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根本席亭ブログ 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記 囲碁の上達方法やイベント情報など、日々の出来事を発信していきます。


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SNSの登場もあって、つっこみ偏重の世の中になった。

それも漫才のようにボケを輝かすためのものではなく、

責めるニュアンスがつよいつっこみだ。



息苦しくならないように、ここはやはりボケの力を借りたい。

そんなボケの景色を切り取っていこうと思う。



4年前の夏の日のことだった。僕は運営する囲碁サイトの

常連の方と京都駅で待ち合わせをした。

旅行に行くついでに一度会いましょうとなったのだ。



その方は82歳。サイトでお互いの写真は見ているが

大分前の写真かもしれず混雑した場所での待ち合わせには

少し不安があった。その方からメールが届いた。



「新幹線中央口出たところで帽子をかぶって待っています」



まじめに提案しているのはわかるが、笑いがこみあげてきた。

真夏の暑いさなか、シニアはみな帽子をかぶっている。

会うのがよけい楽しみになった。



「いやー写真で見るのと違いますなぁ。それに大きいでんなぁ」



改札を出てきょろきょろ見渡していると、ひとりのシニアと

眼があった。ニコニコしながら話しかけてきた。

写真ではわからないが僕は長身なので驚かせてしまったようだ。



近くの喫茶店に入った。

世間話をすこししてからひとつ聞いてみた。



「どうして僕のサイトを選んでくださったのですか」



「それはね、ホームページの席亭の写真を見てこの人なら

  信用できそうと思ったんですわ」



表情から本気でそう思ってくださっているのがわかる。

となりでつれが笑いを押し殺している。

僕も失礼がないようにとこらえるのに必死だ。

出会って最初のひとことは「写真と違いますなぁ」だった。



つっこむのは簡単だがボケるのは難しいと言われる。

たしかにそうかもしれない。



だが自分で意識してなくとも相手がボケを感じることもある。

それでいい。その瞬間、2人の距離は間違いなく縮まる。



あれから4年が経ったいま、はっきり言える。

歳が離れた2人にとってボケは大事なスパイスだ。



それも今まで意識はしてなかった。







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間違いも堂々と言いきると味が出る。

母を見ていてそう思う。



3年前、珍しく11月下旬に都内で雪が降った翌日、

両親とともに伊豆天城に向かっていた。



心配された天気もその日はうってかわって快晴で、

伊豆に近づくにつれて車内から望む富士山が大きくなってきた。

すっかり雪化粧していて白が青空に映える。



「あらぁ綺麗だわね。私は昔から晴れ女なのよ」



後部座席の母がちょっと自慢気に話かけると

助手席のつれもあわせる。

「私達も出かけるときは晴れのことが多いんです」



空気を読むことをしない父がすぐさま反応した。

「私は雨男です」



一瞬会話がとぎれそうになったがすぐ母が回避する。

「そんなの関係ないわよね。四捨五入よね」



車内に「?」が拡散した。

四人しかいないのに捨ててしまってはこまる。

多数決と言いたかったのだろう。



弟の娘が小学校に入学した直後、母はかわいい孫の

様子を僕に電話で知らせてきた。

ちょうどその頃日本中があの半島の国からの飛来物に

神経をとがらせていた。



「昔とはちがうわね。めいちゃんが学校を出ると

  お母さんのスマホに連絡がくるらしいの。

   いま門を出ましたって」



「へぇ自動でメッセージがね。それだと安心だね」



話をあわせると母はちょっと知ったような口ぶりで続けた。



「きっとランドセルにJアラートがついてるんだわ。

  そう、そうに違いないわ」



知らせがくる、に反応してしまうのはわかる。

母は横文字とカタカナに弱い。

いつもならスルーするが、放置すると近所にまいてしまう。

GPSだと思うよ、とやんわり指摘してから電話をきった。



妹の娘たちは毎年夏に米国からやってくる。

高校生になった2人は目新しいものをすぐに聞いてくる。

ひらがなとカタカナは読める。



「おばあちゃん、あれなに?ビックロとあるけど」



新宿を母と妹、姪っ子と歩いているときだった。

去年とちがう大きな建物をめざとく見つけたようだ。



ちょうど彼女達は八王子で買ったユニクロを着ていた。

僕が横から説明しようとした。そのときだった。



「あっあれはね、ビックカメラとクロネコヤマトが

一緒になったのよ」



衝撃をうける僕のとなりで、姪っ子たちは素直に

うなずいていた。







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ボケには2つある。

意図しない天然のボケと意図する人工のボケだ。



定義上はそうなのだが、この中間にあたるボケもある。



これはわざとかな、いや、たまたまかな、と、

こちらに考えさせる。



このタイプに会うとたまらなく得した気分になる。



以前、新宿のネパール料理店でランチを楽しもうとメニューを

選んでいるときに気がついた。AランチはあったがBはなかった。



「これ、ただのランチセットでよくない?」



そんなやりとりを厨房で毎日ニヤリ見ているのだろうか。

店員が日本人ではなかったので、わざとかどうかはわからない。



「日本の朝食」をコンセプトにした素敵なお店が京都と鎌倉にある。

『喜心』の朝食は完全予約制だが、最終スタートは午後2時だ。



「おいしい朝ご飯だったね」

と店を出ると午後の3時半。一度やってみたい。



そんな特別な目で探さなくても、身の回りにボケてるものは

たくさんある。



毎日使う歯磨き粉。これが粉でなくなって半世紀は経っている。

49歳の僕は一度も粉を使った記憶がない。

洗面所で、誰か早くつっこんでくれないかと待っている。



下駄をいれない下駄箱、筆がはいってない筆箱、

乳母が押してない乳母車…。



そうだ。僕が運転するとき隣につれが座る。免許を持たず

地図も読めないが、シート名は「助手席」だ。



数年前の今頃、スナックを食べたあとにこんな表記を目にした。

原材料に「焼きいも」とあった。



「えっ、単にさつまいもじゃだめなの?」



そう思ったら一つあけてさつまいもも書いてある。



「えっ、焼きいもの原材料がさつまいもじゃないの?」



市販されている食品の記載だから、天然であれ人工であれ

ボケは許されない世界かもしれない。

だがかたい事は抜きにしよう。



解けない謎をなげかけてくれるこのパッケージは、

僕にとって極上の「中間」なのだから。







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ボケの力を信じている。

出来ればいつも、ツッコむ側よりボケる側にいたい。



だがボケるシーンを間違えると、期待したツッコみが

生まれないばかりか、一瞬の間に永遠の長さと冷たい風を

感じるはめになる。



ある夏の暑い日のことだった。

新調したばかりのサングラスが胸ポケットから

なくなっていることに気づいた。



どこかで落としたのかなと今きた道を戻るも見つからない。

仕方がないので近くの交番で遺失物届けを出した。

人生初のことだった。



「どんなサングラス?特徴は?」

お巡りさんがメモをとりながら訊く。



答えるまえに一瞬、脳裏に期待がよぎった。



「ポリスです。ポリスのサングラス」



好みのブランド名を告げた。

このシーンがくるのを待ち望んでいたのかもしれない。

僕の口元にはかすかなニヤリが出ていただろう。



「えーと、ポリスね。はい」



まったく何の反応もなく届け出は終わった。



もう一つ。



3年前、人生初の入院・手術を経験した。

検査のとき全身麻酔の耐性を見るのか、肺活量を測った。



結果は6,300ccもあった。標準の140%だ。

念のため2度測定したあとお医者さんは言った。



「すごいねー。年間に7千人ぐらい診てるけど、10人いるか

どうかの肺活量ですよ。あなたお仕事か趣味で激しくスポーツ

してるでしょ」



「いえ、どちらも囲碁です」

(この時も口元は少し緩んでいたはずだ。)



「あっそう。それでは検査はこれでおしまいです」



先生は何事もなかったかのようにカルテを閉じた。



手術前に体調は万全だったはずだが、検査室をでるとき

ちょっと寒くなった。







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囲碁が縁で親しくさせて頂いている89歳のIさん。

とにかくユーモアの引き出しが多い。

いつでもどこからでも飛びだしてくる。



自宅でパソコンを教えていたときのことだ。

席をたとうとするも、スリッパが片方見当たらない。

それに気づいたIさん、即座に



Where is my slipper !



