「対局をさせずに囲碁を教えるという取組み」への取材です。

それをビジネスにしていく動きがあり、すでに中国棋院が権利を買い取っている
という噂です。

“そんな大事な情報を聞き出せるわけないでしょ”と思ってましたが、
密命を受けたので渋々調べに行きました。

事前の席亭からの台湾プチ情報では、「応昌期基金」(財団法人応昌期囲棋教育基金会)
にその秘密があるらしいのです。

さっそく未知の指導法を取材に「応昌期基金」へ!

って、長谷インともあろうアホが簡単に目的地へ着くはずないでしょ?
迷いましたよ、ここでも散々。
一応断っておかないと、文章ではサクサク着きましたって錯覚しますからね。
もはやデフォ(当たり前)ですから、ここら辺の心理状態は割愛します。

さてさて、着きましたよ、どうにかこうにか。
受付には年配のおばさんが一人でいました。
例によって挨拶文を渡しましたが、もう一つ心強い武器を持っていました。
それは海峰棋院でお世話になった楊さんの名刺です。

応昌期基金へ行きたい旨を伝えたら、名刺を見せれば大丈夫だからと言ってくれました。
受付の女性がおそらく応昌期基金の楊さん(同性)だろうと思い、名刺を挨拶文と
一緒に渡しました。

しかし、まあ見た感じ営業している様子ではありません。
今日は休みかな、と思いながらいろいろと聞いてみました。

ちなみに応昌期基金の楊さんは日本語がまったく喋れません。
それでもさすがに場数を踏んできた長谷インは自信を持ってやり取りをします。
こういうとき、無駄とも思える翻訳作業が役に立ってくるわけです。
しっかり喋ってキーワードだけ伝われば、ちゃんと意思疎通ができます。

カレンダーを指して週6日で営業していて、日曜日が休みという旨を聞き取ることが
できました。とはいっても、今日は木曜日のお昼どきなのに受付の女性しかいません。
ここら辺のやり取りはかみ合わなかったのですが、今考えると午後からの営業だったのかもしれません。日本でも碁会所の営業時間は午後から始まるところが多いですからね。

しかし疑問に思ったことをいろいろ積極的に聞けるようになったことは大きな成長です。
だって日本語がまったく通じないんですよ、どうやって話していたのかは
覚えていませんが。

海峰棋院の楊さんへ電話もしてくれましたが、出かけていたのか繋がりませんでした。
仕方がないので施設の見学だけでもしていこうと思い、「参観」したい旨を伝えて
いろいろ見て回りました。写真を撮りたいので「ピクチャーOK?」と言うと、
OKサインをしてくれました。最初からこれくらいのノリで行けば良かったんですね。
英語の発音が悪くても何をしたいのかをしっかり示せば、伝わるものですね。

「対局をさせずに囲碁を教えるという取組み」=碁盤と碁石を使わずに教える仕組み
について不可思議でしたが、そこの施設は少し変わっていたので“もしかしたら”
という手応えはありました。

まず、碁盤と碁石を完全に机の中にしまうことができます。
机といっても、ものすごく広い会場に縦に連なった机があって、その中に碁盤と碁石が
収納されています。

碁盤が出ているところはせり上がっていて、碁石も左右にガシャガシャやると
せり上がってきます。

文章じゃとても説明できるものではありません。
それとは別の一室には碁笥が半分机に埋まっています。

これも説明しづらいのですが、基本的に碁笥には蓋がないのでこういう独特なことが
できるんだろうなぁという感想です。
※中国ルールのため、アゲハマは相手の碁笥に戻す。海峰棋院には蓋がある。

未知の道具に心躍らせながら、碁盤と碁石を使わない指導法への想像も膨らみます。

“碁盤と碁石を完全に机の中に収納できるんだから、上でプリントでもやるのかな。”
“けど、中国棋院が採用した画期的な方法だって噂だしなぁ”

残念なことに受付の楊さん一人だけなので、詳しくお話を伺うことはできませんでした。
誰もいない(ように見えた)ので、写真を数枚パシャパシャ撮っていると、PCで事務作業をしているおじさんがいつの間にかこちらを見ていました。

どうも不意打ちを喰らうと「你好」とか「ソーリー」といった基本的な対応ができなくなります。奥のほうがやけに薄暗かったので、本当に営業しているのかなって最後まで疑問に思ってました。

※伏線として海峰棋院の楊さんから、向こうはだいぶ寂れてきていると聞いていたため。

ちなみに某プロ棋士のブログで、その「対局させずに」「碁盤と碁石を使わずに」教える囲碁入門の一端が載っていました。今度また台湾へ行く際には、ぜひヒントを掴みたいと思います。

さて、応昌期基金への取材はこれくらいです。
結局、施設の見学だけしかできませんでした。
このあと名人児童棋院の前に、もう一か所「中華棋院」へ向かいます。
ここは碁会所と子供教室を両立させているところです。

ここに至るまで、やはり道に迷って時間を無駄に使ったため、ここの取材はサクサクっと終わらせます。何といっても碁会所ですからね、席料を払えば問題ありません。
やはりアマ六段を名乗るとそれ相応の人が打ってくれます。

碁会所としてはそれほど大きくありませんが、層の厚さはさすが台湾です。
ゴリゴリの力碁のおじさんを負かしたのはよかったのですが、問題はこの後です。
見た目小学5、6年生くらいの子と対戦しました。
院生でも学習生でもないとはいえ、碁の内容は驚くほど大人びた落ち着いたものでした。

ここにきて、長谷インの体力がそろそろ限界を迎えます。
何と有ろう事か、勝負所で「ハガシ」をしてしまいました。
もう、この4日間散々歩き回って、WiFiの電波を探して、夜は翻訳作業に
明け暮れていたわけです。正直、意識がもうろうとしていました。

打って指が離れた瞬間、嫌な筋が見えて反射的に石を打ち変えてしまいました。
まだそこで投げればよかったのですが、「ハガシで負けました」というニュアンス
のことを伝えるのが難しかったのです。小さな声で「ソーリー」と言いましたが、
もはや声になっていませんでした。

ここから先は語るに及ばず、もう内容はボロボロです。
しかも最低なことに投げるタイミングを逸して、投げ碁を結構打ってしまいました。
小学生相手に反則をしたあげく、ソーリーも声が小さいし、碁の内容はボロボロだし、
もう散々です。

日本人としてその場で切腹するのが礼儀ですが、空港には刃物は持ちこめませんし、
切腹すれば現代ではただのクレイジー野郎です。
泣く泣く、恥をさらしながら最後は投了しました。

この時点で相当疲れているのは察してください。
特に「モナリザ」のような姿勢を指導している身としては、ハガシをする余地など
ありません。疲れているときほど姿勢を崩しやすいため、最上級に疲れていたと
言い訳するほかありません。

2局終えて、子供教室のほうを撮影させてもらいました。
碁会所の中にもう一つ部屋があって、そこで子供たちが学んでいます。
デパートの託児所のようなイメージです。

一応「日本語しゃべれる方はいますか?」と聞きましたが、自分の英語力のなさも
大概ですね。

「I’m JAPANESE.」
「japanese language?」(ジェスチャーしながら)

「わたしは日本人です。」
「日本語?」(喋るジェスチャー)、周りを指す。
おばちゃん「???」

まあ、そうでしょうね。
発音も伝わりづらいでしょうし、もう少し文章何とかならんものですかね。
ずっとこんな感じでした。

「私は日本人」
「うんうん、分かってる。」
「日本語・・・しゃべれる方はいますか?」(と言いたい)
「???」

また恥ずかしがりの癖が出てしまい、「speak 」なんて単語をあまり使いたくないんですよね。ちゃんと伝わるのか不安ですから。

やっと伝わりましたが、やはり日本語を話せる方はいませんでした。
取材となると、やはり日本語でのやり取りが不可欠です。

中華棋院で一つ思ったことは、おじさんたちの対局マナーが相変わらずよくないことです。碁会所単体ならそれでも構いませんが、あまり子供たちの教育には良くないんじゃないかなと思ったり。

帰り際にエレベーターに乗ろうとすると、何やら先ほどのおばちゃんがこちらにきて、壁の写真を指差していました。

おばちゃん「******」
長谷イン「???」
長谷イン(子供の写真だけど、さっきの子とは違うしな・・・。)
おばちゃん「******」
長谷イン「・・・・・・、あっ!」

そうです、その写真は日本の囲碁ファンなら誰もがよく知っている顔でした。

それは子供の頃の張羽先生です。
面影がバッチリ残っていましたね。

他の子どもの写真もあったのですぐには分かりませんでした。
もう帰ろうとしている自分に一生懸命伝えようとしてくれたのは本当に有り難いことです。台湾では何かと助けられているので、自分も見習わないといけませんね。

中華棋院をあとにする頃にはもう夕方になっていました。
4日目の間にどうしても「九份」に行きたかったので、もう残り時間はありません。
これから名人児童棋院にお礼文を渡しに行って、台湾棋院を覗いて行こうかなという具合です。

(名人児童棋院にて)
謝さん「おお、ナガタニさん。」
長谷イン「先日はお世話になりました。」
謝さん「どうぞ、中へ。」
長谷イン「いえいえ、今日は手紙だけ渡しにきました。」

三か国語の手紙を渡す。

さすがにびっくりしていましたね、繁体字と日本語と英語でお礼の旨と連絡先が書いてあります。大学生の女の子がいなかったので、ラインのIDをその子に渡してもらうようお願いしました。他意はありません、あくまでも日台友好です。

その足で向かいの3軒隣にある台湾棋院へ行きました。
エレベーターを昇ったら入り口に何やら数人いて、ただならぬ空気で座っていました。
(これはまずいな・・・。)と思いながらも、ダメ元で挨拶文を手渡すとやはり断られましたね。おそらくもう閉める時間だったのか、中で大事な手合いでも打っている雰囲気でした。

本来ならここが一番の目的地だったはずですが、今回ばかりは致し方ありません。
また次回への課題にして、リベンジしたいと思います。

さあ、いよいよ囲碁取材もそのすべてを終えることができました。
今回は5か所回って、取材できたのは実質2か所だけです。

時間を有効に使うことができなかった反省も含めて、初めての海外旅行(一人旅)にしてはまずまずの成果と言えるでしょう。

ここから時系列は「台湾編その5」に戻ります。

はたして長谷インの運命は!?
そして次回はついに完結します。

(最終回「成長の証」へつづく。)

2016/03/19

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記 ~台湾編その8~

皆さんこんにちは。

囲碁に無限の可能性を感じている長谷インです。
アルファ碁vs李世ドルの対決はついに決着がつきました。
最後まで人類の最高峰としてAI(人工知能)に真っ向勝負を挑んだ李世ドルは
偉大な棋士です。今後はAIを利用して人類がどれだけ高みに近づけるのか、
それともAIが神様になってしまうのか、まだまだ目が離せません。

〜前回のあらすじ〜

やっとの思いで囲碁取材をすることができた長谷イン。
99パーセントのご厚意と1パーセントの勇気で無事に難関を乗り切りました。
この先にはまだどんな壁が待ち受けているのでしょうか!?


台湾編その8 「正直、可愛かった」

海峰棋院を後にした長谷インのテンションはすこぶる快調であった。

ルンルルン♪ルルンルルン♪

初めてまともに人と会話できたので、それはもう気分爽快ですよ。
このままのテンションでいざ台湾棋院へ、Go!

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「うっ、また道が分からなくなった。」

そうなんです、またなんです。
誠にアホで申し訳ありませんが、丸い交差点に差し掛かり、またどの方向から
来たのか分からなくなりました。本当ならまっすぐ前に進めば、誰でも駅に着く
はずなんですよ。それがデカくて丸い交差点なもんだから、ルンルン気分で
歩いていたらいつの間にか方向感覚を失いました。

“どこまでアホなんだよ、学習しろよ。”

今どきAI(人工知能)だって学習しているのに、まったくもう原人レベルで
学習能力がありません。またこの後も不毛なウロウロ状態が続くわけです。
こちとら時間がないし、暑いし、疲労がたまって死にそうです。

吉野屋、海峰棋院でだいぶ回復したとはいえ、それはあくまでも気力の充実
であって、体には確実に連日のダメージが蓄積されています。

台湾での行動といえば、「迷子」「検索」「翻訳」のほぼこの三つだけですからね。

碁会所で打ったり、棋院で取材している時間はこれらに比べると致命的に短いわけです。
ヘトヘトに歩きながら、コンビニを見つけては飲み物を買って、また位置検索を
しながら電柱の住所と照らし合わせての繰り返しです。

今思うとすごいですね。

よく迷子になれるし、深みに嵌まるし。何度も言うように、台北市内の道はタテ、ヨコ
で非常に分かりやすい造りになっています。そう、迷う道理がないからこそ
迷ってしまう。一人で何とかできそうだからこそ、諦めが悪くなり、かえって状況が
悪化しています。

もうここの記憶は定かではありません。
どうやってこの無限地獄を抜けだしたのか・・・?

旅行期間中はほぼこのジレンマの繰り返しで、さすがに覚えていません。
というより、適当に歩き回っていてもどこかの駅にぶつかるはずです。
(それでもここでまた2時間くらいは歩き回っていました。)

どうにか駅に着き、そこから台湾棋院の最寄り駅まで移動します。
地下鉄は簡単ですね、だって方向間違っても一駅のロスで済むんですから。
でも最寄り駅からまたもや迷いました、もう何回目だよ、何なんだよ。

昨日来たばかりなのですが、そもそも出口を変えると方向性が分からなくなります。
確か降りた駅も若干近い方に変更していました。余計なこと(ショートカット)を
しようとして、全然時間短縮になっていないところが“長谷インクオリティ☆”です。

さて、何だかんだ(どうにかこうにか)着きました。
もう運動部の合宿か、ってくらい歩き回っています。
不本意ですけど。

さて、着きました。着きましたよ。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「行くか・・・、行かざるか・・・。」

いやいや、ここまで来て行かない選択肢はありません。
ここは行く一手です、行ってから考えるべきところです。
しかし囲碁では目を瞑って切るところも、現実ではそう易々とはいきません。

「行って死ぬのなら、それは本望だ。」

「ただ生き恥を晒した上に、おめおめ生還でもしたらどうする!?」

「行くか・・・、行かざるか・・・。」

そう、これは己との自問自答です。すべての答えを心の内に秘めているはずです。
自らに問い、導き出した答えとは・・・!?

“行こう、たとえ生き恥を晒して生還したとしても。”

大いなる決断の元に、今まさに勇気の一歩を踏み出します。
越えられなかった昨日までの壁を今、越えるために。

「・・・・・・。」

「ん・・・?」

「あ、扉が開いてる。」

そう、昨日までと一転して扉が開いていました。
雑居ビル5階のフロアにある二つの部屋の扉が両方開いていました。
その向こうにはさらにガラス戸があります。

「よし、これなら行ける、行けるぞ!」

「いや・・・、え?!」

「何か物凄く黄色い・・・。」

そうです、左の部屋は事務室的なことがすぐに分かりましたが、右の部屋は一面
黄色い壁紙に覆われています。恐る恐る、ガラス戸を開けて中を覗いてみました。

中の2人「!?」

長谷イン「に・・・你好。」(小声)

女の子「日本人ですか!」

長谷イン「!?」

不意を突かれてびっくりしました。
ひと目で日本人だと分かったらしく、日本語で話しかけてくれました。

※ここで得意の挨拶文を手渡す。

おじさん「どうぞ、中のほうへ。」

この方は謝さんといって、ここの責任者の方でした。
日本語は習得率5割くらいで、難しい話はできませんがコミュニケーションが
取れるレベルです。いきなりの訪問でびっくりされていましたが、何とか取材したい旨
を伝えることができました。

長谷イン「突然のことで申し訳ありませんが、ぜひ台湾棋院を見学させてください。」
謝さん「台湾棋院ならここから3軒先の向かいにあります。」
長谷イン「!?!?」

そう、そうなんです。

実はここは「名人児童棋院」という子供教室だったのです。
謝さんが窓際から台湾棋院の位置を示してくれましたが、
そこはすぐ向かいにありました。
どうしてこのような勘違いをしてしまったのでしょうか?

