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2022/08/12

中国珍道中 「最初の夏休み(前編)」


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今から25年ほど前のある夏の日の午後のことだった。



お盆休みからずらして休みをとっている先輩が数人いて

まわりは空席が目立っていた。のんびり仕事の書類に

目を通していると机の内線電話が鳴った。



「根本君、君はもう夏休はとったかね。あっそう、

まだならちょっと僕の部屋に来てくれるかな」



鈴木さんの野太いしゃがれた声は、受話器から

少し耳を離していても聞こえた。顧問の鈴木さんは

61歳で新入社員の僕とは37歳離れていた。



―囲碁部の話かな。



仕事の話でないのはわかっていた。鈴木さんは

会社の囲碁部の部長で、僕は間もなく鈴木さんから

引き継ぐことになっていた。



「失礼します」

ノックして部屋にはいると、鈴木さんは大きな黒い革張りの

背もたれに身体をまかせて煙草をくゆらせながら

一枚の紙を見ていた。



「これを一緒に行きたいと思ってね」

日本棋院主催、日中アマ囲碁交流旅行のチラシだった。

JALのツアーで第二回とある。すぐに値段に目がいった。

7泊8日で46万円だ。



―無理だな。貯金もないし。



そんな気持ちを察したかのようにつづけた。



「君さえよければ飛行機代はワシが出してもいいんだ。

 JALのマイレージがたくさんたまっておってな」



がははと豪快に笑った。



「君のところの課長にはこのまえ話をしておいたよ。

根本君は10月後半に夏休みを取るよ、とね」



―えっそんな話がもう課長に!



僕の記念すべき社会人最初の夏休みが、

僕の知らないところで決まってるなんて。

おどろいて顔をあげるとすこしいたずらっぽさが

入った目とあった。



もう一度チラシを見ると、ただ囲碁を打つだけではなく

万里の長城や途中で西安に移動して兵馬俑など、観光も

もりだくさんの一週間だ。



―中国には行ったことないし、夏休みはまったく予定がない。

 面白いかもな。



「囲碁部のほかのメンバーはねぇ、みんな家族がおってな。

誘っても、『鈴木さん、囲碁を打つならもっと近くで打ちます。

中国に行くならもっと安く行きます』なんて言うんじゃよ」



―そりゃそうだわな。



僕は100名近くいる囲碁部の中で18年ぶりに入社(入部)

した新人でただ一人の独身だ。幸い、高段者なので他のメンバー

からかわいがってもらっていた。



入社面接のとき、第二外国語は?と聞かれて思わず「囲碁」

と答えたのが形勢逆転になったのを思い出した。

人事担当役員が囲碁部だった。



「お誘いありがとうございます。行きたいと思いますので

 よろしくお願いします」



その時の鈴木さんの嬉しそうな顔を今でもすぐ記憶の

フォルダーから取り出すことができる。



怒ると誰よりも怖いと社内でも有名な強面の顧問も、

僕にとっては大切な囲碁仲間のひとりだった。





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鈴木さんと一緒に中国に行くことが決まってから数日たつと、

その話は課内で広まっていた。



―うちの根本をよろしくお願いします。



課長もあわてて挨拶にいったらしい。

そんな大げさなことかと思うが、会社はそういう

ところだと知った。課長はちょっと嬉しそうだった。



新人が夏休みに顧問と海外旅行、というのは

思った以上に周囲に衝撃を与えた。



これじゃ釣りバカ日誌のスーさんとハマちゃんならぬ、

ス―さんとネモちゃんじゃないか、と先輩たちは

面白がったり心配したり。



こんなきっかけでも囲碁に興味をもってくれる人が

周囲にあらわれて、それは嬉しい誤算だった。



「えっ一親等?二親等?それはねぇ、一緒に行く根本君は、

家族のようなものなんだよ。わかるね。なにっ、権限がない?