両手を広げてにっこりおどけてみせた。

ヘップバーンの映画のラストシーンを拝借した「ボケ」なのだが、

僕はその映画を知らず即座につっこめなかった。



先日自宅にIさんご夫婦をお招きした。

門から玄関に入るまえ、駐車場をつくるかわりに3坪の庭で

小さな家庭菜園を楽しんでいますと説明したとたん、



「庭は三坪。それでも青空を仰ぎ永遠を思うに足る」



ぽつりとつぶやいた。



「でしょ」とニコニコしながら眼が同意を求めている。

作家・徳富蘆花の有名な言葉とあとで知った。



4人で昼食を楽しんで食後にデザートの果物を

食べているときだった。



つれが、

「この人は自分で皮をむくのが面倒だといって、

苺とかサクランボとか皮がないものばかりほしがるんですよ。

ほんとめんどくさがり屋ですよね」



と僕をダシに奥様に同意を求めた。

そのとき横からIさんが驚くべき一言を発した。



「あれっ皮のある果物なんてありましたっけ」



テーブルの上の時間が一瞬とまった。

となりのつれもどう反応していいか戸惑っている。



これはいつものユーモアから発展したボケなのか、

それとも大真面目に言ってるのか、わからず混乱した。



普段、身の回りのことから何でも奥様がやってしまって

いるのを見てきていた。



それにしても果物の皮を見たことがないとは、いや、

いくらなんでも…。



「あら、ほんといやだわ。この人ったら何言ってるのかしら。

りんごだって柿だって皮があるでしょう」



奥様はあきれ笑っている。

真面目にたしなめているということは、もしかして…。



「あれっそうでしたっけ」



何事もなかったように平然と答えた。



ユーモアの達人が発した言葉の真意は

まだつかめていない。







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以前住んでいたマンションは五階建てで、上から見ると

ロの字型、中庭を廊下がぐるっと囲む珍しい形をしていた。



4階にある自宅の玄関は東向きだった。晴れた日の朝、

ドアを開けると眩しいくらいに朝陽が差し込んだ。



出勤するつれが家を出るタイミングで僕も廊下に出て、

昇りかけの太陽に向かって背伸びをするのが常だった。



つれには朝のライバルがいた。上の5階の反対側から

元気よく学校に出かける10歳ぐらいの男の子だ。



だいたい週に2回ぐらいは、2人がほぼ同じタイミングで

廊下を歩きだしてエレベーターホールに向かう。



反対側に見えるお互いを意識して、どちらもだんだんと

早歩きになる。いそがしい朝にエレベーターを一本

見送るのは痛い。



軽く体操をしながら時折起こる2人の珍競争を見守るのが

密かな楽しみだった。



ある日、彼女がいつものように玄関を出て歩き始めると

少し遅れて小学生も家から出てきた。だが今日はつれの圧勝で

勝負にならない。2人はたがいに気づいてなかった。



エレベーターに乗る前、つれがこちらに手を振った。



いってきます!

いってらっしゃい。



背伸びを途中でやめて僕も手を振った。

その時だった。



ホールめがけて一目散に歩いていたランドセル姿の

男の子が、たちどまって僕に向かって手を振ったのだ。



ずっこけた。



彼からはつれが見えなかったので

僕が彼に手を振ったのだと思ったのだ。



見ず知らずの大人でも、手を振ってくれれば振りかえす。

そんな素直さに驚くも、一瞬おくれて笑いがこみあげた。



―何で俺が小学生に手をふらなあかんねん…。



なぜか大阪弁で自問自答する。



さっき手をふったとき。

それは人知れず僕が「ボケた」瞬間だった。



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年末が近づいてきた。



何年か前の紅白を実家の掘り炬燵で見ていたときのことだ。

台所の片づけを終えた母がやってきて隣でミカンを食べ始めた。



「最近、大勢のグループが増えてわけわかんなくなっちゃったわ」



画面にはAKBが映っていた。

シニアは1人、多くても2人か3人までの歌い手が好みのようだ。

続いてエグザイルが登場した。



「あら、このエグザイルにAKIRAっているでしょ。

うちの浩(弟)に似てると思わない?」



―(ずこっ) いまわけわかんないって言ったばかりでしょ…。



「そうそう、あとHIROSHIもいるでしょ。だけどHIROSHIは

明(僕)には似てないのね。ややこしいわ、ほんと」




―(結構くわしいじゃん) ややこしくないでしょ。

それにHIROSHIじゃなくてHIROでしょ。



母はそのあとも僕のつっこみを無視してつぶやき続けた。



3年前に両親をつれて伊豆の温泉宿に行ったときのことだ。

チェックインしたあとラウンジでくつろいでいた。



「伊豆にはよく来るんだ。囲碁合宿とかでね。食事は夕食も

バイキングだったな」



僕が何気なくいったことばに父が反応した。

半分ほど飲み干した生ビールのグラスを右手に持っている。



「私はあのバイキングとか食べ放題とかいうのは嫌いです。

なんかいやしい感じがしませんか。少しでも元をとってやろうという」



つれもいるからか丁寧語だが、相変わらず極端な意見だ。



「いや、そうかな。今は食べ放題というより、好きなものが

選べるっていうニュアンスが強いけど。高級旅館でも朝食は

ビュッフェ形式が多いよ」



父は僕の返しには答えず続けた。



「ところで明、ここは何杯飲んでもいいのかい。

それじゃビール、もう一杯だけもらおうかな」



隣でつれが爆笑している。



「自分のことを棚にあげる」



僕の棚がいつも斜めになっている原因を見つけたようだ。







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ふとこんなことを思った。



10回もボケればさすがに「わざと」だとなるだろう。

だから「と」ぼけるは「ボケる」が進化したものだ。



ほんとうだろうか。



僕のまわりには「とぼける」の達人が多い。



囲碁仲間のKさんは、水彩画の教室に通って4年になる。

発表会に行くと毎回珈琲豆を帰り際に渡してくれる。



「あっそうそう、そういえば珈琲は飲むかい。

 これたいしたもんじゃないけど」



あたかも今さっきもらったものだけどよかったら、

と、なんとも軽いが、中身はかなり高級な豆だったりする。

きちんと準備している。



いまでは豆より毎度のやりとりが楽しみだ。

嬉しい気持ちを簡単には手に入らない豆にこめるのも、

たまたま持っていた風で渡すのも、照れ隠しなのだろう。



僕のサイトの会員さんでいつも季節ごとに贈り物を

届けてくださる方がいる。事前にメールがくるのだが、

「のしはつけません」とある。

だが届いた品物にはきちんとのしがかけられていて、

ひとこと「楽しさの御礼」と書かれている。

のしのくだりにパンチが利いて、心に嬉しくひびく。



長年公私にわたり親しくさせて頂いた方のお宅には

何度も伺った。(前連載「最初の夏休み」の鈴木さん)

3回目ぐらいだろうか。奥様から印象的な一言を頂いた。



「あなたはもうお客様扱いしませんから」



いったい次回はどうなるのだろうと興味がわいたが

それ以降もかわらぬ丁寧なもてなしが続いた。



それは僕に余分な気を使わせないための一言、

いわば、気づかいを気づかせないようにする

気づかいだった。







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僕は得な性格かもしれない。



わざとボケているわけではないものを、座布団一枚!

と勝手に拍手して楽しい気分を味わうことができる。



横浜の港に浮かぶ氷川丸。昭和初期に活躍したこの船は

いまはそのまま博物館のように見学できる。



チャップリンも泊まったという特等室を見たあと

順路にしたがい「喫煙室」と書いてある部屋に入った。

テーブルにはあるものが置いてあった。



「禁煙」



この部屋でなければ目に留まらないはずの小さな札。

僕には後光がさして見えた。そっと座布団を置いてきた。



先日スーパーで買い物中、ふと目にとまった札があった。



「味噌人気NO.18」



ん?普通はNO.3ぐらいまでだが18?