間抜けといえば、大いに間抜けな話です。事前に台湾棋院の場所を調べるときに、
「某知恵袋」の回答を参考にしてしまったのです。

しかもそれは、「台湾棋院」と打ってウェブ検索したものですが、その回答には
一言も台湾棋院とは記されていません。要するにネット情報をよく見ずに
鵜呑みにして、盛大な勘違いをしてしまったのです。

さて、どうします?皆さんなら。

子供教室を訪ねて、「台湾棋院を取材させてください。」と挨拶文にも記載して、
口頭でもはっきりと言ってしまいました。
しかも親切に場所を教えてくれて、さてどうしたものか、といった状況です。

「・・・・・・。」
「あの、ここも見学して行きたいのですがよろしいでしょうか?」

はい、成長しましたよ、図々しくも。
やはり日本語でコミュニケーションが取れるうえに、乗りかけた船ですからこの機を
逃す手はありません。海峰棋院の楊さんほど日本語は達者ではありませんが、
コミュニケーションが十分に取れるのは本当に有り難いです。

というか、嬉しくてここまで割とハイテンションで捲し立ててしまっているんですよ。
もともと喋るほうですから、通じるとなると鬱陶しいくらい自分の話をしてしまいます。
そんな状況で「勘違いでした、失礼します。」なんて言いたくはありません。

相手のご厚意に甘えて、Let’s取材開始です!

「名人子供教室」
・170人の生徒を抱える囲碁塾。
・将来のプロ棋士を育成している海峰棋院、台湾棋院とは違い、学習塾である。
・数名のプロ棋士とアマチュア棋士が指導に当たっている。
・30級〜7段までの段級位があり、アマチュア講師は5〜7段である。
(7段の講師は27歳)
・分院といって、300人、200人、170人(※古亭)、150人規模の同じ
教室が台湾に14か所ある。
・台湾の有名な囲碁教室は「名人子供教室」と「中華棋院」(分院4つ)、
「長清教室」(分院4つ)である。
(ほかにも囲碁 教室はある。)
・台湾では14年前に比べると子供の囲碁人口が衰退している。
(囲碁は難しくスポーツのほうが人気がある。)
・14年前はちょうど「棋霊王」(ヒカルの碁)が台湾でも流行った時期である。
・名人子供教室は囲碁人口と反比例して生徒数を増やしている。
(新たに分院したところでは300人の生徒を抱えている。)
・古亭の名人教室は碁盤が12面の二部屋で、ほぼ毎日午前、午後で子供たちが
出入りしている。
・内装は真っ黄色。
・受付はアルバイトの子が2人いる。(20歳の大学生と30歳の社会人)
・謝さんは24歳で囲碁を始めて、現在はアマ6段。

※古亭とは今取材している名人児童棋院のこと。(本院)

いろいろとお話を聞くことができました。
しかし、やはり詳しく聞こうとすると謝さんがうまく表現できない単語が出てくる
ようです。そこでまたしても図々しく、携帯をWiFiに繋いでもらいました。
パスワードを教えてもらったので、部屋の中でネットが繋がる状態です。

晴れてオンラインでの音声翻訳(※ほんやくコンニャク)を使えることになり、
さらにテンションが上がります。とはいえ、まだまだ文明の利器は想像を超えるほど
万能ではありません。特に敬語を多用すると、変換がおかしくなります。
また、一般的な会話のできる謝さんと(日本語が分かる)大学生の女の子の前で、
日本語を音声入力するのはこっぱずかしいものがあります。
(※ドラえもんの道具)

大学生の女の子は元気よく発音も良かったので、だいぶ好印象でした。
おそらく学校で習ったであろうテキスト的な受け答えが主でしたが、わかる範囲で
うまく喋っていたのですごく日本語が上手に感じました。
(コミュニケーション能力が高い)

最初、だいぶ若く見えたので(この子小学生か?)と思わず聞いてしまいました。
音声翻訳で「彼女は歳いくつですか?」と聞いたら、細かいニュアンスが伝わらずに、
お互いに顔を見合わせて「?」となる。

翻訳機「******」(歳いくつですか?と聞いたつもり)

女の子「何を言っているのか分からない・・・。」(困惑顔)

長谷イン(しまった。失礼なことを聞いてしまった。)

謝さん「20歳で大学に通ってます。」

長谷イン「そうでしたか。小学生かと思ったもので・・・。」

初めは全然伝わらずに困惑していましたが、どうも音声翻訳の訳し方がまずかった
ようです。それ以前に女の子の歳聞いて、あげく小学生に見えたとか無礼の上塗りを
する始末。当の本人は笑顔で「嬉しい・・・とびっくり!」と言ってくれていたので、
救われました。

もう、二人ともすごく笑顔で対応してくれたので、楽しい時間が過ごせました。
優しくされるとまた無礼な発言が出てしまうのは、長谷インの悪いくせです。

長谷イン「あなたは囲碁をどれくらい打てますか?」

女の子「うーん、ルールが分かるくらい。ここでは2〜30級くらい。」

長谷イン「囲碁教室で働いているのは何のためですか?」

女の子「えー、お金のため。あと子供好きだから。」

もう、こちらのアホな質問にも正直に答えてもらいました。
ちなみに昨日勇気がなくて入れませんでした、って言ったら二人とも笑っていましたね。
よくよく考えたら、扉が閉まっていたので休みだったのかもしれません。

この日はもう夕方になっていたので、残っていたのは謝さんと受付の子2人だけでした。
アマ5段のインストラクターの男性があとで来ましたが、爽やかで
カッコ良かったですね。ここのスタッフは全員すごく人当たりが良かったです。

最後に一緒に写真を撮ってくれて、いい記念になりました。
拙い中国語で「再见。」(さようなら)と挨拶して、名人子供教室をあとにしました。

「ありがとうございました。」

「バイバイ!」(手を振る)

女の子がお辞儀して手を振ってくれたので、コミュ障なりに笑顔でバイバイしました。
謝さんもすごく一生懸命日本語で対応してくれたし、女の子も明るいしすごく良い
雰囲気の教室でした。

長谷イン「また台湾に来たら寄ってもいいですか?」

女の子「もちろん!」

よし、またいつか来よう。

三日目はこの後、士林駅近くの夜市に行きました。
ここでもいろいろ書くネタありますが、これくらいにしておきます。
また「翻訳、迷子、ご飯」の3拍子ですからね。(結局ほとんど食べれませんでした。)

そうそう、台湾棋院にも寄りましたが、もう時刻が遅かったので閉まっていました。
4日目、明日はもう一つの棋院と共に台湾棋院へ最後のリベンジになります。

(明日へとつづく)

2016/03/09

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記 ~台湾編その7~

皆さんこんにちは。
“プラシーボ効果”絶大の長谷インです。

正露丸を飲んだ途端に腹痛が治まったとか、栄養ドリンク飲んだら体が軽くなったとか、
とかく影響を受けやすい脳ミソです。疑って効果がないより、信じて効くほうが良いですからね。
そんなわけで、そろそろ気功の勉強でもしてヒグマを倒しに行こうかという今日この頃です。

〜前回までのあらすじ〜

旅行先で何時間も翻訳作業に明け暮れる長谷イン。
「いざ出陣!」するも案の定、また迷子になる羽目に。
すんでのところで吉野屋に命を救われ再度、海峰棋院を目指し前へ。
はたして長谷インはたった一人で囲碁取材をやりきることができるのだろうか。
そしてこの旅行記はいつになったら完結することができるのだろうか!?

台湾編その7 「いよいよ囲碁取材へ」

吉野屋を後にした長谷インの体力ゲージはフル充填されていた。
そして目的地「海峰棋院」へ無事に着くことができた。
(いよいよ着いてしまったか・・・。)

実際に着くとすごく緊張しますよ。
もしかしたら潜在的に行くのが嫌で迷子になっていたのでは、というくらいに。
皆さんには申し訳ありませんが、ここから割と普通なので淡々と短くまとめていきます。

ポーン。(エレベーターの音)
ビルの6階、右手に見えるガラス戸の向こうに受付がある。

長谷イン(・・・くっ、予想外のガラス張り。こちらの動きが丸見えだ。)

受付の人「・・・・・・?」
ササッ。(死角に隠れる)

5分後。

心の声(どうする・・・。どういうテンションで行けばいい?)
心の声(ええい、もうここまで来たら!)
スタスタスタ。(扉の前まで歩み寄る)
ガラス戸「・・・・・・。」

長谷イン(しまったぁあ!オートロックだぁあ!!)
そう、オートロックでした。
その瞬間すべてを悟りました、“終わった”と。

“グローバル囲碁旅行記〜台湾囲碁取材編〜 完。”

長谷イン「くっ・・・。ここまでか。」
トットットッ。(女の子が駆け寄る)
ウィーン。(ガラス戸が開く)
長谷イン「うっ、これは・・・。」

まさかのアシストで中に入ることができました。
最後の勇気を振り絞って受付の女性に声をかけます。

「に・・・你好。」(小声)

そして挨拶文を手渡します。
受付の方は何やら困った様子で奥のほうへ。

「後はもうどうにでも、なるようになれ。」ってな気分ですよ。(ハタ迷惑)

もちろん門前払いされてもしょうがないですし、そのほうが気が楽です。
入り口付近には3人くらい子供がいましたが、お昼時なこともあって中から
わらわら集まってきました。

長谷イン(くっ・・・。子供たちに囲まれてしまった。)
    (何だその物珍しそうな目は・・・。)
    (はっ、よく考えたらこの子達全員院生じゃないのか。)

そうです。棋院に行って子供がいたらそりゃ院生ですよ。
戦闘力(棋力)でいったら長谷インをはるかに凌駕する実力のはずです。

そんな不思議そうな目で見られても・・・。
そもそも不審な人物(日本人)が突然訪ねてきたら、そういうリアクションに
なるのかもしれません。

当の長谷インは挨拶文を持って、ただただ棒立ち状態です。
まさに針の筵、オオカミに囲まれた赤ずきんちゃんの気分です。

ちなみに子供たちと言っても、おそらく中高生くらいの年代です。
台湾の子たちは見た目が特に若いですね。
思い切って声をかければ良かったのですが、そんな余裕はありませんでした。

そうこうしているうちに、裏では職員の方達がバタバタしていました。
改めて挨拶文をマジマジ見られているのが、今思うと死ぬほど恥ずかしいです。

結局「そこでちょっと待ってて」という感じだったので、しばらく待機していました。
程なくすると、何と日本語を話せる方が現れました。
ご多忙の中、イレギュラーな旅行者のためにわざわざ来てくれたみたいです。
日本語の習得率は7割程度といったところでしょうか。
細かい単語は分からなくても日常会話に支障のないレベルです。

今まで「あ、あう。うう。」とかどこのオオカミ少女だよ、って感じの長谷インでした。
しかし、この旅行で初めてまともに会話できる機会に恵まれました。
もうね、物凄く親切にいろいろと案内してくれたり、質問に答えてくれました。
奥にいるお昼休みの子供たちを紹介してくれて、一局打つ機会も設けていただきました。

長谷イン「・・・・・・?」
長谷イン「あの、この子達は院生ですか?」
楊さん「この子たちは学習生と言って、台湾棋院の院生とはまた違います。」
長谷イン(あれ、この子たちどう見ても小学生だよな。)
長谷イン「向こうの部屋の若い子たちは今何をやっているんですか?」
楊さん「今日は台湾ナショナルチームの集まりです。皆プロ棋士です。」
長谷イン「!!!!!!」

そうなんですよ。最初にわらわら集まってきた子たちは全員がプロ棋士だったのです。

長谷イン「今日は大人の棋士の方はいませんか?」
楊さん「うーん、今日はナショナルチームの集まりだから、若い子たちだけです。」
要するに向こうじゃ10代の子たちが世界で活躍する精鋭ということです。
大人じゃ通用しないでしょ、くらいの感じでしたからね。

楊さん「こちらがナショナルチームの監督、周俊勲です。」
長谷イン「あ、あ、どうも。你好。」(小声)

皆さんは周俊勲をご存知でしょうか?
世界タイトルを取ったこともある台湾のプロ棋士です。
台湾の囲碁ファンなら知っていて当然の存在です。
しかし自分が微動だにせず固まっていたので、楊さんが顔のことなど慌てて
説明してくれました。(※)
※周俊勲の顔には特徴的な痣がある。

いや、ちゃんと知ってましたよ。
知ってましたが、海外のプロ棋士はやはり顔よりも名前で覚えていることが多いです。
顔を見たときに「あっ、この方は・・・。」と思いましたが、名前を聞いてやっと
世界チャンピオンだと分かりました。
(実際に著名な方を前にすると、ミーハーなリアクションを取れないものです。)

プロ棋士が集まって打っているところの見学はさすがに遠慮しました。
後は施設を一通り説明してもらって、奥の部屋でいろいろとお話を伺いました。
以下箇条書きにします。

・海峰棋院は財団法人で国内でのプロ棋戦を運営している。
・台湾主催の国際戦は、台湾棋院が取り仕切っている。
・各棋戦の優勝賞金は次の通り。
 棋王戦100万元(400万円)、天元戦80万元(320万)、
 王座戦40万元(160万)、海峰杯60万元(240万)
・5、60代の棋士もいる。
・海峰棋院では「学習生」というプロの卵がいる。(台湾棋院の院生とは別)
・台湾棋院がプロの免状を発行しており、海峰棋院には権限がない。
・院生は半年ごとに入れ替わり、18歳まで在籍できる。
・院生のプロ制限年齢は18歳まで、社会人は21〜2歳
・学習生は週5日海峰棋院に通っており、昼間は囲碁を打って夜に勉強している。
・学習生の制度は一昨年立ち上がったばかりでまだ2年目。
・院生は土日台湾棋院に通う。
・学習生+院生は合わせて週7日、棋院に通う。
・学習生は義務教育課程でも学校に通わない。
・棋院が学力をチェックして学校に申請すれば卒業証書がもらえる。
・この制度は囲碁に限ったものではなく、ほかの専門分野でも認められている。
・台湾では中学、高校に囲碁のクラスがある。一般的な勉強も行われている。
・60人規模の囲碁クラスがある高校もある。
・台湾は少子化で一時期よりも囲碁人口が下降気味である。

皆さんどうでしょうか。
びっくりしますよね、タイトル戦の優勝賞金が日本の10分の1ですよ。
自分が台湾に行った限りでは、物価は日本とそう変わりません。

やはりトーナメントプロ一本で生活するのは厳しいと仰ってました。
それからプロ組織は台湾棋院と海峰棋院の二つですが、台湾棋院のほうが何かと
権限が強いようです。プロの段位免状の発行から国際棋戦の開催まで、要するに
台湾棋院が日本棋院に匹敵する役割です。

あとは「学習生」です。
台湾棋院の院生とは別に海峰棋院でプロを目指している子たちですが、プロを目指すため
院生にもなります。何せ、台湾棋院がプロの免状を発行しているわけですから。
週7日、毎日棋院に通っているみたいです。(学習生5日、院生2日)

学習生の事情を知り、“不遇でも、必死に頑張っているな”と思いました。
だってプロになっても生活が苦しいのに、その上プロになるのも狭き門です。
義務教育そっちのけで囲碁ばかり打って、落ちた子はどうするんだよって話ですよ。
(それでも、昼休みにゲーム機で遊んでる姿はまさしくただの小学生でした。)

そして、向こうの囲碁界の事情は日本とあまり変わらないのにも驚きました。
一つ目は「少子化」です。
単純に子供の数が減ったのと、ほかの人気競技に比べて囲碁に憧れる子はいないと。
囲碁が流行ったのは14年前の「棋霊王」(ヒカルの碁)の頃で、そのときから囲碁人口は
下降線を辿っているとのことです。