ではこの話ができる人と、変わってもらえるかな」



ある時、鈴木さんの部屋に行くと、いつもよりさらに大きな声で

航空会社と電話で交渉していた。自分のマイレージを使って

僕を中国まで連れていってくれようとしていた。



「家族のようなものなんだ」



あたたかいセリフだ。

僕は直立不動で、電話が終わるのを待った。

熱いものが心に流れた。

今思えばこの瞬間に「友情」が芽生えたのかもしれない。



結局電話のむこうが4人目にかわったところで話はまとまった。

遊びの話も決して手を抜かず、ルールがあるからという理由だけでは

あきらめない。商社マンの交渉術を間近で学ぶ貴重な機会だった。



「さっきむこうの総大将にテレックスを打っておいたよ」



交渉の厳しい顔から一変、いつもの笑顔にもどった。

打ち出されたテレックス用紙を見ると、



「いつからいつまでそちらに囲碁を打ちにいくのでよろしく。

 Mr. Nemotoもいっしょに」



とある。宛先は中国支局の代表で常務だ。専務と常務の

どちらがえらいかまだわかっていない新人ながら、仕事の話

ではないのにこんな日中にいいのだろうかと心配になる。



テレックスはメールがない当時、海外支店とやりとりする

のに頻繁に利用した。毎朝課長が書いたテレックス文を

課に1台しかないパソコンでタイプするのは僕の役目だった。



料金が文字数で決まるため、英語の頭文字だけでやりとりする。

たとえば「ありがとう」は「TKS」で「本当にありがとう」

は「M(many)TKS」だ。



そのとき現地北京では、あの鈴木さんが来るということで

店の予約や車の手配、観光ルートの確認などが進んでいた。



同行の「Mr. Nemoto」は鈴木さんと2人で来るぐらいだから

相当親しく同年代と思われるものの、社内名簿ではそれらしい

人は見当たらない。ならば取引先の重役かだれかだろう、

という話で落ち着いていた。



本人はそんなことを知るよしもなく、間近にせまった

初めての夏休みをこころまちにしていた。





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社会人になって初めて知った言葉に「カバン持ち」がある。



どこから見ても新入社員というストライプのネクタイを

しめる僕は、恰幅がよく余裕をただよわせる鈴木さんの

「それ」に見えるにちがいない。



空港のツアー集合場所には、シニア男性が15,6名と

日本棋院の職員と棋士の信田六段、さらにツアコンの女性1名が

集まっていた。若い男性は僕だけだ。



「鈴木さまはいらっしゃいますか。お荷物お預かりします」



とつぜん本当にカバンを持ってくれる人があらわれた。

ツアーの担当者かと思ったが、航空会社の女性職員だ。

鈴木さんは手慣れた様子で荷物を渡し、僕も一緒にくるように

手招きした。わけがわからずついていく。



仕事で頻繁にニューヨークを行き来しているので

このエアラインのお得意様のようだ。ツアーなのにこういう

こともあるのだと感心する。



慣れない場所できょろきょろしながら、ラウンジで

静かなひとときを過ごした。



「根本君、この席ひさしぶりで愉快だよ」



20年ぶりのエコノミーだそうだ。僕にあわせてくださった

のかと最初勘違いをしたが、ちがう。機内で対局したいのだ。

狭いエコノミーのほうが隣同士の間隔が狭い。



僕は事前の指示どおり、マグネットの碁盤を機内に

もちこんでいた。



「もう水平飛行じゃろう。さっ早く、盤を出しなさい。盤を」



横を見ると、大変失礼ながらゲートに入ったばかりの競走馬

のようである。鼻息が荒い。早く走り出したくて仕方がないのだ。

機はやっと離陸してまだ1、2分しかたっていない。

窓の外は雲の中。体重がまだかなり背中にかかっている。



「えっ、まだ全然水平じゃないですよ。もう少し待ちましょう」



至極まともな返答をしたつもりだった。



「何を言っておるんだ。もう水平飛行じゃ」



語気が強くなった。囲碁で怒らしたら、日本で右に出る者はいない。

仕方がない。そっとトレーを出して碁盤をセットした。

横を向きながら離陸直後の機上対局が始まった。



「お客様、まだトレーは出さないでください。危険です。

  ただちにもとにお戻しください」



案の定、すぐスチュワーデスが飛んできた。

いい大人の2人が、小学生のように怒られた。



素直に小さくなっている鈴木さんの横で

僕は笑いを押し殺すのに必死だった。





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北京に到着した我々一行は、一夜あけた翌日に

まず天安門広場にむかった。



―こんな広い広場は観たことがないな。



そう思って当然だ。東西500m、南北880m、

世界最大の広場で50万人は集えるという。



偶然だが今日2019年6月4日は、あの事件から

丁度30年だ。訪れた1994年10月21日は

すでに5年が経過していて、事件の面影はまったく

感じなかった。



気持ちいい秋晴れのもと、棋院関係者2名、ツアコン、

現地ガイドを含めた21名が1枚の写真におさまった。

僕は前列右から2番目だが鈴木さんは後列左から5番目だ。



前回ふれたように、この旅は鈴木さんの中国支社訪問も

兼ねているため、途中ツアーとは別行動となって鈴木さんと

2人で動くことが予想された。



ツアーで動いているときはなるべく鈴木さんから離れて

他のメンバーと会話をするよう心がけた。みな自分の

親より年上だが、せっかくなので知り合いを増やしたい。



広場にある毛主席紀念堂に向かう。18年前に亡くなった

毛沢東の遺体がいまだに警備数人に守られ巨大なガラスケースの中に

安置されている。



国家の威信をかけた技術のたまものだろうか。まるで昨日から

眠っているようだ。ここは日本ではなく、中国、社会主義国で

あることに気づく。



さてこのツアーはこうした観光も盛りだくさんながら、

もちろんそれがメインではない。貸切バスで市内にある中国棋院、

中国における囲碁の総本山にむかう。



途中の車窓からは、団地の一角で卓球を楽しむおばさん達が

目にとまった。風がふく野外で卓球をしている。その風を

ものともしないラリーが白熱していて、球の速さが日本の

温泉卓球の比ではない。草野球ならぬ草卓球だ。



こりゃ中国の卓球が強いわけだ。

はじめての中国は観るものすべてが新鮮だった。





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話は前回より一日前、我々一行が北京についた日にさかのぼる。