数えると味噌の棚には30種類ほど並んでいた。

18番目は偏差値でいえば45というところか。

この札がついていない味噌がほとんどのなか、

特段人気をアピールする理由が見つからない。



18という数字に意味があるのかな。

「おはこ」だったっけ。

その左上に人気NO.16もあった。



うーん。これは本当にわからないぞ…。



座布団を出そうか出すまいか。

僕は腕組をしたままその場に立ち尽くした。







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競争が激しい業界としてまず思い浮かぶのは飲食だ。



僕らはいつも、安くて美味しいものを日々探している。

提供する側も力の限り工夫する。



安くて美味しい。それは値段とネタ。

選ぶときの視点があと一つある。



それはギャップだ。

見たことないという普通とのギャップ。

そして、予想以上という期待とのギャップ。



お値段以上、は単なる宣伝文句だが、

予想以上、はちゃんと惹きつける力がある。



以前居酒屋で「刺身三点盛り」を頼んだとき、

出てきたものを見て、あっこれ頼んでませんと言ってしまった。

その皿には刺身が「3切れずつ」6種類並んでいた。



店員は慣れた様子で

「はい、これがうちの三点盛りなんです」とにこり。

値段を見て三点盛を頼んだら、六点でてくる。

嬉しくないはずがない。



海鮮の鮮度も量も申し分なかったが、

メニューで「ボケ」ているのがさらに好印象だった。



もう一つ。

阿佐ヶ谷の駅前から続くパール商店街に人気の

たいやき屋がある。



そこで目にしたのが

「たいやきの開き」

はじめて見たとき、?が3つ頭の中で点滅した。



なぜ開く必要があるのか。

アンコはどこにいったのか。

どんな味がするのか。



およげないたいやきくん。



素敵なボケだ。



子供の頃、たい焼きは皮が好きだったのを

思い出させてくれた。



ありがとう。







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当欄で以前、わざとボケているのか天然なのか見分けが

つかない人がいるという話をした。



そんな高度なボケの選手権があったら日本代表のひとりと

おぼしき人と、先日同じ道のりを歩くひと時があった。



年末も差し迫った晴れた日、伊勢神宮の外宮へお参りに

むかった。朝9時半頃なので人もまだそれほど多くはない。



入口近くで信号待ちをしていたとき、ふと斜め後ろに目をやると

見覚えのあるシニアがいた。大学教授風の男性と2人だ。

バス旅で人気を博したその人の番組は最近、彼の年齢を理由に

終了となったと聞いた。



「〇〇さんがいる」



振り返らず声をひそめてつれに言う。

こういう場合、こちらが気づいていると先方に知られるのも

気はずかしい。彼女もさりげなく目線をむけて確認する。



「本人かな。声きかなきゃわかんない」



そりゃそうだ。まぁそうだとしてもプライベートだろうから

じろじろ見たら申し訳ない。特にファンでもないのであまり

気にせず、僕らは自分のペースで外宮の鳥居をくぐり

歩みを進めた。



こちらが手水に寄っているあいだに追い抜かれたようだ。

彼らは少し前を歩いていた。



すると、お参りを終えてこちらに向かって歩いてくる人たちが、

前を歩くその2人組とすれちがいざま、ざわざわしだした。



あれ、〇〇じゃない?

そうよね。本人だよね。

えー、だとしたら年末に縁起いいじゃん。名前からして(笑)。



やはり本人のようだ。



外宮は10か所ほどお参りする箇所があるが、その順番が

決められている。特にあわせたわけでも、気にして歩いている

わけでもないが、どういうわけかスタートから4連続で彼の真横、

真後ろといった至近距離で手をあわせることとなった。



真後ろで順番を待っているとき、彼の右手に一万円札が折って

握られているのに気づいた。



「おい、万券だよ‥」

「しっ、聞こえるじゃない」

つれに小声でたしなめられる。



10か所もあるしまさか全部じゃないだろうな。

それ以降、彼がお賽銭箱に手を伸ばしたときに硬貨の音が

するかつい確かめてしまった。音はしなかった。



見ていると同行の男性に参拝の仕方や作法を教わっている。

少し落ち着かない様子だ。こうした場所に慣れていないか

今日が初の伊勢参りに違いない。



その夜、彼のブログを確かめて驚いた。

今日の伊勢参りのことも書いてあったが、なんと伊勢は

大好きな場所で、ここ何年も毎年少しの時間を見つけては

お参りを続けていた。伊勢の常連でもあり、奥様の影響を

受けて神社参拝も趣味のようなのだ。偶然だが、数日後には

伊勢神宮をゴールにした過去のバス旅のTV放送もあった。



終始腰が低く、サインや写真を求められてもニコニコ笑顔で

自然に応対していた。芸能人のオーラをまったく感じなかったが、

同時に、どう見ても伊勢神宮の常連とも趣味が神社参拝とも

思えなかった。



これが、「わざとと天然の間」で生きる人の技術なのか。

と勝手に納得した。







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驚きは向うからやってくるものではない。

こちらから身を乗り出してびっくりしないと、

気がつかないうちに行き過ぎてしまう。



五木寛之氏の「生き抜くヒント!」にあった。



この「驚き」を「ボケ」に変えてもいいと思う。



効率と正解を求めて、損をしないように動く癖がついた僕らは、

面白いものを自分で探す嗅覚が衰えてしまった。



ネット上に溢れる「誰にとってもわかりやすく面白い」

コンテンツに慣れた結果、面白いかどうかを発信者任せにする

受け身の姿勢が身に着いた。



まずスマホを置こう。

身の回りの小さなことに目をとめて自分で面白さを

見出してみよう。



たとえばあなたは周囲のシニアから、上質な「ボケ」が

日々発信され続けていることに気づけるだろうか。



もちろん本人にその自覚はない。

だが世代が違う僕らから見ると、それは立派な

創造力に溢れたボケになる。



口うるさい爺さんだなぁと思ってなるべく近くに

寄らないようにしていた人の、ちょっとした個性を

かわいいと思えるようになったとき。



それは彼の性格がかわったわけではなく、

あなたのボケ受信力があがったのだ。



ボケるとは、つまるところ、無駄を楽しむ心の余裕だ。



いま、発信者ではなく受信者の心が試されている。



(もっとボケよう 完)



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もといた会社の囲碁部の合宿幹事を、入社したての23歳の頃から

もう四半世紀続けている。



毎年2回ほどだから、いままで合計50回近くになろうか。

思い出すたびに笑いがこみあげる楽しい記憶がいくつもある。



毎回箱根、熱海、伊東など温泉のある近場に向かう。

ここ5、6年はずっと湯河原だ。

メンバーは毎回ほぼ決まった12,3名が集まる。



常連のKさんは80歳。ムードメーカーでまわりからは

名前で「和正さん」と呼ばれている。

僕もご自宅や趣味の水彩画の展覧会を訪れたり、ランチを

ご馳走になったりして日頃から親しくさせて頂いている。

仲間というより友人だ。



和正さんは、合宿メンバーの中では棋力が下のほうだが、

そんなことは全く気にかけず、いつも楽しそうに打っている。



「囲碁っていうのはね、こういうふうに打つもんですよ」



調子がでてくるといつもでてくるお決まりの台詞だ。

何子も置いている下手が上手にいうのだから可笑しい。

真剣に対局中の皆もついわらってしまい場がなごむ。



メンバーの高段者Sさんとの5子局でのことだ。

和正さんが珍しく静かに真剣な表情で打っている。

どうやら盤面中央が佳境を迎えている。黒はしのげるか。



数分後、からん、と碁笥のフタに獲った石をいれる音がした。

見ると、黒が見事に白石2つをポン抜いている。

いわゆる「亀の甲」が盤面中央にできた。しのぎが成功したようだ。

たくさん置いている碁で亀の甲が中央に出来たら、碁はオワだ。



一呼吸おいて和正さんが言った。

「これだから碁はやめられねぇなぁ」

いままで静かだった囲碁ルームがどっと沸いた。



相手のSさんも「いやーうまく打たれた」と頭をかくばかり。

集まってきた他のメンバーを前に、和正さんの得意そうな顔。

そして嬉しそうな顔。



「こんどしのぎに困ったら僕に聞いてくださいよ。

打ち方教えてあげますよ」



もう止まらない。



それから30分たった頃だろうか。終局したようなので

整地を見に行って絶句した。



中央の黒、30数石はあろうかの大石が全部死んでいる。

あの、ほこらしげに白2子を打ち上げた「亀の甲」ごとだ。

よく見ると眼らしきものは1つあったが、見事に欠け目だ。



笑いを押し殺しているSさん。



「こんな真ん中に亀の甲つくられてあきらめてたんですよ。

それが和正さん、油断したのか最後まで真ん中の石に手を

入れてくれなくて…」



「あれっいつの間に。おっかしいなぁ」



先ほどの顔色はない。今度は和正さんが頭をかく番だった。

ひときわ恰幅のいい身体が小さく見えた。



この話は1年がたった今も、瞬時に仲間をとびっきりの笑顔に

してくれている。







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東京駅を出るとき、こだま号の自由席はすでに満席近かった。