「それって日本と同じじゃん!」

台湾でもヒカルの碁が流行って、ブームが去るとどんどん廃れていったようです。
まあ、なかなか「囲碁打つ人カッコいい、素敵!」とはなりませんからね。
しかも2日目に行った棋聖模範棋院(碁会所)は場末の雀荘のようでしたから。

二つ目は「人気の女性棋士」がいるということです。
プロ棋戦のトーナメント表を見せてもらい、そのとき女性で準々決勝まで勝ち上がっている
棋士がいました。

楊さん「黒嘉嘉(ヘイ、ジャアジャア)って知ってるでしょ?」
すいません、知りませんでした。その方は日本でいうと吉原由香里プロに当たります。
美人で実力もある人気棋士です。

台湾の棋院を訪ねるくらいなら、当然知ってるでしょ?ってレベルですが、
まったく予備知識がありませんでした。帰って検索したら、なるほど可愛いですね。
やはり容姿に実力が伴うと、人気が出るのはどこも同じですね。

今後、院生(学習生)の子たちが毎日勉強し続ければ、日本のみならず、あるいは中韓に
追いつくのではないか。そんなことを聞いたら、
楊さん「いやいや、国際戦ではまだ全然ダメだから。」だそうです。
そもそも運営するのに資金が足りないような話をしていたので、現実は厳しいなと
痛感しました。

そんなこんなで、お昼休みの学習生の子と対戦することになりました。
楊さんは多忙のため出掛けてしまいましたが、碁盤を挟めば日本も台湾も関係ありません。
言葉が通じなくても、石で会話をするまでです。
楊さんには、最初の手合いと時間設定だけお願いしました。

長谷イン「日本ではアマ六段で打っています。」
楊さん「この子がアマ七段くらいかな。」
ということで、秒読み20秒3回、互先での対局です。

アマ六段なのに、こちらが握ろうとしたらその子はキョトンとしていましたね。
細かいやり取りはできないので、目の前にあった白石を握って始めました。
内容は学習生の子がだいぶ粗削りな打ち方でした。
序盤早々、明らかにやりすぎな疑問手を打ってきたので相応に咎めます。
こちらが優勢になったのも束の間、時間に追われてヨミを微妙に間違えてしまいました。

長谷イン「くっ・・・。30秒あれば・・・。」
結局こちらがモタモタしているうちに、潰しきれずに形勢逆転して負けました。
驚いたのは検討のときです。
少年A「ここ、おかしい。」
片言の日本語で先ほどの疑問手の場面を指摘します。
長谷イン「うんうん。」
喋れないので、とりあえず頷くリアクション。
少年A,B,C「ここをこうしたらこうだし、こうなんじゃない。」
おお、さっき自分が読み切れなかったところをスラスラと解いていきます。
対局した子も負けじと「じゃあ、こうしたらこうでこう打つ。」
ああ、見ていると力の差がはっきり分かります。
長谷インが30秒欲しかったところを、3秒くらいでスラスラ解いてその先を考えている
のです。それに粗削りなのは大局観で、部分的な折衝は死ぬほど粘り強く読んでいます。

これが「台湾のプロの卵かぁ」と感動しました。
それと同時に「日本のほうがレベルが高い」というのも実感しました。
おそらく皆、東京都代表、神奈川県代表レベルくらいはあります。

でも、検討の内容が自分にとってちょうど良かったんですね。
自分より2〜3子くらい上手で、程よい解説(理解できる範囲)だったということです。
4子以上の差なら多分言っていることが理解できないでしょうから。
(もちろん言葉は通じず、全部盤上の会話です。)

棋力とは関係なくすごいなと思ったのは、こちらの緩着をまったく指摘しないところです。
形勢有利の場面から何度もこちらにチャンスがあったという図を作りつつも、基本的には
相手の子のミスを議題にしていて、こちらのミスについては言及していませんでした。
うーん、人間的にも2〜3子上手だったか。(長谷インよりも)

取材の一環で施設の写真を撮らせてもらいましたが、パシャパシャ撮りまくるのも
失礼なので3枚くらいにしておきました。
もうちょっとコミュニケーション撮れたら、皆さんと一緒に写真を撮ったのになぁ。
帰り際、もう楊さんがいないので、受付の女性に挨拶をしました。
当然、まったく喋れないのでオフラインでの翻訳で簡単に

「今日は見学できて良かったです。ありがとうございました。」

と携帯を見せたらちゃんと伝わりました。
やはり意志疎通は人間にとって一番大切なことです。

お礼を伝えて海峰棋院を後にした長谷イン。
初めてゲストハウス以外でまともにお話することができたので、テンションはすこぶる
快調です。精神力全回復!次に目指すは昨日撤退を余儀なくされた「台湾棋院」。

台湾旅行3日目、長谷インの戦いは終わらない。

(つづく)

2016/02/27

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記~台湾編その6~

皆さんこんにちは!

ついに、ついに、ついにやってきました!

「台湾旅行記〜the完結編〜」

長谷インのひと夏のおもいで、そのすべてを公開します。
本当は「台湾旅行記〜the簡潔編〜」そのすべてを後悔します、ってなもんですよ。

だって涙が出ちゃう、長いんだもん。(話が)

旅行記を待っていてくれた方、そしてとっくに忘れていた方へ前編のあらすじを
説明しておきましょう。


旅行前 “ノー準備、ノーライフ”なのに特に何もしない。

一日目 言葉の壁を感じる。ただ無駄にプライドが高いので、身振り手振りなんて
モンキーな真似はしない。

二日目 「ビーフorチキン?」「No.I'mブタ.」そして絶望する。

三日目 新展開1

四日目 新展開2 その後、消息が途絶える。

五日目 すべての答えが機内で明らかに。


タイムスケジュールはこんな感じです。

旅行記1〜5までの間に前章、一、二日目と四日目後半まで書き終えています。
ここからは三、四日目の囲碁取材についての回想になります。

「そもそも何しにいったの?」
「修行なの、何もしてないの、バカなの?」

って彼女がいたら言いそうなもんですよ。(いたらねぇ)
ではでは、さっそく新章を語りましょう。


「長谷インのグローバル囲碁旅行記〜台湾編その6〜」

〜前回のあらすじ〜
魔境九份(キュウフン)にて最終バスを逃してしまった長谷イン。
このまま千と千尋のようにハートフルな妖怪ファンタジーが待ち構えているのか。
はたまた体力の限界を超えたその先に待つのは無情な結末か。
その行く末や如何に?!

ご紹介が遅れました。
熊を倒す(予定の)男、長谷インです。

「片腕はくれてやる。」くらいの名言は残したいなと常々思っています。
命あっての物種とはいえ、いつその命を燃やし尽くすかに人生の美学を感じます。
異国の地で命の火を燻ぶらせている場合ではないんですよ、まったく。

台湾編その5「進め、進め一歩前へ」

時間軸は三日目に戻ります。

二日目までご飯を食べるのもままならず、空腹感と何もできなかった絶望感に満たされ
つつも日は昇り、そして朝を迎えます。

「今日は寝れたな。」がこの日最初の感想です。

言わずもがな、一泊300元(1200円)のゲストハウスで迎える朝は
清々しいものではありません。

7月初旬の台湾は日本の猛暑と同じくらい暑く、羽織っていたシャツは信じられないくらい
臭くなっていました。
(シャワーを浴びて、洗濯でもするか。)
後ろのデカい虫を気にしつつも、シャワーで汗を流します。
洗濯も勝手にやって勝手に干すようなもの(有料)だったので、洗濯が終わるまで
適当にウナギの寝床のようなベッドで過ごしていました。

“危機感がまるで足りない。”

悠長に朝を迎えて、シャワーを浴びて、洗濯ものやっている場合ではないんですよ。
起きたのが9時台、行動開始したのが11時台とか、余裕かましすぎ。
正確に言うと1時間の時差があるから向こうの時刻で8時起き、10時出になりますが、
二日間を棒に振った人間の行動とは思えません。

しかし、何の策もなく三日目の朝を迎えるほどのたわけでもありません。
そう、それは確かに完成していたのです。

“ほんやくコンニャクお味噌味!”

ご覧のスポンサーの提供です。(子供たちに夢を与えるネコ型ロボット)

ドラえもんはさておき、オフラインでの翻訳作業を前の晩にある程度終わらせて、
なおかつ朝もその作業を繰り返すこと計5時間。ようやくできました、挨拶文。
いまだに内容が手元にあるので、恥ずかしながら日本語訳だけでも紹介させていただきます。

(以下原文)
こんにちは。私は日本の旅行者です。突然の来訪申し訳ありません。
私は囲碁愛好家で、このたび台湾の囲碁教室を見学させていただきたく来た次第です。
しかし残念なことに私は中国語を全く話せません。また英語もほんの少ししか知りません。
PCの翻訳機でこの文章をしたためてきましたが、オフラインではほとんど使うことが
できません。ご迷惑かと思いますが、少しだけでも見学させていただければ幸いです。
少しで良いので、ぜひ海峰棋院の様子を見学させて下さい。
(原文まま)

如何でしょうか。とても良識ある大人が書いたとは思えません。
しかもなぜこんな短文を書くのに5時間以上も費やしてしまったのか。

まず引っかかってしまったのが「敬語」です。
日本語より英語に近いので、事細かな表現はしません。
「させて頂きます。」なんて翻訳しようものなら意味不明な文になってしまいます。
「させて頂きます」→「する」くらい簡明にしないととても初心者に翻訳など
できないわけです。

あと過去形(了)とか、とにかく余計なものを排除して簡潔にまとめる必要があります。
日本語を打ちこんで中国語(繁体字)に変換し、その文をまた日本語に変換します。
(例)こんにちは→你好→こんにちは
これでなるべく誤差が出ないようにひたすら調整していくわけです。
こうなると丁寧にすればするほど厄介になるため、簡易にまとめることに徹しました。
一例として
「我是圍棋愛好人,這次請容我们參觀台灣的圍棋教室來了。」
(訳:私は囲碁愛好家で、このたび台湾の囲碁教室を見学させていただきたく
来た次第です。)

多分これ、まともな翻訳になっていません。
日本語の入れ方によって文法も前後するし、それによって意味も変わってきます。
ちなみに同じ翻訳サイトで上記の文を日本語に再変換したものがこちら。
(訳:私は囲碁の趣味人で、今回は私を収容してください。台湾を見学する囲碁教室は
来ました。)

もうね、なんだよこれは。ちなみに再チャレンジしてみた結果がこちら。

(日本文)私は囲碁ファンです。台湾の教室を見学に来ました。
(繁体文)我是圍棋愛好者。到參觀來了台灣的教室。
(再翻訳)私は囲碁の愛好者です。台湾の教室を見学してきたまで(に)。

今やってもこんなもんですよ、もうアカンてホンマに。
こんなことをひたすらやり続けて5時間。

「後は清書するだけだ、ヒャッホイ!」

なんてテンションではありませんが、相当な手応えを掴んでいました。
ゲストハウスでは清書するスペースがないので、いざ外へ。カフェに寄った後、
海峰棋院を目指します。場所はグーグルマップで調べは付いています。
宿泊場所の忠孝復興駅の隣、忠孝敦化駅から大通りをまっすぐ下へ降りるだけ。
“超簡単、猿でも分かるルート検索。”
途中の円形の大きなT字路に差し掛かれば、もう勝ったも同然です。
右へ行って下へ降りるだけ。
とはいえ、ここまで道に迷って苦汁を舐めつづけているのも事実。
復興南路一段から敦化南路一段までの道のりを慎重に横移動します。
ゲストハウスを出てしまうとまともにネットを使える環境ではないので、
スクリーンショットした地図を必死に確かめながら慎重に足を運びます。

そして、そして・・・ようやく着きました、目的の大通り。
下へ向かって行くとそこには円形の大きなT字路が。

「勝った・・・。計画通り。」(某人気マンガより引用)

こんな猿でも分かる道を歩めたことが、嬉しくて堪らないのはなぜでしょうか。
ここでファミマを見つけたので、中のイートインスペースで先ほどの清書に移ります。
ここのイートインスペースは「カフェか!」とツッコみたくなるくらい広いです。
もうね、暑いんですよ、とにかく。
飯もろくに食わずにグダグダしていたとはいえ、これまでに買った500ミリペットボトル
の数は10本を超えていました。まあ今日は手こずらないで来ているので、幾分前日よりは
体力、気力ともに余裕があります。慎重に清書を進めていますが、書いている紙は何と
ゲストハウスの案内のコピー用紙の裏。まったく何を考えているんだ、最近の若者は。

以前碁会所で「若者じゃなくて、馬鹿者。」と冗談で言われていましたが、
本当にアホなのか君は。

一応言い訳をしておくと、書ける紙が手帳と旅行の案内、フライトの案内用紙くらいしか
なかったんですね。あとは普段使っているテキスト(棋譜or問題)の原本。
何も用意せずにきた挙句この様なわけですが、コンビニにノートが置いてなかったんですよ。
ノートが置いてある店を探すのにまた迷子になったらただのドアホですから、
アホに甘んじたわけです。丁寧に丁寧に書き連ねてようやくできました、挨拶文。
実際いまになって見ると汚い字ですよ、まったく。
結構丁寧に書いたつもりですが、残り少ない時間への焦りを感じます。

ついに対決のときがやってまいりました。

“誰と戦うかって?”

“昨日までの自分とです。”

前日に名誉の撤退をした自分に恥じるところはこれっぽっちもありませんが、それでも
前に進めなかった無念を晴らすために。いざ、海峰棋院へ!