ツアーの宿泊先は乗ってきた航空会社が運営する日系ホテルだ。

フロントでもロビーそばの売店でも普通に日本語が通じる。



部屋は鈴木さんと同室となった。ミニ冷蔵庫をあけてみて驚いた。

コーラが¥20、ビールは¥30とある。



「さすが中国ですね。びっくりするぐらい安いです」



鈴木さんに話かけるもすぐに間違いに気がついた。

中国の通貨「元」も記号が¥なのだ。

円と同じく発音がもとになっている。

日本円にするには14倍しないといけない。



夕食は中国側を代表する陳祖徳九段らと一緒だった。



「根本君はこっちに座りなさい」



レストランにはいると、どこに座るか逡巡する他のメンバーとちがい

鈴木さんはすぐに陳九段をはさむように席をとって僕を呼んだ。

テーブルは中国なので大きな円形だ。



陳祖徳九段。

中国の囲碁事情に詳しくない僕でもその名前は知っている。

中国棋院の院長であり中国囲碁会のレジェンドだ。



中国ではじめてプロになり、はじめて日本の九段を互先でやぶり、

そしてあの「中国流」を創った。



サッカーファンがペレと食事をするようなものなのだが、思ったほど緊張しなかった。

陳九段の流暢な日本語と穏やかな語り口、何より謙虚な人柄が

自然とそうさせたにちがいない。



名刺交換では、印刷された名前の横にその場でサインをしてくれた。

日本のファンを歓迎するこうした陳九段の細やかな気遣いは、数日間の滞在中

ずっとかわらなかった。



勧められるがまま紹興酒をあけたので、弱い僕はあっという間に赤くなる。

当然酔っているはずだが、そんな自覚もないほど感激の夜になった。



部屋にもどりテレビをつけるとサッカーの試合結果を放送している。

どうやらスポーツニュース番組のようだ。



次の瞬間、目を疑った。

囲碁が放送されている。今日の対局結果とその様子の映像だ。



ーあれっスポーツ番組じゃないのか。



そう思うのも無理はない。だが囲碁のあとは卓球と続いた。

ここ中国では50年以上前から、囲碁は正式な体育、つまりスポーツだ。

日本だと身体を動かすものがスポーツとよばれるが、ここでは頭も体の一部ということだろう。



そう、僕はスポーツ交流をしに北京まで来たのだった。





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2日目は天安門広場の観光のあと、中国棋院で早速対局だ。

まず1局目は、日中アマ親善交流として中国のアマチュアの方が相手だった。



碁石は日本のものを横でスパっと半分に切った形をしている。

表と裏があって片面は楕円ではなく平らなので座りがいい。

打つとパシっと音がする。



当初、半分の材料で済むのでこうした形になっていると思ったが違うようだ。

局後の検討のとき、実際に打った石と想定図の石をそれぞれ表と裏で

区別しておけば、さっと元に戻せる。合理的な考えだ。



手、つまり着手で会話する意味から囲碁のことを「手談」というが、

その言葉どおり言葉が通じなくても対局はなんとかなった。

僕の相手はとても強く、僕はいいところなく負けてしまったが、

局後の検討では丁寧に教えてもらい楽しいひとときだった。



2局目は、中国のプロに指導碁を打ってもらった。指導する棋士は皆中国の

トップ棋士で、このツアーを歓迎する気持ちが伝わってくる。

僕は華以剛八段と3子、鈴木さんは有名な馬暁春九段と5子で2人とも

勝てなかった。日本語が話せる中国棋院の棋士が局後の検討に参加して

くれたおかげで、盤上でも中身の濃い時間を過ごすことができた。



夕方、いったん宿に戻る。予定表では夕食は中華料理の名店なのだが、

今夜は会社の中国総局のメンバーと鈴木さんが会う約束をしていて

僕もツアーとは別行動になった。



2人でホテルのロビーで待っていると玄関前に黒のベンツが2台停まって

中から人が降りてきた。同じアジア系の顔ながら一目で日本人とわかる。



「やぁ千葉さん、久しぶりじゃのう」



急に顔をほころばせた鈴木さんが大きな声で話しかけた。

中国代表の千葉常務だ。ほかにも2人いる。



「鈴木さんお元気そうですね。お久しぶりです」



簡単な挨拶をしている間、僕は鈴木さんのすぐ横で待っていた。



「ところでMR.NEMOTOはどちらです?」



自己紹介のタイミングをはかっていてずっこけた。

まさか顧問の鈴木さんがこんな若者と一緒に来るとは

思ってもみなかったのだろう。

僕はツアーの世話係だと思われていた。


 

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