金曜の18時すぎだ。週末に帰る単身赴任者や、ちょっと旅行に

でかける人がいるのかもしれない。



仕事を終えたつれと東京駅で待ち合わせして、箱根湯本の温泉に

行くことになった。思い立ったらと前夜に予約した宿は朝食のみ。

夕食はこれから駅弁だ。こんな小さな旅もたまにはいい。



小田原まで30分ちょっとしかないので、席にすわるとすぐに

包み紙をあける。つれは3列シートの窓側、僕は真ん中で右隣は

ビジネスマンがビールを飲み始めている。



僕はいつもの『ひっぱり蛸』だ。蛸壺を模した陶製の容器に明石の蛸が

ご飯の中にうずまっている。それをひっぱり出しながら食べる。

販促の願いもこもった粋なネーミングだ。



品川に着くと残りわずかだった空席も埋まり通路に立つ人も数人出た。



「混んでるわね。あら…。やっぱりシニアは指定席取らないと…」



弁当を食べながらつれが小さくつぶやいた。見ると品川から乗ってきた

老夫婦が僕らの席から少し離れた通路に立っている。



たしかにそうだ。在来線とちがいシルバーシートはない。新幹線で席を

ゆずる光景もあまり見ない。混雑覚悟でやむをえなかったのだろうか。

それともこだまだからと油断したのだろうか。



新横浜では誰も降りず、通路はますます人でいっぱいになった。車内販売も

検札も難しい混みぐあいだ。大きなトランクをもった若者2人組が

僕らの席のそばに立った。老夫婦は4、5列前の通路で立ったままだ。



「何とか座ってもらいたいね」



2人が小田原より先まで行くなら僕らの席に座ってもらいたい。

だが、列車が減速をはじめてアナウンスがはいると、立っている人はみな、

誰か降りる人はいないかとあたりを見渡しはじめた。

空気が少し緊張している。



「このままだとダメだな」

「そうね」



荷物をもってすこしでも腰を浮かしたら、すぐ横のトランクの若者が

着席体制に入るに違いない。



「ちょっとこのまま座って待ってて」



一計を案じた僕は、弁当の空箱を捨てにいくふりで立ち上がった。

通路の人をかきわけて2人のところに向かう。



「あの、どちらまで行かれますか?」

「えっ…三島ですけど」



奥様は見知らぬ人にいきなり行き先を聞かれて驚いただろう。

僕はすぐにその不安を消すべく言葉を続けた。




「いまあそこに座っている僕らが小田原で降りますので、お二人で座って

頂けますか」



つれが呼吸をあわせて笑顔でこちらに合図をしてくれたので、僕らが

どこに座っていてどうして行き先を聞いたのか、わかってもらえたようだ。



「すみません。ありがとうございます」



さっそくいま来た通路を戻って2人を席近くまで先導した。

80代半ばに見えるご主人のほうは足が少し悪いようでゆっくりだった。



僕の荷物ももって出てきたつれといれかわりで、2人が奥の2席に無事

座ることができた。



奥様のほうが席の前で立ったまま何か言いかけたのは気配でわかったが、

そのときはもう列車は小田原に着いてしまっていた。

僕らは慌てて出口に向かった。あっという間で振り返る余裕はなかった。



「あっ」

列車を降りてホームを少し歩きはじめたとき、つれが小さく叫んだ。

奥様が窓から満面の笑みでこちらに手を振っている。



新幹線の窓なのですぐ近くとはいえ音は何も聞こえないし別世界だ。

だが口の動きで、ありがとうございましたと伝えたいのがわかった。



小さな旅で起きた小さな出来事は、温泉にむかう僕らの心をぽっと

灯してくれた。







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毎年夏に妹家族がアメリカから帰ってくるのにあわせて、

弟家族、両親と一緒に旅行にいくのが恒例となっている。



旅行先での楽しみに、最近、家族麻雀が加わった。

親父は市の麻雀教室に通っている。



親父と弟とその妻、僕の4人で囲んでいたときの話だ。

弟の長女めいちゃん(小学2年生)は、弟に教わりながら

ゆるく参加していた。途中、席をたって僕の横にきた。



「めいちゃん、ほかの人のを見てもいいけど、どんな牌を

もっているかは言っちゃだめだよ。『西』があるとかさ」

さとす弟に



「西はまだよめなーい」



と笑ってこたえる。わかっているのだろうか。

静かにじっと僕の牌を観察している。



「リーチ!」



テンパイ(あと1枚であがりの状態)となって、僕はリーチを

かけた。白(はく)と字牌のどちらかであがりとなる、

出やすいはずの待ちだった。



そのとき、衝撃の一言が卓上に響いた。



「明おじさん、『予備』もってる~♪」



がーん。



そうか。何も書いてない牌は、牌の一種ではなくて

予備だと思ったのか。



「えっ予備って…」



弟と義妹がにやにや笑いながら顔を見合わせる。

残念ながら、ぴんときてしまったようだ。



僕のあがり牌「白」は結局最後まで出なかった。

この局は5人目の参加者がキーマンとなった。



「あのさ、予備があるーとかも言っちゃだめなんだよ」



笑顔で僕が言うと、

「えっなんでー?」

皆の注目をあびたのが嬉しそうだった。



30分後、勝負は南3局で終わりにさしかかっていた。

そのとき義妹が「これって『カン』でしたっけ」

自ら3枚集めた牌と同じ牌をつもったとき、「カン」を宣言して

手を進めることができる。



彼女は一索(イーソウ)4枚を自分の牌の横に出した。

竹の本数で2,3と数字が決まる索子(ソウズ)のなかで

一索だけは鳥が描かれていて独特の図柄だ。



次に弟の番になった。だが手がとまって様子が少し変だ。

明らかに動揺した様子で口を開いた。



「兄貴、ちょっといい?あのさ…」

「俺のところにもう1枚、一索が来たんだけど」

「えっ!」



そんなはずはない。いまさっき、一索はカンされたばかりだ。

同じ種類の牌は4枚ずつしかない。



「なんだなんだ、うん?一索?

それなら俺のところにも3枚あるぞ」

今度は親父が自分の手配から3枚の一索を出した。



「なにっ~!!」



笑いすぎてその場でひっくりかえった。



一索が8枚もある。もうゲームどころじゃない。

弟がチェックすると、ローカルルールで使われる「花牌」

が混じっていた。ぱっと見、一索の鳥に似ている。



しかし最初からずっと一索がもどきふくめて8枚もあって

誰も気づかなかったのか。



親父は自分で3枚持っていながら、義妹がカンしたとき

何とも思わなかったのか。



素人麻雀はこれだから面白い。



この話を思い出すたび、僕と弟は今でも1分ぐらい笑い続けてしまう。







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「あっ今日は誕生日だったかな」



何年か前のことだ。

自宅に伺おうと電車に乗っているとき気がついた。

その日は、以前誕生日の話になったときに一度記憶した

「9月1日」だった。



囲碁やパソコンを教えるようになってもう8年になる

その方は40歳年上の友人だ。



「お誕生日おめでとうございます。今日から85歳ですね」

「そういえばそうですね。そんな歳になったなんて

   信じられないなぁ」

本当に自分の誕生日を忘れていたようだ。



小柄ながら背筋はしゃんと伸びて堂々としている。

いつも笑顔でよくしゃべり、ユーモアに溢れていた。



特に贈るものを持ってこなかったのを少し後悔したが、

僕が誕生日を覚えていたことが嬉しそうだった。



3時間ほどかけてゆっくり1局打ったあと、近くの店で

奥様と3人で夕食を、ということになった。



店は急な階段を降りた地下1Fにあって、暗くて足元も

よく見えなかった。手すりにつかまってゆっくり降りながら

言った。



「先ほど、『手抜きが大事だ』とおっしゃってましたが、

それはここでもそうでしょうか」



手すりから手を離すジェスチャーをした。



「いや、ここで手抜きは禁物です。転んだら大変です。

手抜きは盤上だけにしてください」



長い付き合いなので、こんなやりとりはよくある。

こういうとき決まって悪戯っ子のまなざしになる。

僕はそんな目が好きだった。



飲み物が運ばれてきて乾杯したときだった。



「はい、これ、誕生日プレゼントです」



鞄から著書を1冊だして渡してくれた。

あれっ僕の誕生日を覚えてくれてたのか。



一瞬そう思うのも無理はない。4日前は僕の45回目の

誕生日だった。



「今日は僕の誕生日だからね。誕生日の人が渡してもいいでしょ」



大好きな目になっていた。



「あー、そっかそっかー。そうですね!