ウィーン。(ファミマを出る音)
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「どっちから来たんだっけ?」

不覚にもさっき来た道が分からなくなってしまいました。
大きなT字路をどう来たのか、どっちに向かって行くのか。
ここで一旦止まれば良いものを、生粋の迷子は一味違います。

「よし、こっちこっち。」
基本的に立ち止まらずに突っ走るのが迷子の特徴です。
分かっているつもり、何とかなるだろうと思って同じ轍を二度も三度も、
いつまでも踏んでしまうわけです。

まあここから迷いましたね、迷いました、迷いました。
グーグルマップで「海峰棋院」と検索してみてください。
上に丸いT字路があって、その上に忠孝復興駅と忠孝敦化駅があります。
どうやって迷子になるの?君いくつ?ってレベルですが、それができれば苦労は
しないんだよ。簡単が故に安易な行動を取ってしまい、ドツボに嵌って行く。
いつものことです。

ちなみに三日目のお昼時ですが、まだご飯を食べていません。
もう少し正確に言うと、ここまでの食事はご覧の通りです。
一日目 機内食、クソ不味い麺と水餃子
二日目 饅頭3個
三日目 まだ水分以外に口にしていない。

初日の機内食は美味しかったですよ。
その晩は滅多なことで「不味い」と言わない長谷インを驚嘆せしめた食堂のメニュー。
二日目の饅頭はお腹空きすぎてて、味はどうでも良かったです。
三日目のお昼、腹ペコで右往左往の繰り返し。
唯一の救いは暑すぎて食欲が減退していた分、飲み物で誤魔化せていたという点でしょう。
しかしもうそれも限界です。

ここで行き倒れになってしまうのでしょうか、はたして日本の若者を台湾の方は
助けてくれるのでしょうか。若者といっても当時27歳ですけどね、ただのバカ者ですよ。
そうこうしていたら希望の光が見えてきました。

『吉野家』

これって昨日スルーした吉野家ではないですか。

『復興南路二段、吉野家大安店』
興味のある方はグーグルマップで検索してみてください。
長谷インがどのようにグルグル迷子になっていたのか、よく分かります。

「吉野家かぁ、外国まで来てチェーン店に入るのは妥協だよね。」
「・・・・・・。」
「よし、妥協しよう。」
3秒で諦めました、いろいろな見栄を。
照りつける猛暑の中、迷いに迷って予期せぬ砂漠の泉にたどり着いたわけです。

皆さん、砂漠の泉が「アルプスのおいしい水」だったらどうしますか?
「何だ、砂漠くんだりまで来てミネラルウォーターなんて飲めるか。」
「ご当地の湧き水だよ、湧き水。」
そんな硬派な態度でいたいですよ、修行で来た身ですしね。
でも「みずぅ・・・み、みずをぉ・・・だれかみずぉを。」って状況なのをお忘れなく。

ウィーン。(吉野家に入る音)
心の声(前にお客さんが一人いる、やり方を見ておかねば。)
   (くっ・・・、お焼香と同じくらい見えづらい。)
   (うう、自分の番か・・・。行くしかない!)
長谷イン「你好。」(小声)
店員さん「******」
長谷イン「あー、うー。」(メニューを指さしながら)
店員さん「******」
心の声(くっそぉ、メニューが小さくて指しきれない。)
店員さん「??(汗)」

そりゃあ店員さんも困惑しますよ。だって見た目は台湾の方とそう変わらないですから。
あとメニューを指して頼むんですが、AセットBセット的なものがあって、さらに
ドリンクも選ぶシステムらしいです。
そういうマック的な「サイドメニューはどうしますか、ドリンクは何になさいますか。」
的なものは苦手なんですよ。こういうときでも値段を気にして安い豚丼を選ぶあたりが
さすがだなと思います。(ダメなほうの意味で)

さて適当に選んで、あとは横でしばし待ちます。
マックと同じシステムと分かったから良いものを、自分の前に誰もいなかったら
どういう失態を犯していたのか想像もつきません。

そして待ちに待って、待ち焦がれたチェーン店のまともなご飯です。
セルフの紅ショウガを取って、席に付いてようやく落ち着きました。

「豚丼うめぇ!!!」
「紅ショウガうめぇえ!!!!」
「冷たい紅茶最高ぉおお!!!!!」
「枝豆うまいよぉおおお!!!!!!」

死ぬほどうまい、何これ、ホント何これ。
今までの人生の中でベスト3に入るくらい、もう形容し難いほどうまい。

日本語って不便ですね。
“美味しい”の最上級の表現を持ち合わせていないなんて。
本当に、ほんとうに本当に、いや本当に・・・。
この味だけは生涯忘れられないと言えるほどの超絶美味。

参考までに長谷インの人生ベスト3のメニューがこちら。
(順不同)
・北海道の小樽で食べた真冬の塩ラーメン。
・真夏のちゃんぽん屋で飲んだ氷水。
・猛暑の台湾で瀕死の状態で食べた豚丼。

これを見るに、極限の状況下だからこそ忘れられない味に出会えるのかもしれません。
小樽の塩ラーメン、ちゃんぽん屋の氷水も感動するくらい美味しかったんですが、
もうね、豚丼。台湾まで来て、ただの豚野郎になってしまった長谷インの心とお腹を
ここまで満たしてくれるとは。(※台湾編その3参照。)

紅ショウガも信じられないほどうまい、こんな紅ショウガ食べたことない。
セットメニューになぜ枝豆?って思ったのも束の間、ツッコむ暇もなくただ口に
放り込んでいく美味のハーモニー。

皆さん今、食を知らない貧しい青年に見えていることでしょう。
良いんですよ、幸せは値段じゃありません。
日本でぬくぬく生活していた過去の自分の言葉と、“大きな災難小さな幸せ”を体験した
今の自分の言葉とでは比べるべくもありません。

心もお腹も満たされて、精神力もフル充填!
元気100倍アンパンマン、もとい長谷イン!

まるで新しい顔に生まれ変わったような、清々しく晴れ晴れした気分です。
吉野屋の位置から目的地までの方向も見当が付いています。
後は恐れずに向かうのみ、それいけ長谷イン!

(一歩前へ、つづく。)

2015/09/11

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記~台湾編その5(続き)~

〜前回のあらすじ〜

千と千尋の聖地とされる九份(キュウフン)に辛くも到着した長谷イン。
最終のタイムリミットまで猶予のない観光を余儀なくされることに。
しかしここは観光地ではなく、黄泉への入り口に他ならないのであった。

皆さんこんにちは。今年28歳、独身平民の長谷インです。

教室の生徒さんからお酒の席のたびに「いつ結婚するの?」って聞かれるものの、
まったくご縁がない今日この頃です。
ご縁と碁縁はいつでも歓迎ですので、心当たりある方はぜひご一報ください。

さて、今回は「グローバル囲碁旅行記 〜台湾前編〜」の最終回です。
数々の苦難、困難を乗り越えてきた長谷インの命運も残りわずかの展開になります。
後編の執筆活動は石音フォームまでお問い合わせください。


台湾編その5「魔境九份、地獄へのいざない」(つづき)

九份に着いた長谷インは安堵と不安の両方の感情を抱いていた。
「良かったぁ、セブンとファミマあるじゃん。」
「これで最悪死ぬことはない。」

そう、台湾に来てから幾度となくお世話になっているイートインコーナー付きのコンビニである。
これで命の保証はできた、そう思っていた。
ただ事態は想定を超え、はるかに切迫していたのである。

時刻は午後20時半。
辺りはすでに真っ暗で観光客が帰路に着こうとバス停に並んでいる。
先ほどの女の子たちは例によって写真イェーイ(∩´∀`)∩状態であるため、
サクサク歩いてとっくに追い越している。

ここからは時間との戦いである。
ミッションは提灯の写メを撮って、ご飯を食べて帰ること。

あの一応断っておきますけど、お店に入るかどうかで躊躇なんてしませんよ?
まさかここまで来てご飯食べずに帰りましたとか、そんなチンケな展開にはなりません。
さっさと食べて帰らないと今度こそヤバいわけですから。

とは言うものの。一つ気になることがあります。

それは九份の灯りがないことです。街の灯りは遠く眼下に広がり、
バス停やコンビニの明かりは付近を照らしています。

しかし、肝心の提灯の明かりが見当たりません。
今からどこへ向かえば良いの?って状況ですよ。
観光客の後をついて行くとか、ガイドブックを頼りに動くとか
やりようはいくらでもありますか?

そうはいっても簡易ガイドは宿に置いてきたし、台北フリーWi−Fiは圏外で繋がりません。
っていうか誰もいませんよ、ホント。

こういうとき方向音痴の考えは至って単純です。
「山道を登って行けば着くか。」

山道をずっと登ってきたバスを途中で降りたわけですから、そのまま登れば良いわけです。

ちなみに旅行記書くのに改めて九份の地図を見て、戦慄が走りました。
凄まじいほど的外れな方向感覚ですよ。
これ今考えても相当ギリギリのところだったと震えています。

さて、上へ向かって進もうとしたところで、駐車場とトイレを見つけました。
「何だ、人気があるじゃないか。」と安心した矢先、ふと顔を上げると
目を疑う光景がありました。

"何なんだ、これは・・・。"

そこには断崖にそびえ立つ複数の住宅がありました。

え、え?!

いや、いや、いや。

角度急すぎるでしょ!?
・・・・・・。
・・・・・・。
っていうか、小さくない?

よくよく近づいてみると一軒家の10分の1ほどの小さい社でした。
びっくりしたぁ。

何これ、どういうセンスしてるんですか。
頭上に社が乱立しているわけですよ。
海沿いの急斜面に建てられた家々のような感じです。

薩摩半島の最南端にあるおばあちゃんちを思い出すような光景でした。
何とも説明し難いので、とりあえず写メに撮っておくことに。

「・・・・・・。」

全然写らへんやないかい。
辺りが真っ暗ですぐ近くの景色も写すことができませんでした。
古びたトイレで用を済まして、いざ山道を上へ向かいます。

てくてくてく、てくてくてく。
「・・・・・・。」

てくてくてく、てくてくてく。
「・・・・・・。」

てくてく・・てく、てくてく・・てく。
「はあ、はあ、はぁ・・・。」

もう疲れましたよ、いい加減。

100メートルほど進んだところで、なけなしの体力が切れました。
九份に着く前にも死ぬほど歩いているのに、さらに山道を登るのは険しすぎます。
山道とはいっても、アスファルトの道路ですが。

「もう少し、もう少し。」

自分にそう言い聞かせながら、頑張って前へ進みます。

てくてくてく、てくてくてく。
(おかしい、一向にそれらしきものが見当たらない・・・。)

ちょうど先の見えるところまで登ってきましたが、それでも電灯や建物の明かりが
わずかに見える程度でとても観光地のそれとは思えません。

(もう少し、もう少しだけ歩いてみよう。)

体力はとうの昔に限界です。もはや死者の歩みになっています。
ゾンビのように重い体を一歩一歩前に進めながら、もう100メートルほど進みました。

(ヤバい、これはキリがない。)

いくら明かりを目指して進んでも、あるのはただの電灯です。
もしくはポツンとした民宿で目指す場所は一向に見当たりません。
魅入られるようにわずかな光に吸い寄せられるのは、息絶え絶えのまさに虫の息だからか。
もう限界です、体力的にも精神的にも。

いつの間にか社の群れを眼下に見下ろすところまで登ってきていました。
このまま当てもなく進んでいけば、本当に帰れなくなるかもしれません。
ここですべき最良の選択は、今来た道を引き返してバスに乗って帰ることです。

しかし何もせずに帰るわけにはいかない・・・。
体力的にも今来た道を引き返すのは、死ぬほど辛くて苦しい選択です。

でも・・・だけど・・・。
いや・・・しかし・・・。
ええい、やあ!

ついに英断を下しました。
山道をショートカットして帰ることにしたのです。
ここまできて何もせずに帰ることを選択できたのは称賛に値します。

急斜面の社の群れを上から見ると、石段があることに気が付きました。
もちろんこの石段が下まで繋がっているとは限りません。
もし行き止まりなら大幅な時間のロスになります。
それでもここで急いで戻らないとタイムリミットが危ういのも事実です。

社を近くでパシャパシャ撮りつつ、階段を下りて行きます。
途中でデカい神社を発見しました。
お前が親玉か、と思いながらパシャリ。
何でも良いから思い出に撮りまくることが、今できる精一杯です。

急斜面の石段はずっと下まで繋がっているようです。

「よしよし、このまま下りて行けばバス停にたどり着ける。」
そう思っていた矢先、何やら雰囲気の違う場所へ出てきました。

ん?んん!?

何ですかここは、住宅地ですか?

住宅地という表現が適切かどうかは分かりませんが、民宿や一軒家がいっぱい
出てきました。途中、駄菓子屋みたいのとかいろいろ通り過ぎて下りていくと、
狭い路地に差し掛かりました。

(これはさっきまでの空間と全然違う。)

道路沿いに登ってきたときはまったく人の気配がなかったのに、
急に町の中に紛れ込んでしまったようです。
"これは・・・神隠しなのか。"

もはや長谷インの常識が通用する範疇をはるかに超えています。
トンネルを抜けると異世界へ紛れ込んでしまった、
まさに千と千尋の神隠しそのものです。

おそらくショートカットしようと石段を下って行ったところで、
異世界へ踏み込んだのかもしれません。

このままでは千尋と同じく名前の一字を奪われてしまいます。

荻野千尋→千
長谷俊→???

あれ、「俊」の一字を取ったらナナシですね。
情けで人偏だけ奪われたとしても「ムニハニタ」になっちゃいますよ。
人偏にムにハに、タ(のような字)で俊っていう字ですから。

そもそも長谷インから人偏を取ったらもう人ではなくなります。

"カオナシ、ナナシ、ヒトデナシ"ってどんなインだよ。

魔界の虜になって帰れなくなるかもしれない、そんな不安に押し潰されそうになりながらも
ひたすら道なりに下りて行きました。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

そうそう、ここは野良犬がいっぱいいますね。
野良猫よりも犬のほうが多いんじゃない?ってくらいよく見かけます。
さっきの山道でも野良犬三匹に囲まれてピンチでした。

高校生のころ、帰り道をずっと犬に追いかけられたことがあります。
さっきは知らんぷりしてやり過ごして、何とか事なきを得ていました。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

それにしても、ですよ。
やっぱり暑いというか、亜熱帯というか。
大きいですね、非常に。
そこら辺にいますよ、Gさんが。

民宿があるからですか、異常に多いんですけど。

しかも血気盛んというか、活きがいいというか。
いやはや、赤茶のでかい奴は日本ではあまり見かけないですからね。
まあ、自分には関係ありませんよ。

カサカサ・・・カサカサ・・・。

G「ぎぃいいいいい!!!!!!」

俊「ぎゃあああああ!!!!!!」

ズダダダダダンッッ。

はぁはぁ、ふぅ、危うくひっくり返るところでした。
傾斜のある石段を下りている途中でやつらの一人が奇声をあげてきましたからね。

泣きそうですよ、ホントにもう。
はっきり言ってまた迷子になってるし、Gの脅威には晒されるし。
いざとなったら、ここに泊まることを覚悟しました。

まだ言葉の壁を感じている上に、夜も遅いしちゃんと泊まれるのか。
この期に及んで一泊いくらかかるのか、ぼったくられないか不安なわけです。

帰りのバスは正直諦め半分でした。
最悪の事態を想定して動かないともうどうにもなりません。
しばらく下りるとまた違う雰囲気の場所に出てきました。

これは・・・提灯?・・・まさか!?

そう、そのまさかです。
期せずしてやっと目的の観光地に到着しました。
途中で地図が載っている案内板を見つけたので、
今までのルートを確認してみます。

身震いしましたね、正直。

さっきの「ええい、やあ!」のところが地図のてっぺんにあります。
つまりあそこで決断をせず、そのまま登り続けていたら遭難していました。
もう本当にギリギリの戦いです。
とにかく地図を見る限り、このまま下りて道路沿いにあるバス停に行けば帰れます。

本来なら九份でお土産を買おうと思っていましたが、
ほとんどのお店のシャッターは閉まっていました。
もちろん観光客の姿もほとんどありません。

脚立付きのカメラで夜の九份を撮影している人たちしか残っていませんでした。
彼らは帰りどうするんだろう?たぶん宿に泊るつもりでしょうね。
こんな時間にふらふらセーブポイント(宿)もなく歩いているのは自分くらいのものですよ。

シャッターの閉まった商店街(?)を抜けると大きい三階建てのようなお店の通りに出ました。

「ここで飯でも食べていくか。」

もう時間は21時を回っています。管理人さんから21時半がリミットと言われましたが、
はっきりした最終バスの時間は分かっていません。
こういうときに、自分の都合の良いほうに考えてしまうんですね。

"まあ、何とかなるだろう。"

断っておきますが、長谷インの脳ミソは暑さに茹っていて正常ではありません。
もう暑いんですよ、
とにかく。疲れてるし、暑いし、不安だし、まともな判断は期待できません。
ただ入るお店を探している暇がないのは重々承知していました。

"クーラー利いてます。"

長谷イン「ここだ!」

開いているお店自体が少ないので、選択肢はそんなに多くありません。
営業しているか確認しようとした矢先に、魅力的な文句を見つけました。
その一言に惹かれて、ふらふら近づいていくと中のおばちゃんに声をかけられました。

おばちゃん「ほらほら、入って入って!」

確か片言の日本語だったと思います。
もう台湾語だろうが日本語だろうが相手のリアクションで
言いたいことはほぼ汲み取れるようになりました。

おばちゃん「はいはい、選んで選んで。」

すごい勢いで煽ってくるので、いつものようにグダグダしている余裕はありません。
扇風機のある外のテラスに案内されたときは「騙された!」と思いましたが、
一方的に捲し立ててくる感じは嫌いではありませんでした。

そうでもしないとまたあーでもない、こーでもないが始まってしまいますからね。

メニューをゆっくり選べなかったので、台湾に来たらぜひ食べたかった小籠包と
麻婆豆腐とウーロン茶を頼みました。

こっちが値段を気にして躊躇していても、どんどん話を進めてきて
三つ選んだらやっと満足そうに奥へ引っ込んでいきました。

ギリギリの戦いの中でも、値段の計算を怠らない長谷イン。
ちなみに4日目前半までに食べた合計はおよそ2000円程度でしたが、
ここで食べた金額も2000円くらいです。

今にして思うと何であんなに値段を気にしていたんでしょうか。
ウーロン茶が一杯で600円だったからでしょうか。

あれは卑怯ですよ。
お冷もなく、死ぬほど暑い中ウーロン茶飲めば、そりゃうまいに決まってますからね。
台湾にきてようやく普通の食事ができました。
しかし疲れて頭がボーとしていたため、美味しいかどうかははっきり覚えていません。

3日目に食べた豚丼を10とすると、機内食7、小籠包&麻婆豆腐が5
といったところでしょうか。小籠包は美味しかった気もしますが、
帰りの時間が不安で舌鼓を打つ余裕はありませんでした。

湯婆婆並みの押しの強さに助けられた長谷インは、無事に観光地での食事を済ませて
今度こそ帰路に着くためバス停へ向かいます。

とにかく下へ下へと降って行き、やっと道路に出ました。
到着時の場所よりだいぶ下のほうに出てしまい、バス停までまた道沿いに
登って行かなくてはいけません。

忠孝復興駅行き、1062番のバス乗り場へ急ぎます。

ここへ着いた時点で悠遊カードが残高0であることを思い出し、
一旦近くのコンビニへチャージしに向かいます。

セブンでもファミマでもない地元のコンビニでしたが、レジの悠遊マークを見て安心しました。
中は閑散としていてお客さんは一人しかおらず、店員さんもウォークインに籠って
飲料の補充をしていました。

長谷イン「Excuse me.」
店員さん「・・・・・・。」

長谷イン「Excuse me!」
店員さん「・・・・・・。」

長谷イン「Excuse me!!」
店員さん「・・・・・・。」

長谷イン「Excuse me!!!」
店員さん「・・・・・・。」

長谷イン「Excuse me!!!!!!」
店員さん「・・・・・・。」

長谷イン「エクスキューズミィ゛ー!!!!!!」
バタン。
店員さん「・・・・・・。」

もうはっ倒そうかと思いましたよ。
いつもなら深夜の店員さんに取り乱すことは絶対にありません。
なぜなら深夜のコンビニで働いていたので、相手の状況がよく分かっているからです。

しかしタイムリミットは刻一刻と迫っています。
自分のエクスキューズミーの発音が悪くても、ウォークインの中にいて聞こえづらくても、
形振り構っていられません。こちとら命が懸っているわけです。

さきほど「最悪の事態を想定して」と言いましたが、そうはいってもです。
Gがわんさか出るような民宿に泊まれますか?って話ですよ。

ファミマのイートインはテラスだし、野良犬もいるため一晩過ごすにはちょっと不安があります。
寝ずにやり過ごそうかとも思いましたが、体力的にも限界で土台無理な話です。

朝になって宿に戻ったとしても、うっかり寝て帰りの便に間に合わなかったら
それこそアウトです。長谷インの「自由に打とう!13路に定石なし!in台湾」
が現実になってしまうかもしれません。

正確な帰りのバスの時間は分かりませんが、直感でもう相当ヤバいことは察しています。

ザッザッザッ。
はっはっはっ。

ザッザッザッ。
はっはっはっ。

重い体に鞭を打って山道をバス停目指して走ります。

ザッザッザッ。
はっはっはっ。

ザッザッザッ。
はっはっはっ。

ようやく始めのバス停に到着しました。
ここか、ここより少し先のバス停に行けば帰りの便があるはずです。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

え?
ゴシゴシ。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

いや、いや。
ゴシゴシ。

「・・・・・・。」

"平日 最終 21時30分"
"携帯 時刻 21時44分"

「はは、はぁ・・・。」

忠告通り、最終の時間は21時30分でした。

もうすべて終わった・・・。

そう思う気力すら残っていません。
ただ頭がボーっとしていて、静かに現実を受け止めていました。

そういえば、いつ思ったんだろう。
石段を下りて行く途中、Gに奇声を発せられたときかな。
そのとき確かにこう思いました。

"こんなところで死んでたまるか。"

町の造りが田舎のおばあちゃんちそっくりだったんですね。

"自分はこんな田舎で死ぬために東京に出てきたんじゃない。"
"囲碁を教えながら死ねるなら本望だ。"
"帰って皆さんの上達を見届けるまで死ぬわけにはいかない。"

そんな決意、思いとは裏腹に現実は非情なものでした。
最終バスを乗り過ごす。

言葉も通じないこんな田舎で。
体力も気力も何一つ残っていない。
もう何も考えられない。
綱渡りで紡いでいた糸は事切れました。

ついに長谷インの命運はここで尽き果てます。
そして未来への希望も。

グローバル囲碁旅行記 〜台湾前編〜 "完"

長谷インの来世にご期待ください。

2015/08/31

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記 ~台湾編その5~

〜次々回のあらすじ〜

台湾三日目にしてようやく神の味、食の神髄を知ることができた長谷イン。
さらに海峰棋院の若手プロ棋士に囲まれたり、学習生と一戦交えるなど怒涛の展開が
繰り広げられることに。はたして次の台湾棋院では無事リベンジを果たすことが
できるのか!?

皆さんこんにちは。
時をかける青年、長谷インです。
常々、時を駆けたいと思いを馳せながらも、時間ばかり掛けている今日この頃です。
今回は4日目後半へタイムリープします。


台湾編その5「魔境九份、地獄へのいざない」

ようやくすべての任務を終えた長谷インのHPは限りなく0に近づいていた。
ここに至るまでの苦難、苦闘の数々。

彷徨い歩き、幾度となく過ごした永遠の時間。(計20時間以上)
検索して、翻訳して、接続不良のネットを繋ぎ直すのにどれくらい手間を費やしただろう。

さあ、もう休もうか。
すべては終わった。
あとは明日の帰国を待つばかり。

"戦いの 終わりを告げし 黄昏の 陽が沈むのは 我が心なり"

グローバル囲碁旅行記 〜台湾編〜 "完"

って、おいおい。そんなわけないでしょ?!

台湾まで来てミッションコンプリートして「はい、さようなら」って
そりゃないよ、不二子ちゃん。
そりゃ行く前は「他のことには興味ありませーん!」って感じだったけど、
ここまで来たら普通に観光したいわ。

もう取材(のために歩き回るの)が辛くて辛くて終わったら絶対観光してやるんだって、
すでに二日目から思ってましたよ。しかし、そうはいっても予想以上に時間が掛かり過ぎて
しまったのも事実。台北101のタワーを目視したときは上りたい気持ち半分、
諦め半分でした。

時間的にもう九份(キュウフン)と故宮博物院に行けるかどうか。
もう噂の夜市には行ったし、台北101も遠目に見たのであとはこの二つだけ。
時刻はもう18時目前。

いくら九份の夜景が綺麗といっても行って帰って来れるかどうか微妙なところ。
忠孝復興からバスで1時間半の道のり。

管理人さん「九份の最終バスは確か21時台だったから気を付けたほうが良いですよ。」

今から忠孝復興へ戻ってバスに乗れば19時半に現地へ着ける。

「行ける・・・いや、行くしかない!」

いざ、千と千尋のモデルとされている聖地へ。
この機を逃すわけにはいかない!

ザッザッザッ。

ザッザッザッ。

さて、ここでQuestionです。
「ザッザッザッ。」この擬音は何を表しているのでしょうか?

答えは簡単。長谷インが彷徨い歩いている音でした\(^o^)/

って、おいおい。
そんなわけないでしょ?!

忠孝復興駅のすぐ近くにバス停があるんですよ?
管理人さん「電気屋の前だから探してみて。」
今朝、聞いたときにはすぐにでも見つかるような口ぶりでした。

というか、そもそもネットでバス停調べてるんだけど。

そしてないんですけど。
時間もないんですけど。
どうしようもないんですけど。

諦めますか? Yes or No?
No! I go to jiu fen.

このときは本当に困りました。
確かに載っているはずのバス停に九份行きの番号がありませんから。

10分、20分、30分・・・。

ただでさえ時間がないのに、無情にも時の流れを止めることができません。

40分、50分、一時間・・・。

ん!?
んん?!
こ、これは・・・。

「九份行きのバス停は101年に場所が変わりました。」

いやいやいや、マジっすか。
地図通りに移設した場所へ行ってみると30秒足らずで着きました。
そりゃないよ、不二子ちゃん。

さらにダブルショックだったのは、101年という数字です。
2010年だったら「010年」っていう表記になるはずだし、いったい・・・。

どうやらこれは「中華民国暦」のようです。
中華民国暦101年は西暦2012年、平成24年に当たります。
いや〜とんだ見損じでしたね、しかし。

駅の周りをですよ。
一時間もバス停を探して歩き回りますかね、普通。
場所が分かれば30秒って、そんなアホな。

ちなみに最終日も空港行きのバス停を探して忠孝復興駅の周りを一時間以上歩き回りました。
これが噂の長谷イン☆クオリティーです。

このとき限界に近づいていた体力がついに空になりました。
もう一歩も動けましぇーん、ってなもんですよ。
本当にこの4日間死ぬほど歩いたあげく、さらに駅の周りをぐるぐる歩き回るわけ
ですから精神的にも限界です。

ようやくバスに乗ることができたのは19時頃でした。
バスの中では今後の台湾囲碁界の行く末とかDNAのこととか考えていました。

"人はDNAを運ぶ船"・・・って、そんなこと考えだしたらもうお終いですよ!

思考力がこの上なく下がっていて、延々とよく分からないことに思いを巡らせていました。
バスに揺られながら、疲労のピークで集中力が切れています。

「あれ、今どの辺だっけ?」

街を過ぎて山道をどこまでも登っていく中、言いようのない不安がこみ上げてきました。

「これは・・・通り過ぎたらおそらく戻れなくなる。」

九份が終点間近であることしか確認しておらず、前後の場所はよく見ていませんでした。
また疲れて一番後ろに座っていたので、次のバス停の表示も見えません。
(このときは表示されないものと思い込んでいました。)

確かネットには「多数の観光客が降りるから、それで分かります!」とか
書いてあったけど・・・。山道を登る中、一人また一人と乗客が降りて行きます。

「結構降りて行ったけど、大丈夫だよね?」(震え声)

何もない山道から人気が出てきて、まさにここら辺かというところまで来ました。
このとき途中で乗ってきたサラリーマンの男性が隣にいて、ちょっと降りづらく
なっています。しかし、ここ2、3回の停車で明らかにまとまった人が降りて行きました。

ぐぅ・・・ここまでか、いやここか!
えい、やあ!

長谷インは英断を下し、バスから飛び降りました。
(おそらく一つか二つ過ぎてしまったけど、山道を降りて行けば大丈夫のはず。)
確認のため、バス停の表示を確認しました。

「・・・・・・。」
「あれ、まだ全然手前だった?」

そこにいたおじさん「*******!?」
(脳内翻訳)「君!どこに行きたいの?」
長谷イン「ここに行きたいんですけど・・・。」
おじさん「*******!」
(脳内翻訳)「そこはまだ先だよ。もうすぐ次のバスが来るから待ってな!」
長谷イン「谢谢。」

今にして思うと、普通に向こうの話が聞き取れた気がするんですよね。
このときはもう"言葉じゃない何か"で会話ができていた気がします。
台湾4日目にしてようやく環境に順応できた長谷イン。
そうこうしているうちに、九份行きのバスが来ました。

おじさん「おいおい!手を上げなきゃ止まらんよ。」
長谷イン「(;゚Д゚)」
バッ!

プシュー。
長谷イン「谢谢!」

何とかおじさんに助けられて、またバスに乗ることができました。
今度は間違えないように一番前の席へ。
次のバス停はちゃんと表示されていました。

そもそも初日にバスで忠孝復興に向かったときも表示されてたし、
そういえばまだ一時間半も経っていませんでした。

もうね、あれですよ。
体力と思考力が落ちて、通常の行動が取れなくなっています。
精神的にもとっくに限界を迎えています。

だが、しかし。
千と千尋のモデルと呼ばれし聖地を見るまで、一歩も引くことはできません。
散々地獄のようなミッションを終えた今、最後に楽しみがあってもいいじゃないですか。

山道を越えた先にはまた街があって観光客らしき女の子たちが乗りこんできました。
おそらくバスの直行便ではなく、途中まで電車に乗ってきたのでしょう。
目的地が近くなってくると、一人の女の子が前のほうへ来ました。

女の子「*******」
(脳内翻訳)「九份ってまだですか?」
長谷イン「あ、あう・・・あ、あ。」
(喋れませんのバッテンポーズをしながら)
長谷イン「ジャパニーズ。」
女の子「チッ。」

たぶん意図的に舌打ちしたわけではないんでしょうね。
「チュッ」くらいのガムでも噛んでいるような音でしたから。
しかしこちとら凄まじいほど神経が研ぎ澄まされているわけですよ。

複数組のリア充(^_-)-☆な女の子たちとは相反して、一人でタイムリミットへの
不安と戦っているわけです。到着時刻が20時半だとすれば、リミットは一時間になります。

結局、その子は運転手さんに聞いていました。
自分もその子達と同じところに降りれば良いので、助かったといえばその通りです。
見た感じ韓国、もしくは中国の子たちでしょうか。
メイクやファッションが日本と同じで、まったく見分けが付きません。

そうこうしているうちにようやく九份に到着しました。
ついに待ちに待った千と千尋の聖地に到着です。
ただ長谷インの胸の内には、筆舌に尽くし難い不安が溢れていました。

もしかしたら、いや・・・。
自分の人生はここで終わるかもしれない。
そのときは具体的にそう思ったわけではありません。
ただ蒸し暑さも相まって、全身に嫌な空気が絡みつくのを感じました。

"時僅か 逸る気持ちに 相まって 暑さと共に 不安を纏う"

この先にいったい何が待っているのか。
果たして長谷インは魔境の巣から無事に帰ることはできるのか?

次号へ続く。

2015/08/19

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記~台湾編その4(続き)~

〜前回までのあらすじ(三行)〜

・お店に入れず食事できない。
・いろいろ言い訳して尺だけ取る。
・碁会所で囲碁打ちました。(今ここ)

皆さんこんにちは。生粋の薩摩隼人、長谷インです。

<益荒男ランキング> 薩摩隼人>九州男児>日本男子(大和男児)

上記のように「男らしさ」の日本ランキングでは薩摩隼人が群を抜いています。(長谷イン調べ)世界的にも「侍」の精神は高い評価を得ていますから、薩摩隼人が世界一の男らしさを誇るといっても過言ではないでしょう。

しかしコミュニケーション能力を問われれば、日本は島国のため歴史的にも後れを取っている
と言わざるを得ません。また田舎に行くほど「村社会」になっていきますから、日本の端である薩摩藩まで行くと鎖国の江戸幕府の中でもさらに閉鎖的な環境になります。いろいろ好き勝手言ってますが、男らしさとコミュ力は反比例するのではないかということです。

ただ例外はあるもので、薩摩隼人の長谷インは白いカラスさながら男らしさが綺麗に
色落ちしているわけです。男児力、コミュ力が比例して著しく低いという生粋の小食系男子
である長谷インは、二日目の晩飯にありつくことができるのだろうか・・・!?