  すばらしい誕生日プレゼント、ありがとうございます」



自分の誕生日に誰かにプレゼントを渡そうという発想は、

いままで聞いたことも考えたこともなかった。



こんな身近にこんな素敵な贈り方があるなんて…。



少年のような笑顔とともに、ずっと心に残っている。







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この2月に建てた我が家には3坪の小さな畑がある。

舗装して駐車場にする選択肢もあったが、あえて全面黒土を

いれて野菜の栽培に挑戦することにした。



両隣のシニア女性とは、この小さな菜園のおかげで

仲良くなった。



「あらっこれは何を育ててらっしゃるの?」

朝手入れをしていると声がかかる。

どうぞ、と門をあけて菜園の横でしばし立ち話に花が咲く。



「ミョウガはねぇ、ほっておくとどんどん根で広がるから

冬にスコップをいれて根を切ったほうがいいわよ」



初心者の僕にはありがたいアドバイスだ。



この土地にはむかし井戸があった。

これがほんとうの井戸畑会議なのかもしれない。



向かいの家には若い夫婦と小さな娘さんが2人住んでいる。



最近オクラを食べ始めたという、幼稚園に通う子に

オクラを自分で採ってもらうことにした。



「ねえねえがんばってー」



お父さんと一緒にハサミをもって採ろうとしている

彼女にむかって、向いの2Fの窓からかわいい声が届いた。

3歳ぐらいの妹だ。そのとなりにお母さんの笑顔も見える。



ちょっと緊張していたが、無事にはさみで収穫を終えると

にこっと笑ってお父さんに渡した。



「あっお花が咲いてる!きれい…」



隣の株に咲いている花に気づいたようだ。

オクラの花は野菜の花の中でもトップクラスに可憐で美しい。

ちょうど彼女の目線と同じ位置にある花をのぞきこんでいる。

目の輝きがどんどんアップしている。



「あとこれもあげる。この前ニンジンの葉っぱにいたんだよ」



以前お父さんから、見つけたらとっておいてくださいと頼まれていた。

アゲハの幼虫をエサとなる葉っぱといっしょに渡した。



「わぁ、おっきぃー」



緑と黒の縞模様は大人にはグロテスクだが、子供には違うようだ。

小さな目がさらにまんまるになった。



このサイズになると、ニンジンが一晩で丸裸にされてしまう。

目の敵にしていたのだが、こんなに喜んでもらえる方法があったなんて。



「ありがとう」



小さな声だった。

言い終わらないうちに後ろをむいて家にかけていった。



満面の笑顔なのが後姿からわかった。







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シニアは集まるのが早い。

そう思っていたが昨日は様子が違った。



水天宮前の碁会所で、会社OB 33名が集まる大会が

午前11時から始まる予定だった。



平均年齢は80歳近い。なかには90歳の人もいる。

3ヶ月に一度のこの大会を楽しみに遠く秩父から

かけつける常連もいる。



だが開始10分前になってもまだ2人しか来ない。

早朝の台風直撃で交通機関が大きく乱れていた。



3人目に江戸川区に住むHさんが登場した。



「いやー久しぶりに満員電車に乗ったよ。

何本待っても乗れないから、ちょっとだけ足をいれてなんとか。

死ぬかと思った」



笑っているが決して大げさではない。

脳梗塞の後遺症で杖をついている。



「駅の改札入るまでに1時間かかった。暑かったなぁ」



11時を過ぎると1人、また1人と笑顔で登場する。

いつもの倍、3倍の時間をかけてやっとの思いで着いたはずだが、

不思議とそれほど疲れた様子はない。

同じ経験をした仲間に会えて嬉しいのだろう。



期せずして扉があくたびに注目が集まり、到着するメンバーを

拍手で迎えるかの雰囲気になってきた。



「君はどうやってここまできたの?」

「いやー〇〇線が動かないんで、□□まで歩いてね」



ちょっとした武勇伝が披露される。

話すほうも訊くほうも楽しそうだ。



「こんなに電車が混乱するなら中止にしたのですが…」



頭をかく幹事だが、このメンバーに周知するのは簡単ではない。

メールを使わない人もいる。毎回ファックスや電話、時には手紙で

案内を送り、返事を確認する幹事の苦労は大変なものだ。



「SさんとTさんに途中で電話したんだけど出ないんだよ」



2時間ほど遅れて到着したメンバーが言う。

「あっ着信ありますね」とSさん。



スマホを持つシニアは増えたが、着信に気づかないことも

多い。そもそも「持ち運べる公衆電話」の感覚の人もいて

電話に出ることが少ない。



「ちょっとビール頂戴!」



カウンターに声をかけて、着くなり飲み始める人がでた。

大会は規模を小さくして1時間遅れで始まったが、今日は特別、

最初から宴会気分だ。



ランチタイムをすぎて2局目が始まったころ、新たに登場する人は

さすがにいなくなり、場はようやく落ち着きはじめていた。

皆それぞれの対局に集中している。時計の針が2時を指しそうな

そのとき、また扉が開いた。



「いやー4時間かかっちゃったよ」

Wさんだ。



「えーっよく来たねー」

対局中の人も驚きの眼差しをむける。



「中止の連絡がこなかったから、来ちゃったんだ」

いつも笑顔だが、さらに顔をくしゃくしゃにしている。

三鷹に住むWさんが家を出たのは9時50分。

駅構内に入るまでに2時間以上待ったという。



よりによってこの日東京は、今夏の最高気温を記録した。

炎天下で待つのは87歳の身にはこたえただろう。

だが彼も疲れたそぶりを見せず、すぐ楽しそうに打ち始めた。



今日は集うのがいつもよりずっと大変だった。

そのぶん、メンバーの笑顔は、いつもより輝いていた。



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住職さんの柔らかな笑顔が好きだ。



笑顔というより微笑みに近いかもしれない。

口をあけて大声で笑うということはあまりない。

落ち着いた優しい心が顔に自然にあらわれる。

不思議とこちらもおだやかな気持ちになる。



そんな住職さんを二度、素で驚かせたことがある。

僕は人を驚かせるのも好きだ。



三年前の夏、その住職さんが長年務めた京都の西本願寺を

案内して頂くことになった。



彼は私の囲碁サイト『石音』の常連で、毎日顔写真を拝見して

もう8年にもなっていたが、会うのは初めてだった。



「あらーほんまにぎょうさんですなぁ」



目が真ん丸になって笑っている。無理もない。



最初は1人で伺う予定が、つれと2人でとなり、さらに

弟家族、妹家族、両親と増えて10名の「ご一行様」になっていた。

つれも一緒にいいですか、と確認した際に

何名でもどうぞ、と言われ、ついその言葉を真に受けたのだ。



普段非公開の場所を、ぞろぞろとついていく。

安土桃山時代から今に残る国宝が次々に登場する。

僕は感激と興奮で口があけっぱなしになった。



途中、国内最古の能舞台を前に、3歳と5歳の姪が

仲良く座っていた。国宝にそそうがないか少し心配になる。

2人を見つめる住職さんはいつもの笑顔に戻っていた。



そして一昨年の冬、琵琶湖のまわりを旅行中にふと

思い出した。



ーたしかあの住職さんのお寺は彦根のほうだったな…。



西本願寺を案内して頂いてから一年以上が経っていた。

旅の道すがらアポなしで訪問するのも面白いかもしれない。

普通の家だと躊躇するが、お寺は自由にお参りが出来て便利だ。



午後2時頃に到着したが、家の呼び鈴に反応はない。

つれと手分けして探すも、お寺も境内も人の気配はなく

ひっそりとしている。



留守かなと思ったそのとき、つれに気づいた住職さんが

何か御用ですか、とお堂から出てきた。



「あっ石音の根本です。突然すみません。

旅行中にちょっと寄らせていただきました」



「えっ!やぁほんまに?ほんまに根本さんや。

えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」



僕をのぞきこむように確認すると、顔をくしゃくしゃにして

小走りで近づいてきた。喜びが伝わってこちらも嬉しくなる。



さっそくお堂の奥の「住職の秘密基地」に案内して頂いた。

毎日この3畳間でネット対局を楽しんでいるという。

石油ストーブの上でやかんが湯気をたてている。



「それは世の中には色々な人がおるけど、会うべき

人とは会えるように出来とるのですわ」



柔らかな笑顔でお抹茶をたてながら、偶然の再会を

こう表現してくれた。



冷えた身体が温まるのと同じく、心も熱くなった。







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一度観たいとずっと思っていた。



観覧は無料。倍率は50倍近いという。

10枚ハガキを書くこと3度目で当たったので幸運だろう。

50年以上、日本中を笑顔にしてきた『笑点』の収録だ。



子供の頃から日曜の夕方になると、親父が日テレに

チャンネルをあわせた。お袋はそれが終わるのにあわせて

晩ご飯の準備をしていた。



あの頃はたしか土曜日も学校があった。

週休2日制になる前の日曜日は今よりも輝いていた。

あのテーマソングは貴重な休みの終わりをつげる

チャイムだった。



当日、入場開始の3時間前に並んだ。親父は目が

悪いので出来るなら近くの席を取りたい。900席

のうち整理券は35番だった。



開始直前に親父たちとも合流していよいよスタートだ。



司会の昇太がすぐそばにきてオープニングを録った。

2本分をまとめてだ。今まで気づかなかったが、

映る観客は2週連続で全く同じ顔ぶれとなるはずだ。



大喜利が始まると、木久扇のボケに親父が笑っている。



「あらうまいじゃない」

円楽の返しにお袋も感心している。



収録中、思わぬハプニングもあった。昇太が出題の際、

「海産物に例えて」という条件を言い忘れて1問目が

終わったのだ。しかし回答者は皆、イカだの蛸だの、

全部きちんと海のもので答えていた。



出題のシーンだけ撮り直しだ。頭をかく昇太に事情を察した

会場は爆笑だった。



「こういうのは見にこないとな」



出題はあらかじめメンバーに知らされていたのだ。

50年欠かさず見続けてきた親父は満足そうだった。



それにしても1問1問が長い。放送の倍ぐらいの時間

をかけている。途中横を見ると、親父は目をつぶっている。

暗がりで観るのに疲れたのか。夢の中かもしれない。



帰り際、水道橋駅に向かう橋の上で親父がつぶやいた。



「一生に一度は観にくる価値があるな」



この笑顔が見れて僕は満足だった。







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つくり笑顔という言葉は少しネガティブだ。

だがそれはまったく似合わなかった。

全力の笑顔は力があった。



近くでやっているので、規模の大きな盆踊りに出かける

きぶんで試しにふらっと立ち寄った。

しばらくその場を動けなくなった。



高円寺の阿波踊りは今年で63回目を迎えたそうだ。

踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々!

アー、ヤットサー  アッ、ヤットヤットー



老若男女、外国人も踊っている。

50人ぐらいのチームがなんと160チームも。

踊り子で1万人、観客は2日間で100万人にもなるという。

1万人の全力の笑顔が、100万人を笑顔にする。



ここに住み続けるかぎり、毎年楽しみにするだろう。







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僕はいつも肝心な時に体を壊すようだ。

つれにはすこぶる評判が悪い。



数年前、真冬のアラスカ旅行当日に発熱して

町医者にかけこんだ。



「今日の夕方からアラスカに行くんです。

マイナス30℃だそうです。何とかしてもらえませんか」



医者は聞き間違えたのかわざとか

「どこに行くって。荒川?」と笑って薬を処方してくれた。



今年のGW、両親の金婚祝いに山梨は笛吹川温泉に

車でつれていった。その前々日、自宅で開いた囲碁会の際、

4寸盤を押入れからひっぱり出すときに腰をやってしまった。

いわゆるギックリだ。



初めての針治療のおかげで何とか旅行は出来たものの、

両親より僕のほうが歩くのが難儀な状態で、

祝うどころか逆に心配をかけた。



そして先週、木曽路を旅する数日前にまた腰をやってしまった。

テラスでプランターの土を運んでいるときだった。

旅の最中、荷物のあげおろしや立ち座りの際は常に

気を使わせることになった。



「これじゃ旅じゃなくて介護だわ」



嘆くつれに返す言葉もない。

こちらは車から降りるだけで2分はかかる。

靴下がひとりで履けない。



最終日、秋晴れに恵まれたので千畳敷カールを

見に行って帰りのバスでのことだった。



「皆様、左手にいまニホンカモシカがいます」



とつぜん車内アナウンスがはいった。



「なにっ!カモシカ?」



僕らはちょうどバスの降り口横の席だった。

瞬時につれは窓に貼りつき、僕はあわててスマホを

手に席をおりて中腰になり、降り口の窓に近づいて

外を見た。カモシカがゆっくり草を食べていた。

僕は慣れない動画撮影にしばし夢中になった。



30秒ほど停まったあとバスはゆっくり動き出した。

「いやーカモシカいたね~」



驚いた顔で席に戻ると、笑いをこらえながら

疑惑の目をこちらにむけている人がいた。



「いまさっと立ち上がって中腰で撮影して、

さっと座ったわよね。カモシカより面白いわ」



またもや返す言葉がない。

こちらも笑うしかなかった。







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旅の途中で出会った笑顔は、何年経っても鮮明に覚えている。



アラスカ最北端の町、バロー。



4千人のエスキモーが暮らす北米大陸最北の地への憧れは、

新田次郎の『アラスカ物語』を読んだ中学生の頃からすこしずつ

大きくなった。そして1993年の2月、大学生の僕を単身極北に

向かわせるまでに成長した。



バローについてまず、お土産を探しにふらっと雑貨屋さんにはいった。

店員は偶然、あの小説に出てくる人物のひ孫だった。

小説の世界と現実がわずかに交差した。はじめての経験だった。



目の前がずっとキラキラと輝いていたが、それがダイヤモンドダストと

気づくのには時間がかかった。吐く息が一瞬でフェイスマスクの

口のまわりに凍りついた。



宿泊したホテル「トップオブザワールド」のツアーに参加した。

エスキモーのトニーがジープで凍った北極海を案内してくれた。

道中、氷上をさまようトナカイの一家や北極熊の親子を見つけた。

僕のワクワクが最高潮に達した瞬間だった。



その興奮冷めやらぬ帰り道、ジープが突然停まった。

360度見渡す限り氷の世界だ。いったいどうしたのか。

すれ違った一台の車が窪地にはまって動けなくなっていた。

運転しているのは年配のエスキモーの女性だ。



先ほどまで流暢な英語で冗談をまじえ僕らを笑わせていたトニーが、

車を降りて話しかけた。その言葉は現地の言葉のようだった。



「みんな、手伝ってくれ!」



トニーが車のドアを開けると、マイナス30℃の冷気が

一気に車内にはいってきた。

車内には僕とアメリカ人のカップルの3人がいた。



こういうことは時々あるのだろう。彼はすぐ車から

シャベルを出して動けなくなっている車のタイヤ近くを

掘り始めた。僕はあわてて手袋をはめて車外に出た。



「せいのっ」



英語ともエスキモー語ともわからないトニーの掛け声を

相図に、僕らは4人で車を持ち上げた。はまった前輪が

道に持ち上がるには少し届かない。男手は3人だ。



トニーの指示で3人の位置を少し変える。

心配そうに車の持ち主が横で見ている。



「よし、もう一度」



僕も掛け声にあわせて渾身の力をこめて車を持ち上げた。

その瞬間、はまったタイヤが少し浮いて道に戻った。



「おおっ」



エスキモーの女性が安堵の声を出して顔をほころばせた。

手をあわせ僕らに何度も、何度も御礼の仕草をする。

村はずれの凍った北極海の上でひとり立ち往生していたのだ。

不安だったに違いない。



言葉は通じないが、陽に焼けて真赤になった顔には不思議と

懐かしい思いがした。エスキモーはアジア系の顔をしている。



極地の低い太陽に照らされた顔は、ダイヤモンドダスト

とは関係なく輝いていた。



きっと僕の顔もそうだっただろう。







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笑顔の力を信じてコラムを連載中の自分にとって事件である。