台湾編その4「(二日目後半戦)そうだ、ポエムを書こう!」(つづき)

毎回余計なところに尺と力を注いでいるので、今回はテンポアップして書いて行きます。
棋聖模範棋院(碁会所)を後にした長谷インは晩飯を求めて行動を開始します。
さて、どこで食べようか。さすがに今夜は無策ではありません。

目指す駅は「台北メインステーション」(台北車站)です。
多くの日本人宿がここ台北駅に集まっており、松山空港および桃園空港から旅行者が
一番最初に目指す駅でもあります。

初日に時間があれば寄ろうと思ってましたが、いろいろ手こずったので
叶いませんでした。(その2参照)

宿泊先である忠孝復興駅とも三つしか離れていないので、何かおいしいものでも
食べて帰るにはちょうど良い距離です。時間は午後7〜8時くらい。
ご飯はすぐ食べ終わりますから、まだ少々時間があります。
(本当は宿に帰って翻訳作業、明日へ向けての準備があるのですが。)

まあ、小学一年生から居残りを経験している宿題嫌いの長谷インは後回しが得意技になって
います。明日への準備もありますが、晩飯ともう一つ寄っておきたいところがあります。

それは「龍山寺駅」です。
ここの駅を降りたすぐ近くに野外で碁を打っている人たちがいるらしいのです。
これはいい加減なネット情報ではなく、現地の日本人宿で得た確かな情報です。
(二名の証言)
囲碁取材は翻訳の壁を越えないとなかなか厳しいでしょうが、今回は野外で
「打っている」そうです。

囲碁は別名「手談」です。
現に碁会所に行って囲碁を打っているときだけは言葉(気持ち)が通じました。
(何を言ってるのか分りませんでしたが、それでも伝わるものがあります。)
明日以降のスケジュールを考えると一日も無駄にはできません。
ただ碁会所で打ってきました、では台湾囲碁視察にはなりませんからね。
現地でしか確かめられないことを目の当たりにするのが、今回の目的でしょう。
さっそく龍山寺駅を目指します。

台北駅から二駅、忠孝復興から五駅しか離れていないので移動は楽なものです。
余談ですが、台湾の電車は座席がすべてプラスチック製です。
(球場や競技場の椅子が繋がっているような感じ。)

何の違和感もなく乗れましたが、日本との微妙な違いにやっぱり外国だなぁと実感します。
最初はもっと外国をイメージしていたので、日本と大差ないことに驚きました。
慣れると今度は日本との違いが目に付くようになります。向こうは道路が綺麗に区画
されていますから、電車での移動よりバイク、車の利用者が多かったです。

故に満員電車なんて都心のアホみたいな通勤、帰宅ラッシュはありません。
上には大きな道路が整備されていて、下では地下鉄が走っているわけです。

さて、龍山寺駅に着いた長谷インを待ち受けていたものは意外な光景でした。
まず漂う雰囲気が何か独特な、尋常ではない様子です。
「場末」もしくは「世紀末」という言葉が似合います。
明らかにほかの場所とは一線を画します。
ここには多くの仏教徒らしき方々が集まっていました。

事前に調べて行く人はそういう場所だと分かっているのでしょうが、
ここはまったくのノーマークでしたからね。
駅を降りて辺りを歩くとすぐに「例の人たち」を見つけることができました。
そうです、野外で囲碁(らしきもの)を打っている人たちです。
石造りの椅子のような、座れるところに何やら盤を挟んで何人か打っています。
近づいて見てみると・・・。

「・・・・・・。」

「これは、囲碁じゃない。」

まず目に付いたのは石です。
白石が何かクリスタルっぽい半透明の素材で、黒石も何か微妙に違います。
この瞬間、思い描いたのは「オセロ」です。
石が平べったくて、かつ盤の大きさやマス目がオセロのようです。
この時点ではもう辺りが暗くなっていて、近眼の長谷インには薄明りのため良く見えません。
しかし、よく盤上を見てみると「囲っている」動きをしています。
囲ったと思ったら、石をいきなり盤外に落としました。

「何なんだ、このゲームは。」
「まったく未知のゲームをしている。」

そのときの心理状態は形容しがたいものがあります。
なぜならまったく未知のゲームでありながら「囲うような動き」が見て取れるわけです。
"ゲーム性はおそらく囲碁と似たようなものだろう、しかしまったく解せない。"
まるで漢字を知っているのに中国語がまったく分からない、そんな感覚に陥っていました。

(勇気を出して声をかけてみようか。)

言うまでもなく、それは断念しました。
"こんな場末の雰囲気が漂う中、戦後の賭場にいるようなおじいさんたち(適当)に
話しかけられるわけがない。"

一度その場を通り過ぎてしばらく辺りをプラプラしました。
囲碁じゃないのは明らかですが、未知のゲームの正体を突き止めたい気持ちもあります。
そこでもう一度だけ、よく近づいて見てみることにしました。

(これは・・・盤のマス目が9だから・・・、いや9×8?!)
(良く見ると斜めの線が走っている・・・もう一方にも。)
(ん、良く見ると白石に何か書いてあるけど・・・これは。)

「まさか、これは軍人将棋なのか!?」
このゲームはおそらく軍人将棋であることが判明しました。
通常の盤や駒とは違いましたが、盤上の進行を見る限りではそれ以外考えられません。
ルールも多少違うようです。軍人将棋には駒の強弱を判定をする審判がいるはずですが、
皆二人でやっていました。

宿の情報では囲碁ということでしたが、これは見間違うのも無理はありません。
一見すると囲碁のようですが、長谷インの目は欺けませんでした。

予定よりも早く取材イベントが終了してしまったので、龍山寺へ行ってみることに。
寺の入り口に電光掲示板がありますが、あれ何とかなりませんかねぇ。
目の前が道路なので標識代わりかもしれませんが、寺の雰囲気ぶち壊しです。
しかも門の上とかどういう神経してるんだって位置取りですよ。

神経といえば外国人観光客のマナーのひどさったらないです。
外から写真撮影するのは(観光地の役割も果たしているので)構わないと思いますが、
本殿の中でも携帯を掲げていますからね。

深々と頭を垂れている方々に少しは遠慮しろよと思っていた矢先、何か自分まで
厳しい視線を送られている気がしてきました。
仏教徒ではないし居づらい雰囲気だったので、その場は早々に立ち去りました。

ちなみに旅行中は断りもなく誰かを撮るようなことはしていません。
そんなことは当たり前だって話なんですが、本当は軍人将棋のところとか
いろいろ撮りたい場所はありました。ただどうしても個人が入ってしまうとまずいので、
不特定多数の人以外がフレームに入る場所は遠慮しました。
思い出は胸に焼き付けておくのが良いということでしょうね。
ある意味、この旅行記を思い出のメモ代わりにしていますから良しとしましょう。

しかしまあ、ここまでやっぱり尺を使ってしまいましたね。
タイトルの「ポエム」の話を早く書きたいのに全然話が進みません。
そもそも晩飯にありつけるのかどうか、ってことでした。

龍山寺ではちょっとした滝とか寺の外の光景をパシャパシャ撮りながら一つの思いを
抱いていました。

「もしかしたらこの旅行は何も為せずに終わるかもしれない。」
「写メもほとんど撮ってないどころか、歩行者信号や看板を写している始末。」
「ほかの人が当たり前にしている思い出作りすら満足にできていないのではないか?」

囲碁取材がメインの旅行だったのに、期せずしてほかの観光客を目の当たりにしたことで
心境が変わりました。
昼に戦いの場から離脱して、囲碁を打って、今は観光地で一人自問自答しています。
龍山寺駅にきたのは観光目的ではありません。

それでも周りのリア充(^_-)-☆な人たちを見ていると、ひとりでいることに
惨めささえ感じてしまいます。とにかく飯を食べて明日の準備をしよう。
時刻はもう午後9時頃です。昨日の晩から何も食べていませんから、さすがにお腹が
空いています。明日への希望をつなげるため、長谷インは場末の龍山寺をあとにしました。

いよいよ、台北駅でLet’s 晩飯タイム!
これ書こうかな、やめようかな。
端的にまとめると約2,3時間ほど彷徨い歩いて、お店には入りませんでした。

途中の過程もお話しましょうか?結構ですか、では仕方ありません。
尺もあまり残っていないので、端的に書いていきましょう。

まず金銭感覚です。
ガリガリ君29元(116円)に衝撃を受けた庶民感覚はいまだ健在です。
(※最近、アイスケースで見たガリガリ君は税込59円!でした。)

そうです、何だかんだ言いつつも安いところを探しているわけですね。
初日に入った店は不味いけど安い。
天秤にかけるとおいしいご飯より、お手頃なお値段なわけです。

また保留、保留と先延ばしにするのも直っていません。自分の得意分野、または
やりたいことに対しては、瞬時に判断して決断することができます。
しかし一人暮らしが長いせいか、ご飯を食べるのは楽しみではなく
割とめんどくさい作業になっています。
外で食べるとお金かかるし、家で作ると手間だしなぁ、とか思っているわけです。

普段からそういう意識なので、台湾でも別においしいものを食べることは楽しみにはしていません。ただ旅行記を書くのは至上命題ですから、イベントは多いに越したことはありません。

「小籠包美味しかった ^^) _旦~~」

こんなテンションで書ければ良かったのですが、現実はそう甘くはありません。
何といっても大きいのが言葉の壁です、それを一番気にしています。
結局、先延ばしにしていくだけで一向にお店に入る気配がありません。
さらに台北駅から地下街をてくてく歩いて行くと、多くが閉店時間でシャッターは
ほとんど降りている始末です。

全然活気がない地下街を一つ先の中山駅方面に向かってずうっと歩いて行きます。

"何とかしなくてはいけない、でも何もできない。"

いくら海外とはいえ、ご飯を食べるのにここまで追い詰められる人がいるでしょうか?
お金は持ってるんだから適当に入りなよ、って自分に言い聞かせていました。
そして地下街を歩きながら、自分の大好きな日本のアニメ関連のポスターや広告を
パシャパシャ撮っていました。

そんな意味不明な行動をしていても、事態は一向に改善しません。
そのうち行き止まりになってしまいました。
仕方なく地上に出て中山駅から折り返そうとすると・・・。

「・・・・・・。」

一面大きい道路で、駅らしきものは見当たりません。
地下に戻って壁の地図をよく見てみると・・・。
上を目指していたつもりが、真横に突き進んでいました。
ここから帰るには今歩いてきた道を引き返すしかありません。
ここまで歩くのに一時間〜一時間半程度は掛かっています。

さすがにお腹ぺこぺこ、午前中から歩き回ってもうへとへと。
泣く泣く、進んできた道を引き返しました。
しかしものは考えようでこれは大きなチャンスでもあります。

今まで保留にしてきた店舗を再度通ることになりますから、
今度こそ入店できないわけがありません。果たして・・・って、
さっき入りませんでしたと言ったばかりでした。

別に店内に入るような形式ばかりではなく、店頭でも売ってるしオープンに
なっているところもあるわけですよ。

ある意味妥協しない、余計なところばかり頑張る長谷インだからこそ
すべてスルーできるわけです。ボロボロになりながら宿のある忠孝復興駅に帰ってきました。
ホントにもう暑さで誤魔化しきれないほどの空腹と疲労に襲われています。

"最後の最後、の最後の最後"

最終的な策は用意していました。
それは昨晩から目を付けていた「老蔡水煎包」屋に行くことです。
(具入りの饅頭みたいなやつ)このお店はMRT(地下鉄)の入り口を出て
すぐのところにあり、店頭で販売しています。

"台湾でおいしいものを食べたかったら人の集まるところへ行け"

通行人がちらほら寄っていくここなら、味は少なからず保障されているはずです。
(昨日の食堂みたいなところはお客さんが少なかったです。)

もうこの時点でいろいろな限界を超えています。ここで買えなかったら昨日のまずい食堂へ
行くか、コンビニの弁当で済ませるしかありません。そんなことは薩摩隼人、烏鷺侍の
長谷インのプライドが許しません。ここまで散々歩き回って、ヘトヘトのペコペコに
なってもチンケなプライドだけは守り抜きます。

ええい、やあ!

「これとこれとこれ、一つずつください!!!」

メニューを指さしながら聞き返されないように全種類頼みました。
指さして一つずつのサイン出すだけですよ、やっとできました。

やっと、やっとアゲハマ一つ取ることができました。カス石だろうが何だろうが、
これが月よりも遠かった最初の一歩です。

宿泊先の前に公園があったので、貪り喰らい尽くしました。
夢中で食べながら(写メるんだったか)と思い返しましたが、そんなことはもう
どうでも良いです。思い出よりも、レポートよりも目の前の饅頭です。

三つ食べてあっという間にお腹が膨れました。大した量じゃなかったんですが、
暑いので満腹中枢をすぐに刺激されます。

やっと・・・やあっっと・・・、やああっっっと!!!の思いです。

飯を食べるのにこれほどのことがあろうか、いやなかろうか。

"ありました"

これが長谷イン☆クオリティです。

いまだかつて、こんなアホみたいな旅行記見たことありませんよ。
ご飯でわくわく、食べては美味しかった( *´艸`)が定番ですからね。
ちなみに饅頭の味は、確かまあまあでした。

味を楽しむレベルをはるか超えて、生存をかけた野生の空腹との戦いだったため
記憶が曖昧です。でも豚のやつはうまかったなぁ、台湾に来てからずっとブタな展開が
続きます。コンビニで飲み物を買って、ようやっと宿に帰ることができました。
深夜の店員さんの態度は相変わらずでしたが、やっぱり平常運転というのは落ち着きます。

二日目は戦いきれず撤退を余儀なくされ、かといって妥協もせずで大変な一日でした。
(妥協=コンビニ弁当)

良かったのは対局だけです、本当に疲れました。しかし、まだ保留にしていた最後の仕事
が残っています。時刻は午後11時をとうに回っていますが、ここからオフラインの
翻訳アプリをダウンロードしなくてはいけません。さらにPCでもやれることは
やっておこうと、簡体字のピンインもダウンロードしておきました。

皆さんのPCは日本語か英語(アルファベット)入力だと思いますが、中国語でも打てる
ようにしたわけです。なぜなら簡体字でしか出せない漢字があるからです。

「你好。」の"你"でさえ普通は出せないはずですからね。

とにかく肝心なのはオフラインでの翻訳、特に音声翻訳が可能なことです。
このときはそれができると信じていました。
(夜遅くになってしまい、音声翻訳を検証することはできませんでした。)
2、3時間で作業が終わり、やっと午前2時くらいに寝ることができました。

それにしてもクソ暑くてなかなか眠れず、扇風機をかけても音がうるさい始末です。
このとき精神的に散々追い詰められていた長谷インですが、楽観的思考回路はまだ
死んではいませんでした。眠れない中、いろいろ考えていたらある名案を思い付きました。

"そうだ、ポエムを書こう!"

自分の気持ちを縛っているのは、何よりも帰国後の旅行記です。
失敗する分には書くことがあるから構いません。
問題なのは何も為せずに、ただナメクジのように暑さに干からびて萎びれてしまうことです。

二日目は碁会所でたくさん打ってきました、これでは何もしていないのと同義です。
かくなる上は、こんな惨めな思いを詩にしたらどうか?と思い立ったわけです。
心の描写を詩のようなタッチで書いて行こう。

これで旅行記を長編10連載にできるんじゃないか!?
このときはそんなことを本気で考えていました。

"あの夏もこんな猛暑だった・・・。"

しかもあろうことか、高校生編から語り始めようとしていましたからね。
入学して初めの3か月間は一言もしゃべらずに学校を行き帰りすることが日常茶飯事でした。

※その頃から重度のカオナシ(面目なし)だったわけですが、夏休みにヒカルの碁を
読んで囲碁を始めたおかげで変わりました。

二日目の夜にして、すでに相当追い詰められていることは察してください。
このときはもう暑さで頭がやられていて、わくわくしながらポエムのことを考えていました
から。そんな夢とも現とも分からない境の中で、二日目の夜は静かに更けて行きました。

次回「海峰棋院、ナショナルチーム」に続きます。
(※内容によっては「神の味、究極の一品」に変更するかもしれません。
あらかじめご了承ください。)

"後日談"
今こうして旅行記を書いているわけですが、こんな文量になるとは思ってもいませんでした。
ポエムどころの話ではないですよ、ホント。3日目からが本番で、いよいよこの珍道中も
佳境に入ります。ここから先は自己満足のマイペースで書いていくので、期待せず気長に
お待ちください。

2015/08/09

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記 ~台湾編その4~

〜前回までのあらすじ〜

無策のブタ(役なし)でフォールド(降りる)宣言をした長谷イン。
明日への策を練りながらも一向に改善しないコミュニケーション能力に不安を抱えながら
戦場を後にすることに。

このまま本当に何もできずにただのブタ野郎(役立たず)に終わってしまうのか。
それとも・・・・!?