「笑わない男」という耳慣れない称号を手にした男があらわれた。

ラグビー日本代表の稲垣啓太選手だ。



その徹底ぶりを見るに、にらめっこ世界大会があれば

そちらでも日本代表になってほしい。

ぶっきらぼうなだけなら事件でも何でもないが、

彼の「笑わない力」は見逃しがたいものがある。



饒舌でも不愛想でもなくただ普通のトークなのに

チームメートや後輩思いの温かい空気が伝わってくる。

ほかの人が笑顔にのせて伝えるものを、あの真顔で

伝えるのだから驚きだ。



彼はちゃらちゃらするのが嫌で、表情のバリエーション

を意識的に少なくしたようだ。勘違いされやすいだろうが

感情のバリエーションが乏しいわけではない。



今朝も番組のトークで

「今もすごく面白いです」「結構たぎってきてます」

と笑顔なく答えて周囲の爆笑をさそっていた。



人を表情だけで判断する癖をあらためようと思う。

きっかけをくれた彼に感謝したい。



普段笑顔の人が時に真顔で話すと周囲の耳はたつ。

その逆で、稲垣選手の笑顔はきっと大きな力を持つだろう。



そんな瞬間が楽しみだ。



(笑顔の法則 完)



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今から25年ほど前のある夏の日の午後のことだった。



お盆休みからずらして休みをとっている先輩が数人いて

まわりは空席が目立っていた。のんびり仕事の書類に

目を通していると机の内線電話が鳴った。



「根本君、君はもう夏休はとったかね。あっそう、

まだならちょっと僕の部屋に来てくれるかな」



鈴木さんの野太いしゃがれた声は、受話器から

少し耳を離していても聞こえた。顧問の鈴木さんは

61歳で新入社員の僕とは37歳離れていた。



―囲碁部の話かな。



仕事の話でないのはわかっていた。鈴木さんは

会社の囲碁部の部長で、僕は間もなく鈴木さんから

引き継ぐことになっていた。



「失礼します」

ノックして部屋にはいると、鈴木さんは大きな黒い革張りの

背もたれに身体をまかせて煙草をくゆらせながら

一枚の紙を見ていた。



「これを一緒に行きたいと思ってね」

日本棋院主催、日中アマ囲碁交流旅行のチラシだった。

JALのツアーで第二回とある。すぐに値段に目がいった。

7泊8日で46万円だ。



―無理だな。貯金もないし。



そんな気持ちを察したかのようにつづけた。



「君さえよければ飛行機代はワシが出してもいいんだ。

 JALのマイレージがたくさんたまっておってな」



がははと豪快に笑った。



「君のところの課長にはこのまえ話をしておいたよ。

根本君は10月後半に夏休みを取るよ、とね」



―えっそんな話がもう課長に!



僕の記念すべき社会人最初の夏休みが、

僕の知らないところで決まってるなんて。

おどろいて顔をあげるとすこしいたずらっぽさが

入った目とあった。



もう一度チラシを見ると、ただ囲碁を打つだけではなく

万里の長城や途中で西安に移動して兵馬俑など、観光も

もりだくさんの一週間だ。



―中国には行ったことないし、夏休みはまったく予定がない。

 面白いかもな。



「囲碁部のほかのメンバーはねぇ、みんな家族がおってな。

誘っても、『鈴木さん、囲碁を打つならもっと近くで打ちます。

中国に行くならもっと安く行きます』なんて言うんじゃよ」



―そりゃそうだわな。



僕は100名近くいる囲碁部の中で18年ぶりに入社(入部)

した新人でただ一人の独身だ。幸い、高段者なので他のメンバー

からかわいがってもらっていた。



入社面接のとき、第二外国語は?と聞かれて思わず「囲碁」

と答えたのが形勢逆転になったのを思い出した。

人事担当役員が囲碁部だった。



「お誘いありがとうございます。行きたいと思いますので

 よろしくお願いします」



その時の鈴木さんの嬉しそうな顔を今でもすぐ記憶の

フォルダーから取り出すことができる。



怒ると誰よりも怖いと社内でも有名な強面の顧問も、

僕にとっては大切な囲碁仲間のひとりだった。





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鈴木さんと一緒に中国に行くことが決まってから数日たつと、

その話は課内で広まっていた。



―うちの根本をよろしくお願いします。



課長もあわてて挨拶にいったらしい。

そんな大げさなことかと思うが、会社はそういう

ところだと知った。課長はちょっと嬉しそうだった。



新人が夏休みに顧問と海外旅行、というのは

思った以上に周囲に衝撃を与えた。



これじゃ釣りバカ日誌のスーさんとハマちゃんならぬ、

ス―さんとネモちゃんじゃないか、と先輩たちは

面白がったり心配したり。



こんなきっかけでも囲碁に興味をもってくれる人が

周囲にあらわれて、それは嬉しい誤算だった。



「えっ一親等?二親等?それはねぇ、一緒に行く根本君は、

家族のようなものなんだよ。わかるね。なにっ、権限がない?