皆さんこんにちは。
囲碁歴もうすぐ12年、彼女いない歴4年の長谷インです。
彼女なんていたことあったんだ、って自分で思う今日この頃ですが
「こんなカオナシとお付き合いしてくれるなんて、千(千尋)のような人だったんだなぁ」
と、この旅行記を書きながら思い返す次第です。

今回は長編の旅行記となってしまったわけですが、まだまだ先の長い展開が続きます。
読み飽きないように下に今後のタイトル(予定)を載せておきましょう。

台湾編その4「(二日目後半戦)そうだ、ポエムを書こう!」
その5「海峰棋院、ナショナルチーム」
その6「うれしいとびっくり」
その7「お礼状は三か国語」
その8「魔境九份、地獄へのいざない」
その9「Time is life」
その10「再见!機内食は未来への希望」

※このブログは石音の提供とご覧の皆さまの応援でお送りしています。
(席亭の彼女、IGOホールディングス若柳イン、Q位者の集いメンバー、囲碁友達)

「(二日目前半戦)そうだ、ポエムを書こう!」

台湾棋院(とおぼしきビル)を後にした長谷インは二つの選択肢を考えていました。
一つは宿に帰り、翻訳の準備をして明日への態勢を万全にしておくこと。
もう一つは別の取材地に赴くことです。

時間は午後4時くらい。
朝から行動していたにも関わらず5、6時間を散歩とネット検索に当てていたので、
残された時間は多くありません。なぜなら宿に帰っての翻訳作業、というより準備には
何かと手間が掛かるだろうと予想していたためです。

"オフラインでも使える翻訳アプリさえダウンロードできれば、形勢は一気に逆転するはずだ。"

この一事を頼りにするしか、もうほかに手立てがありません。
今からほかの取材地へ向かうのは策もなしに二の舞いを踏むことになるとお思いでしょうが、
一か所だけ当てがあります。

それは「棋聖模範棋院」なる碁会所。

ここは日本の方も腕試しに訪れるということ(ネット情報)
さらに日本語を話せる方もいるということ(ネット情報)
で有力な取材候補地の一つです。

何よりも碁会所というのがミソなところです。
どんな展開になろうとも碁石さえ握れれば長谷インに敗北はありません。
迷った挙句、棋聖棋院に行くことにしました。

さすがにここで宿に帰ってしまっては二日目を丸々棒に振ることになります。
それは帰国後の旅行記がノルマになっている長谷インにはハイリスクな選択と言えるでしょう。
(とにかく行動すること、死んでも騙されても良いから何かしらエピソードを作ること。)

そんな思いを胸にいざ、棋聖棋院へ足を運びました。
と、その前に重要な情報を付け加えておきましょう。
この時点で長谷インは朝から何も食べていません。

時刻は午後4時、5時ですよ。
実はもう暑くて暑くて全然食欲が湧かなかったんですね。
それでも時々お腹が空きます。

空いては暑くて食欲がなくなり、またふとしたときにお腹が減ってきます。
「碁会所に行く前にまずは腹ごしらえだ!」
ということで「棋聖模範棋院」の看板の写メだけ撮って、食べるところを探しに向かいました。
しかし、まあ・・・。

お察しの通り、その通りです。
また「お店に入ったら死んでしまう病」に侵されてしまいました。
皆さんはお店に入っても死なないと思いますか?
自分としては死ぬことになれば本望です。
旅行記は三途の川で書いて、あとは成仏すれば良いだけの話です。

しかし現実的には日本とほぼ変わらない台湾でそうそう死ぬことはありません。
一番恐ろしいのは、眼二つの窮屈な格好で生かされることです。
お店に入ってオタオタ、モタモタした挙句、店員さんにそれなりの対応をされては
武士の恥というものでしょう。

そんなチンケなプライドを捨て切れずにまたもや街をウロウロしています。
「もうどこかのチェーン店でいいや。」
この旅行記には「長谷インの食レポ」も載せようと思っていたので、
チェーン店での妥協は残念でなりません。

台湾まで来てまさかマックに入ることになろうとは・・・ということでマックに入店しました。

(ウィーン。)

「・・・・・・。」
「・・・・・・。」

(ウィーン。)

入って20秒で外に出ました。
チェーン店で妥協するつもりでしたが、そもそも日本のマクドでもよう入りませんわ。

メニューが上のほうに表示されているのは日本と同じです。
いつも目が悪くてレジ前のメニュー表を見ているのですが、それがなかったんですね。
あったかもしれませんが、ないように見えました。

とにかく白石に近づけば攻められて苦しくなるという下手心理がいかんなく発揮されて
しまったわけです。結局、食事は諦めました。

碁会所に向かう途中で吉野家やほかのチェーン店もちらほら見かけましたが、
保留、保留の気持ちで最後は食事まで保留にしてしまいました。
しかしこの道中で見つけた吉野家には後々入店することになります。
「神の味」と評すべき一品をこの吉野家で味わうことになるとは、このときはまだ
知る由もありません。


今、ここまで書いて全然話が進まないことに焦りを感じています。
ここまでの話が全体の約10分の2くらいです。
ここから棋聖棋院〜台北砂漠まで書くとなると、かなりの文量になります。

某席亭の彼女さんに話が長いとか、某記者の囲碁友達に文章がくどいとか散々言われましたが、
今回もここからが本題になります。

その前に皆さんに一つ留意していただきたいことがあります。
それはたいして行動してないために、話の内容が薄いということです。
旅行記その1〜3までを読んでいただいた方には分かると思いますが、
これまでのあらましをまとめてみます。

その1「機内食は未来への暗示」
・打ち合わせでのグーグルアース発言(失言)が発端で台湾行きが決まってしまうことに。
・何の準備もしないことで後々やばくなるとも知らずに意気揚々と台湾に到着。
・機内食の「チキンorブタ?」が後の運命を暗示していたとは。(臆病者か役立たずか)

その2「到着後〜二日目、ひとならざる者」
・空港から市内に向かうバスに乗るのに悪戦苦闘、ここで言葉の壁を思い知らされる。
・宿が(貧乏)仕様だったがそれは想定通りで大いに満足、ガリガリ君と爽のお値段が
2倍弱とこちらは大いに不満を感じる。
・晩飯を食べに外に出るもお財布と勇気を紐で縛っているためなかなか入れず、
やっとの思いで入ったところが普通にまずかった。

その3「二日目前半戦、ビーフorチキンor・・・?」
・Suicaの代わりになる悠遊カードのチャージがうまく行かず、おばちゃんに声をかけられるも
「あ、あう・・・あ、あ。」とひとならざる者(ただのカオナシ)の対応をしてしまう。
・ネット情報で得た台湾棋院の場所へ向かうも探し回って2時間、いざ扉の前に立つまでに
3時間も掛かってしまう。
・結局、翻訳機なしでは勝負にならないことを悟って撤退することに。

まとめると各回、三行で終わってしまいますよ。

台湾から命からがら帰ってきて、まず関インに旅行のあらましを話してみました。

長谷イン「いや〜もう大変でしたよ、迷子になって迷子になって迷子になって・・・
計20時間以上は歩きましたね。」
関イン「いやいや、タクシー使いなよ。時間の無駄でしょ。」

この一言で心がKOされましたよ、ホント。
確かに台北のタクシーが安いのは行く前に調査済みでしたが、そんな発想は
微塵も出てきませんでしたね。

あと「日本語を話したい大学生とアポとって飯でもおごって同行すればいいじゃん」って、
そんな発想は微塵も出てきませんでしたね。

確かにタクシー使えよって話で、日本語を話したい大学生とのアポも
事前にできなくはない話だなと思います。

”駄菓子菓子(だがしかし)”

文字通り命がけで帰ってきてそんな正論言われてもなぁって話ですよ。

やはり事のあらましだけ説明するとそういう反応になってしまうわけですね。
27歳でどうのこうのと言われましたが、初めては皆子供ですよ。
海外初心者、囲碁以外はポンコツであるという前提の元に話を進めないと皆さんに
正しく伝わりません。例えるなら、白模様に単身突っ込んでいく黒石です。
ヨミなし、利きなし、当てもなしってところでしょうか。

ちゃんと心理描写や細かい状況を説明しておかないと、どんどん愚形で目も当てられない状況に
陥っていく長谷インをうまく表現できません。

「台湾旅行楽しかったぁ( *´艸`)ああだこうだぁ(^_-)-☆」
くらいのテンションで書きたかったんですよ、本当は。

閑話休題。さて、ここからが本題です。

これまでコミュ障が祟ってコンビニ以外入れなかった長谷インがついに
碁会所の敷居を跨ぎました。

「あ、あう・・・あ、あ。」(声にならない音)

相手も一瞬「え?」ってリアクションです、見た目では台湾の方と区別できないですから。
オタオタしている姿を見て「日本人?」と声をかけてもらったので、「はい。」と答えて
何とか入ることができました。情報とは違い、片言の日本語しか話せる人がいません。
日本人の日本語レベルを10とするなら1か2くらいのものです。

受付のおばちゃんが「〇〇さん」(台湾語)と日本語しゃべれるおじさんを呼んでいましたが、
大同小異でほとんどしゃべれません。しかし良いのです。
もうここは黒模様の中、長谷インのホームといっても過言ではありません。

だってここは囲碁を打つところでしょう?
長谷イン+囲碁=何か良く分からない自信、水を得た魚、猛暑日の麦茶のようなものです。
散々アウェイのなか悪戦苦闘してきましたが、ついに長谷インのターンがやってきたわけです。

「俺のターン、ドロー!」(某漫画より引用)

やっと自分のターン、ようやく勝負カードの一枚目を引くことができたわけです。

先に席に案内されそうだったので、席料がまだという行動
(ただじっとしているだけ)をとりました。

<理解度> 碁会所のシステム>>マック

ここまでくれば、もう余裕の態勢ですよ。
うちの庭みたいなもんじゃて、ほっほっほ。

席に着くと打ち慣れてそうなおじさんが対面に座りました。
「英語しゃべれる?」(英語)
「ちょっとだけ。」(英語)
「娘が東京に行ってるんだよ。」(めちゃくちゃ流暢な英語)
「Oh!東京!」(めっちゃ良いリアクション)
「〜〜、東京ユニバーシティに行っててさぁ。」(超自慢げ)
「?」(いきなり反応が止まる)

おじさん「東京だよ、東京。」
長谷イン「Oh!東京!」
おじさん「東京ユニバーシティだよ。」
長谷イン「?」(真顔)
おじさん「???」(不可解)

要は娘が東京の大学に行ってるっていう世間話をしてくれたわけですが、
「ユニバーシティ=大学」というのが分からなかったんですね。
娘が東京に行ってるってところでめっちゃ良い反応したのに、
大学ってところで「?」←これですからね。
最後まで伝わらなかったので、おじさんもお手上げみたいでした。

さて、そんなこんなでいよいよ対局開始です。

打つ前に「おやっ?」と思ったのが、碁笥の蓋がないことです。
台湾の囲碁は中国ルールのようで、取った石はアゲハマとして数えず
相手の碁笥に返します。ほかのところも蓋がなかったのですが、
唯一「海峰棋院」だけは蓋がありました。

海峰棋院は台湾棋院に並ぶプロ組織で、国内棋戦も運営しているところです。
それは次回以降のお楽しみとして、いよいよ台湾での初対局に臨みます。

(旅行に行く前の打ち合わせ)

「台湾に武者修行に行ってきます。自分を磨いて一目強くなって
帰ってきます!(人間的に)」

「万が一、何もできず何も為せなかったら碁会所で一目強くなって
帰ってきます!(物理的に)」

現状、何もできずに碁会所にいるわけですからね。
これはもう、いざとなったら打ちまくってアマ七段レベルになるしかありません。
ちなみに旅行中はずっとアマ六段と名乗って対局しています。

ここでも「何段?」と聞かれたので、「六段」と自信満々に答えています。
ちなみに日本では教室、碁会所、囲碁会の段位が甘いので、場所によっては
七段で通用してしまいます。

台湾は日本と違って段位が辛いだろうと思いましたが、一応免状を持っているので
六段を名乗りました。

対局の内容はさておき、対局中のおじさんのマナーがまぁひどかったですね。
机というか盤を置いているテーブルに「バシ、バシッ」と石を叩きつけているので
何かと思いましたが、あれは麻雀牌を叩きつけている動きと同じでした。
麻雀好きな紳士の方は牌でそんなことはしないと思います。
碁会所慣れしている自分でも「ちょっとなぁ」と感じましたね。

特に最近は教室で「モナリザ」を合言葉に皆さんの姿勢を正していますから、
余計に気になってしまいました。
もちろん長谷インはモナリザの姿勢です、対局中にこれを崩すことはありません。

対局は互先で、長谷インが勝ちました。
相手の方は五段くらいの実力でゴリゴリの力碁でしたね。台湾は日本と比べて圧倒的に
力碁が多かったです。対局中、他の方が来てあれこれ言ってましたが、
何を言っているのか手に取るように分かりました。

「ここをこうしてああして、どうなの?」
「いやいや、ダメでしょ。そこはああなってこうだよ。」

言葉はまったく分かりませんが、盤上のことは良く分かります。
二人のリアクションを見ていると日本の碁会所のおじさんと何ら変わりありません。
そのうち後ろから歌声が聞こえてきました。
何だか本当に日本の碁会所(東京郊外)にいるような気分になってきました。

初戦のおじさんがギブアップしたため、もっと強い方との対戦になりました。
結果は互先で一勝一敗でしたが、この方はまあ強かったですね。

おそらくアマ七段、自分よりも確実に一子上の強さを感じました。
周りを見渡してみると平均棋力が初段〜三段レベルのようです。
東京郊外の碁会所なら平均棋力3級〜初段が良いところでしょうから、
2子くらいは強い印象です。対局は特に問題ありませんでした。

しかし困ったのは整地です。
整地の仕方が日本ルールとはまるで異なります。
そもそもアゲハマは相手の碁笥に戻しますし
(実際はいちいち戻さずに碁笥の前に置いている)

中国ルールでは最後に石を盤上に埋めて計算します。
ところがアゲハマは最後に碁笥の中に戻したのに、盤上の整地は日本のように
四角い空間にしています。もう何が何だか分からなかったので、整地になると
オタオタして全部お任せしてしまいました。

一局目はおじさんが何目勝ちだよ、と必死に伝えようとしてくれましたが、
このときはコミュ障のカオナシ(面目ない)にまた逆戻りです。
二局目以降は全部中押しだったので、何とかなりました。
三局打って時間はもう午後7時を回っていました。
もう十分打ったので帰りたかったのですが、対局以外ではうまく意思表示できません。

「相手がいないからちょっと待ってて。」
「あ、いや・・・。」
「Go home.」(小声)

相手の言いたいことはボディーランゲージでだいたい伝わるのですが、
こちらは手足をもがれたオタマジャクシのようなものです。

(そういえば、GO home.って文頭に持ってきたら帰れ!って意味になるんだっけ?)