ではこの話ができる人と、変わってもらえるかな」



ある時、鈴木さんの部屋に行くと、いつもよりさらに大きな声で

航空会社と電話で交渉していた。自分のマイレージを使って

僕を中国まで連れていってくれようとしていた。



「家族のようなものなんだ」



あたたかいセリフだ。

僕は直立不動で、電話が終わるのを待った。

熱いものが心に流れた。

今思えばこの瞬間に「友情」が芽生えたのかもしれない。



結局電話のむこうが4人目にかわったところで話はまとまった。

遊びの話も決して手を抜かず、ルールがあるからという理由だけでは

あきらめない。商社マンの交渉術を間近で学ぶ貴重な機会だった。



「さっきむこうの総大将にテレックスを打っておいたよ」



交渉の厳しい顔から一変、いつもの笑顔にもどった。

打ち出されたテレックス用紙を見ると、



「いつからいつまでそちらに囲碁を打ちにいくのでよろしく。

 Mr. Nemotoもいっしょに」



とある。宛先は中国支局の代表で常務だ。専務と常務の

どちらがえらいかまだわかっていない新人ながら、仕事の話

ではないのにこんな日中にいいのだろうかと心配になる。



テレックスはメールがない当時、海外支店とやりとりする

のに頻繁に利用した。毎朝課長が書いたテレックス文を

課に1台しかないパソコンでタイプするのは僕の役目だった。



料金が文字数で決まるため、英語の頭文字だけでやりとりする。

たとえば「ありがとう」は「TKS」で「本当にありがとう」

は「M(many)TKS」だ。



そのとき現地北京では、あの鈴木さんが来るということで

店の予約や車の手配、観光ルートの確認などが進んでいた。



同行の「Mr. Nemoto」は鈴木さんと2人で来るぐらいだから

相当親しく同年代と思われるものの、社内名簿ではそれらしい

人は見当たらない。ならば取引先の重役かだれかだろう、

という話で落ち着いていた。



本人はそんなことを知るよしもなく、間近にせまった

初めての夏休みをこころまちにしていた。





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社会人になって初めて知った言葉に「カバン持ち」がある。



どこから見ても新入社員というストライプのネクタイを

しめる僕は、恰幅がよく余裕をただよわせる鈴木さんの

「それ」に見えるにちがいない。



空港のツアー集合場所には、シニア男性が15,6名と

日本棋院の職員と棋士の信田六段、さらにツアコンの女性1名が

集まっていた。若い男性は僕だけだ。



「鈴木さまはいらっしゃいますか。お荷物お預かりします」



とつぜん本当にカバンを持ってくれる人があらわれた。

ツアーの担当者かと思ったが、航空会社の女性職員だ。

鈴木さんは手慣れた様子で荷物を渡し、僕も一緒にくるように

手招きした。わけがわからずついていく。



仕事で頻繁にニューヨークを行き来しているので

このエアラインのお得意様のようだ。ツアーなのにこういう

こともあるのだと感心する。



慣れない場所できょろきょろしながら、ラウンジで

静かなひとときを過ごした。



「根本君、この席ひさしぶりで愉快だよ」



20年ぶりのエコノミーだそうだ。僕にあわせてくださった

のかと最初勘違いをしたが、ちがう。機内で対局したいのだ。

狭いエコノミーのほうが隣同士の間隔が狭い。



僕は事前の指示どおり、マグネットの碁盤を機内に

もちこんでいた。



「もう水平飛行じゃろう。さっ早く、盤を出しなさい。盤を」



横を見ると、大変失礼ながらゲートに入ったばかりの競走馬

のようである。鼻息が荒い。早く走り出したくて仕方がないのだ。

機はやっと離陸してまだ1、2分しかたっていない。

窓の外は雲の中。体重がまだかなり背中にかかっている。



「えっ、まだ全然水平じゃないですよ。もう少し待ちましょう」



至極まともな返答をしたつもりだった。



「何を言っておるんだ。もう水平飛行じゃ」



語気が強くなった。囲碁で怒らしたら、日本で右に出る者はいない。

仕方がない。そっとトレーを出して碁盤をセットした。

横を向きながら離陸直後の機上対局が始まった。



「お客様、まだトレーは出さないでください。危険です。

  ただちにもとにお戻しください」



案の定、すぐスチュワーデスが飛んできた。

いい大人の2人が、小学生のように怒られた。



素直に小さくなっている鈴木さんの横で

僕は笑いを押し殺すのに必死だった。





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北京に到着した我々一行は、一夜あけた翌日に

まず天安門広場にむかった。



―こんな広い広場は観たことがないな。



そう思って当然だ。東西500m、南北880m、

世界最大の広場で50万人は集えるという。



偶然だが今日2019年6月4日は、あの事件から

丁度30年だ。訪れた1994年10月21日は

すでに5年が経過していて、事件の面影はまったく

感じなかった。



気持ちいい秋晴れのもと、棋院関係者2名、ツアコン、

現地ガイドを含めた21名が1枚の写真におさまった。

僕は前列右から2番目だが鈴木さんは後列左から5番目だ。



前回ふれたように、この旅は鈴木さんの中国支社訪問も

兼ねているため、途中ツアーとは別行動となって鈴木さんと

2人で動くことが予想された。



ツアーで動いているときはなるべく鈴木さんから離れて

他のメンバーと会話をするよう心がけた。みな自分の

親より年上だが、せっかくなので知り合いを増やしたい。



広場にある毛主席紀念堂に向かう。18年前に亡くなった

毛沢東の遺体がいまだに警備数人に守られ巨大なガラスケースの中に

安置されている。



国家の威信をかけた技術のたまものだろうか。まるで昨日から

眠っているようだ。ここは日本ではなく、中国、社会主義国で

あることに気づく。



さてこのツアーはこうした観光も盛りだくさんながら、

もちろんそれがメインではない。貸切バスで市内にある中国棋院、

中国における囲碁の総本山にむかう。



途中の車窓からは、団地の一角で卓球を楽しむおばさん達が

目にとまった。風がふく野外で卓球をしている。その風を

ものともしないラリーが白熱していて、球の速さが日本の

温泉卓球の比ではない。草野球ならぬ草卓球だ。



こりゃ中国の卓球が強いわけだ。

はじめての中国は観るものすべてが新鮮だった。





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話は前回より一日前、我々一行が北京についた日にさかのぼる。



ツアーの宿泊先は乗ってきた航空会社が運営する日系ホテルだ。

フロントでもロビーそばの売店でも普通に日本語が通じる。



部屋は鈴木さんと同室となった。ミニ冷蔵庫をあけてみて驚いた。

コーラが¥20、ビールは¥30とある。



「さすが中国ですね。びっくりするぐらい安いです」



鈴木さんに話かけるもすぐに間違いに気がついた。

中国の通貨「元」も記号が¥なのだ。

円と同じく発音がもとになっている。

日本円にするには14倍しないといけない。



夕食は中国側を代表する陳祖徳九段らと一緒だった。



「根本君はこっちに座りなさい」



レストランにはいると、どこに座るか逡巡する他のメンバーとちがい

鈴木さんはすぐに陳九段をはさむように席をとって僕を呼んだ。

テーブルは中国なので大きな円形だ。



陳祖徳九段。

中国の囲碁事情に詳しくない僕でもその名前は知っている。

中国棋院の院長であり中国囲碁会のレジェンドだ。



中国ではじめてプロになり、はじめて日本の九段を互先でやぶり、

そしてあの「中国流」を創った。



サッカーファンがペレと食事をするようなものなのだが、思ったほど緊張しなかった。

陳九段の流暢な日本語と穏やかな語り口、何より謙虚な人柄が

自然とそうさせたにちがいない。



名刺交換では、印刷された名前の横にその場でサインをしてくれた。

日本のファンを歓迎するこうした陳九段の細やかな気遣いは、数日間の滞在中

ずっとかわらなかった。



勧められるがまま紹興酒をあけたので、弱い僕はあっという間に赤くなる。

当然酔っているはずだが、そんな自覚もないほど感激の夜になった。



部屋にもどりテレビをつけるとサッカーの試合結果を放送している。

どうやらスポーツニュース番組のようだ。



次の瞬間、目を疑った。

囲碁が放送されている。今日の対局結果とその様子の映像だ。



ーあれっスポーツ番組じゃないのか。



そう思うのも無理はない。だが囲碁のあとは卓球と続いた。

ここ中国では50年以上前から、囲碁は正式な体育、つまりスポーツだ。

日本だと身体を動かすものがスポーツとよばれるが、ここでは頭も体の一部ということだろう。



そう、僕はスポーツ交流をしに北京まで来たのだった。





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2日目は天安門広場の観光のあと、中国棋院で早速対局だ。

まず1局目は、日中アマ親善交流として中国のアマチュアの方が相手だった。



碁石は日本のものを横でスパっと半分に切った形をしている。

表と裏があって片面は楕円ではなく平らなので座りがいい。

打つとパシっと音がする。



当初、半分の材料で済むのでこうした形になっていると思ったが違うようだ。

局後の検討のとき、実際に打った石と想定図の石をそれぞれ表と裏で

区別しておけば、さっと元に戻せる。合理的な考えだ。



手、つまり着手で会話する意味から囲碁のことを「手談」というが、

その言葉どおり言葉が通じなくても対局はなんとかなった。

僕の相手はとても強く、僕はいいところなく負けてしまったが、

局後の検討では丁寧に教えてもらい楽しいひとときだった。



2局目は、中国のプロに指導碁を打ってもらった。指導する棋士は皆中国の

トップ棋士で、このツアーを歓迎する気持ちが伝わってくる。

僕は華以剛八段と3子、鈴木さんは有名な馬暁春九段と5子で2人とも

勝てなかった。日本語が話せる中国棋院の棋士が局後の検討に参加して

くれたおかげで、盤上でも中身の濃い時間を過ごすことができた。



夕方、いったん宿に戻る。予定表では夕食は中華料理の名店なのだが、

今夜は会社の中国総局のメンバーと鈴木さんが会う約束をしていて

僕もツアーとは別行動になった。



2人でホテルのロビーで待っていると玄関前に黒のベンツが2台停まって

中から人が降りてきた。同じアジア系の顔ながら一目で日本人とわかる。



「やぁ千葉さん、久しぶりじゃのう」



急に顔をほころばせた鈴木さんが大きな声で話しかけた。

中国代表の千葉常務だ。ほかにも2人いる。



「鈴木さんお元気そうですね。お久しぶりです」



簡単な挨拶をしている間、僕は鈴木さんのすぐ横で待っていた。



「ところでMR.NEMOTOはどちらです?」



自己紹介のタイミングをはかっていてずっこけた。

まさか顧問の鈴木さんがこんな若者と一緒に来るとは

思ってもみなかったのだろう。

僕はツアーの世話係だと思われていた。


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