中国語はもちろんのこと、英語もこの程度のレベルでは到底まともなコミュニケーションは
取れません。結局、四段くらいのおじさんともう一局打って、何とか「もう帰ります」
の合図で棋聖棋院をあとにしました。それにしても最後のおじさんは姿勢がよかったなぁ、
碁の内容にもそれが如実に表れていました。

ここの碁会所はネットで調べて行きましたが、写真とは全然印象が違いましたね。
時間帯が夜だったこともありますが、何となく場末の碁会所といった雰囲気でした。
もうちょっとライトな雰囲気で、活気があるところを想像していました。
まさかここまで日本と同じとは。

この旅行の目的は囲碁が盛んな台湾を取材することです。イメージではもっと若い人が
たくさん打ってるのかなぁと思ってましたが、やはり現地で確かめないことには分かりません。
ただ一人強そうな若者が棋譜並べをしていましたが、彼との対戦は望めませんでした。

さて、と。

対局も十分したし、そろそろ恒例の晩飯タイムに入りますか。
それにしても書くのに疲れてきたので、一旦ここで区切ります。

台湾編その4「(二日目後半戦)そうだ、ポエムを書こう!」(つづく)

2015/07/31

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記 台湾編その3

~前回までのあらすじ~

グーグルアース発言が発端となり、台湾囲碁取材を敢行した長谷イン。
無気力、無計画、無駄に弱気なことが災いして一日目から海外の洗礼を浴びてしまうことに。
果たして現代っ子の長谷インは今後どのように難局を切り抜けて行くのだろうか。

皆さんこんにちは。

全碁協ランキング大会「準優勝」、台湾囲碁取材「努力賞」の長谷インです。
思い出は胸に秘めているうちが花だと思いますが、甘酸っぱい蜜を吐き出しながら
書いていきたいと思います。

「二日目前半戦、ビーフorチキンor・・・?」

さて、やっと二日目ここからが本番です。
一日目をウナギの寝床のような宿で過ごした後、朝から行動を開始します。
寝起きは朝日の差さないカーテン部屋ですっきりせず、朝風呂では虫を警戒しつつ
シャワーを浴びて汗を流します。しかしこれしきのことはまったく意に介していません。
こっからはもう自分の領分である囲碁の取材です。
昨日までのようにウダウダ、グズグズしてしまうと思ったら大間違いです。

さてさて、台北市内を移動するためには電車かバスを利用しなくてはいけません。
バスには全車両に番号が振られています。東京では「~駅行き」となっているバスが
どこに停車するのかを見ますが、台湾では「〇〇(番号)」となっているバスの行先を
見るわけです。

台湾ではこちらが乗る意志を示さない限りバス停で停車してくれませんし、降りるときも
降車ボタンを押さないとそのまま通り過ぎてしまいます。観光地や空港行きのバスなら
分かりやすいですが、街中でバスを利用するのは慣れないと難しそうなので移動は
電車にしました。

ここで手に入れておくべきアイテムが「悠遊カード」です。
Suicaと同じで電車やバスを利用するときに使いがってが良く、
電車とバスの乗り継ぎがお得になったりMRT(地下鉄)の運賃が2割引きになります。
これは事前に調べていたので、さっそく購入するべく忠孝復興駅の券売機に向かいました。
悠遊カードの発行は調べていた通りでスムーズにできました。

次は券売機でカードのチャージに向かいます。

「・・・・・・。」

券売機が4つあって3つは人が並んでいます。
一番端の券売機はちょっと仕様が違う感じで、悠遊カードの目印がありました。
「これだと」思いさっそくチャージを試みます。繁体字で何が書かれているかイマイチ
分かりませんが、適当に金額を選んで100元札を投入。
「*******」(繁体字で何やらいろいろ書かれている模様)

どうも様子がおかしいのでチャージされたか分からずに一旦券売機から離れます。
どうしようか携帯で調べていると後からおばちゃんが来ました。
「*******」(台湾語もしくは北京語で何やら言われています)

そのおばちゃんが100元札を差し出して何か言っているようなので、察するに
「これあなたのじゃないの?画面がまだ終了してないわよ。」
的なことを言われている模様、こちらはコミュ障をフル回転させて
「あ、あう・・・あ、あ。」(※実際は声にならない音)
と身振り手振りで気にしないでください、お構いなくのポーズ。

というより違います、違います何でもありません的な感じだったでしょうか。
まあ100元はおそらくチャージされていない自分のお金だったので受け取りましたが、
あとは慌てふためいて笑って誤魔化していました。

おばちゃんも何だこの若者は?と思ったことでしょうね、自分自身なんだこいつはと
思いましたから。しかしまあ、おばちゃんのリアクションは世界共通なのでしょうか。
何を言ってるのかだいたい伝わりましたから。
(※田舎にいそうな、ちょっとあんたあんたおばちゃん。)

(誤字)昨日までのようにウダウダ、グズグズしてしまうと思ったら大間違いです。
(訂正)昨日までのようにウダウダ、グズグズしてしまうと思ったら大正解です。

ここで自分のコミュニケーション障害(shyボーイ)のひどさが
露わになってしまいました。昨日までは心の中の葛藤が9割方でほとんど自己完結
していましたが、「あ、あう・・・あ、あ。」
とかどこのカオナシ(千と千尋)だって話ですよ。

悠遊カードは隣の普通の券売機でチャージすることができました。
最初に試したやつは定期の券売機っぽかったです。(結局良く分かりませんでした。)

駅の改札を通ると「板南線」の青い標識が見えましたが、すぐには覚えられないので
「南北線」と勝手に日本の沿線に脳内変換していました。(青いし、南なので。)
ここから二度ほど乗り換えをしましたが、難なく目的の駅に着くことができました。
台北の地下鉄は東京に比べると非常に分かりやすいので、方向音痴の自分でも
ホームの路線図を見れば乗り換える駅はよく分かります。そう言いつつも反対方向に
幾度となく乗ってしまいましたが、一駅のロスで済むなら楽なものです。

「淡水信義線」は橙だから「中央線」にしようとか、スムーズに動けることで
自信を取り戻してだんだん楽観思考になっていきます。
とはいっても、ここまでSuica(悠遊カード)を購入して駅間を移動しました、
というだけなのですが。

電車に乗りながら早くも勝利を確信しています、根拠もなしに。
この楽観思考こそが長谷インの長所であり、長所でもあります。

この日の目的はまず「台湾棋院」に行くことです。
台湾棋院とは日本棋院のようにプロ組織を運営しているところです。
取材の筆頭候補で、かつ一番簡単に潜り込めるだろうと思いこんでいました。
日本棋院のような場所ならとりあえず一階には簡単に入れるだろう、と。

そもそも住所だけ調べて、あとはほぼ情報なしの状態ですからすべて想像でしかありません。
実際にどういう場所かは行ってみて確かめるしかありません、鬼が出るか蛇が出るか。
目的地の駅に着いて地上に上がったとき、ここからが本当の勝負だと感じました。

なぜなら「安心安全」の迷子機能を標準装備している長谷インが自分の足で歩いて
無事にたどり着けるのか、経験上甚だ疑問だったからです。このときの装備はノートPCに
携帯です。着替えの荷物はもちろん宿に置いてきましたが、現地でいろいろ困ることを
見越してノートPCをここまで持参してきました。このPCが軽いやつじゃなくて
家でもメインで使ってる普通に重たいやつなんですね。
さらに充電器も入れているので結構な重量になっています。

実はここまで間に、初日にリサーチしていなかった「台北フリーWiFi」の感度を
忠孝復興駅から乗り継ぎのMRT駅内でも調べていました。まあ地下鉄ではそこそこ
繋がりましたね、場所によるといった感じです。目的の街に出たとき、駅を離れると
やっぱり繋がらなくなりました。アクセスポイントが多いとはいえ、グーグルマップだけが
頼りの長谷インには少々頼りない存在です。

というか駅やコンビニ、電話ボックス、そこら辺のどこかで繋がることはつながりますが、
迷子になったここぞのときは大抵役に立ちませんでしたね。歩きながらマップを使っても
位置情報が切れしまうので、慎重に現在位置と目的地の場所を何回も確認しながら
かつネットが繋がるポイントを探しながらの歩みになります。しゃがみながら道端で
PCと睨めっこしている姿は周りからは滑稽に映りますが、そんなことを気にする余裕は
少しもありません。

なぜなら今回は最低5か所の囲碁処(いごどころ)を回る予定ですから、初っ端から
もたもたしているわけにはいかないのです。
しかし「方向音痴は検索音痴」という格言の通り、歩き回ってダメなやつは地図を見ても
大抵ダメなものです。下手に迷子にならないようにと慎重に調べれば調べるほど
時間を使ってしまい、モタモタのグダグダになってしまいました。

結局、徒歩5分のところを二時間かけてようやくたどり着くことができたわけです。
え、何をどうしたらそんなに時間が掛かるのかって?

以前、東京駅徒歩1分の八重洲の囲碁センターに行くのに一時間半彷徨ったあげく、
交番に道を聞きに行った長谷インにそんな野暮なことは聞かないでください。
これはもう(ポンコツ)仕様です。

(誤字) 「安心安全」の迷子機能を標準装備
(訂正) 不安で危険な「徘徊機能」最新モデル搭載
「方向音痴は検索音痴」 (引用元、長谷語録)

このとき時間はもうお昼時で、最近の猛暑日が続く日本に負けないくらいの暑さです。
台湾旅行は6月29日~7月3日の5日間で約1か月ほど前のことになりますが、
亜熱帯気候の向こうの暑さは1か月前倒しです。

途中コンビニに寄って飲み物を買ってイートインでゆっくり飲もうと思ったら
すでに満席でした。持っているバッグがPC用のそれなので、飲みかけのペットボトルが
はみ出て間抜けな感じになってしまいました。捨てる場所もなく、こんな状態で
訪ねに行くのもなぁと思いつつも気持ち的にはまだ余裕があります。自分の仕様では
二時間彷徨い歩くのは想定内で、むしろ早目に到着できたくらいの気持ちです。

この後は取材を敢行するだけです。
一息ついていざ、台湾棋院へ!

「・・・・・・。」

「いやいや、ここで功を焦ってはいけない。」
「ここは一つ慎重に検索してからにしよう。」

ということで、台湾棋院を目の前にしてネット検索開始。
調べて行くうちに個人ブログを見つけたので見てみると・・・
「台湾棋院にアポなしで行ったら誰も日本語しゃべれなかった。英語は通じたので
何とか見学できました。」
と書いてありました。

いや~そうかぁ日本語通じないかぁ。
いや~そうかぁ日本語通じないかぁ。

分かっていたつもりだけど、この場合どうするんでしょうね。突撃して玉砕するのは
良いとしても、相手の陣地に入って行って眼二つの生きでは辛いんじゃないかな。
囲碁取材しに行って取って喰われて死ぬなら本望だけど、何もできずただ苦しく生きる姿
しか想像できないんだけど。

今思えば、雑居ビルの入り口まで来てネット検索してしまうのはメンタル弱すぎますね。
日本で調べてくるか、もうそのまま行けよって思いますよ、ええ今なら。

というかそもそも意外だったのが、台湾棋院が雑居ビルのアパートの一室みたいな
ところにあったことです。これは後々発覚することになりますが、このときはもういろいろ
間違っていたんですね。

ただこのとき勘違いが後に自分の心を救ってくれる出会いに繋がるとは、運命とは
不思議なものです。薄々おかしいと思っていたのが、ビルの下の看板に「名人子供教室」
って書いてあったことです。このときは子供教室も一緒にやっているのかな、としか
思いませんでした。だって住所が番地までちゃんと合っていましたから。

雑居ビルの一階ではネットが繋がっていますが、中に入れば当然公衆Wi-Fiは
遮断されます。一階の外で必死に言葉の壁を超える策を練っていましたが、ここで一つの
妙案を導き出しました。

「そうだ、翻訳すればいいんだ。いや、でもこれは反則か。」

現地の目的地の真ん前まで来て翻訳しよう、そうしようってどないやねんってなわけですが、
背に腹は代えられません。

この旅行は武者修行の意味合いを兼ねているので、翻訳機とか文明の利器に頼るのは
そもそも発想になかったわけですが、こうなってしまった以上仕方ありません。
ここまで来て言葉の壁を気にして動けないくらいならやるだけやってやろうってなもんです。

このとき打開策を見つけた気になってまたもや楽観思考になっていました。
この一つでもポジティブな材料が見つかるとすぐに楽観思考になるところが、
長谷インの長所であり、やっぱり長所でもあります。

しかし翻訳に関してまったくの無知だったためにできるかどうかはまだ半信半疑でした。
こういうときはすぐにネットで他者の声を調べます。
「台湾 翻訳 オフライン」
くらいで検索して翻訳アプリがあることを確かめます。
これをダウンロードして使うことができれば鬼に金棒、猿に言葉です。

フリーWiFiが繋がるところでインストールしますが、これがめちゃくちゃ遅くて
全然進みません。そもそも台北フリーWiFiの通信速度が遅いのは、先ほど
モタモタしてしまった一因でもあります。後述しますが、宿のWi-Fiは
通信バッチリでインストールもスムーズに行うことができました。

結局ここではオフラインの翻訳アプリをあきらめるしかありませんでした。
代わりにオンラインのグーグル翻訳を試してみましたが、これは普通に使えます。
手帳に翻訳した挨拶文を書いて、いざ5階にある棋院とおぼしき場所へと足を運びました。

今までのくだりは雑居ビルの一階や近くでやっているので、人の出入りがあるたびに
オドオドしながらも、とうとうドアの前までたどり着きました。この階で合っているのは
外のポスターやなんやで間違いなさそうです。扉はマンションやアパートと同じタイプで、
閉まっていました。

このときいろいろおかしいことに気づくヒントがいっぱいあったわけですが、
そんな気持ちの余裕など少しもありません。インターホンを押すか、押さないか。
このときのプレッシャーは文章ではとても表現できません。

駅からこの場所にたどり着くまでに二時間、下でウダウダやっていた時間がおよそ三時間。
計五時間かけて今扉の前に立っているわけです、どういう状況かは察してください。

人生には進むべき時と引くべき時があります。
台湾囲碁旅行の最大の目的であるプロ組織の取材、二日目にして大きな岐路に
立たされています。この扉の先に進むべきか、それとも引き返すべきか。

ここで一つ大事な情報を付け加えておきます。
オンラインの翻訳を外で使うことができましたが、ここはもう雑居ビルの中なので
ネットは使用できません。軽い挨拶文だけしたためて、後は自分のリアクション、力量で
勝負しなくてはならないのです。

「BET or フォールド?」
ポーカー勝負なら賭けるのか、降りるのか?

「ビーフ or チキン?」
勇敢なビーフなのか、それとも臆病者のチキンなのか?

ここで長谷インの人間性、度量そのすべてが天秤にかけられます。

果たして・・・・・・。


既の所で思いとどまり、長谷インは雑居ビルを後にしました。
これは決して臆病者の決断ではありません。
このときの判断は勇気ある行為、戦略的撤退です。

なぜなら・・・・・・。


天の声 「ビーフ or チキン?」
心の声 「No. I am ブタ!」
天の声 「え、どういう意味?」
心の声 「いや、だからブタ(役なし)でした。」

結局、気づいてしまったわけです。
「勇敢か、臆病者か」 「BETするか、降りるか」
それ以前に準備が足りない、何も手がないブタだったことに。

某漫画の大好きなシーンで
「戦場で生き残るのは強者と臆病者だ。勇者は死ぬと相場は決まってる。」
と言っていたのを思い出しました。

何の策も準備もなしに何とかなるだろうで台湾まで来て、いざ現実を目の前にすると
これが答えだったわけです。

しかしこのまま引き下がるほど見下げた果てた男ではありません。
苦虫を噛み潰すような思いをしながら、明日への誓いを立てていました。

「今は引くしかない。一旦宿に戻って態勢を立て直してから
明日必ずリベンジしに戻ってくる!」

この固い決意を胸に秘めて、戦場を後にしました。

明日に希望はあるのか、それ以前に策はあるのか。
長谷インの戦いはまだまだ続きます。

"To Be Continued."

※この文章は制作に5時間を費やしています。(一部文章の消失が三回ほど起こったため)
この先の展開は気長にお待ちください。
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