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根本席亭ブログ 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記 囲碁の上達方法やイベント情報など、日々の出来事を発信していきます。


囲碁入門、無料が当たり前になりつつある。

「松竹梅」 

これ、松があるから梅の意味がある、梅が生きると思う。



無料しかなければそれは「ただのタダ」。

ブランドを下げてしまう危険もある。



1時間5千円の囲碁入門、どんな内容だったら集まるだろう。

提供サイドがもっと知恵を絞り、考え抜かないといけない。

まずは無料で囲碁入門をやって。ここで思考停止してはいけない。



無料入門で100人集めても、5千円入門で3人集めても、

普及のゴールから見たら効果は似たようなものではないか。



以前表参道で1年間、毎週少人数有料入門をやった。

60分で4千円。毎回1人、2人だったが、

3年経過した今、半数が立派な級位者、囲碁ファンに育った。



投資セミナー。

無料から数千円、数万円のものまで様々。

まさに松竹梅揃ってる。

参加者が自分の状況にあったものが選べるのは素晴らしい。



囲碁入門、現在その「選べる価値」を提供していないのではないか。

業界の皆さん、どう思いますか?



「松があるから梅になる」

そんなことをふと思う、梅雨の晴れ間の席亭です。




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2014/06/14

ぼける力


最近自分がぼけてるなぁと感じる瞬間増えてきました。

同じ「ぼけ」でもいくつか意味があるんですね。



1.ぼけつっこみのぼけ(わざと)

2.あの人ぼけぼけだよね(天然)

3.最近ぼけてるなぁ(記憶)

4.ぼけ防止(認知)



囲碁を楽しくするスパイス、そして教える時ぜひ意識してほしいと思うのが、

1のぼけ(わざと)だと気づきました。




囲碁は相手の予想を外しあうゲーム。

「え~そうくるかー。」「あっそうきたかー。」「うそっ!」

これが楽しいんですよね。観てても打ってても、ぼけが多いほど、楽しい気がしませんか?

一流のぼけ 対 一流のぼけ 。一流のぼけ 対 一流のつっこみ。




盤外でも囲碁界にはもっと「ぼけ」必要かもしれません。

楽しいお笑いの世界、ぼける人と言えばすぐ浮かぶ顔あります。

松ちゃん、ウッチャン、太田、岡村・・お笑い界の外でも広く活躍している印象です。

つまりファン層が広い。




盤上で「ぼける力」は教える時に威力を発揮します。

記憶に頼らず自分の頭で考える碁” に自然となるからです。

手を記憶しようとすると、覚えてないことに苛立ちを感じたり、

限界を感じたりします。

しかし「その場で考える力をつけよう」は違ったメッセージになります。

そう、覚えなくていいんだ!




不思議なもので、覚えなくていいよ、と教わると、

結果的に覚えてしまう面あります。

ぼける力は、「その日その1局その1手」の印象を強くします。

9子局黒番。白のかかりにコスミつけ、帽子には肩ついて脱出。

勿論基本は大事。しかし毎回上手が同じでは、

下手の思考停止、暗記偏重を招き進化を停めてしまいます。




何よりいつも同じ打ち方、それでは囲碁の面白さを

十分に引き出していないと思いませんか? 



まずは上手がどんどん「ぼけて」いきましょう。

そして囲碁界の人はもっともっと盤外でも「ぼけて」発信していきましょう。




参考までに席亭の盤上でのぼけ方「天空流」です。

シーズン1・2(5話ずつ)。シーズン3構想中~。

実生活ではぼけまくりですが、

囲碁に関して盤外のぼけがまだまだ足りないので頑張ります。



席亭動画「天空流」:http://www.youtube.com/watch?v=Q33ViAoxaqU



新システムになってユーザーから色々な声を頂いている。

「あれが出来るようにしてほしい」「これはもっとこう変えてほしい」

発信してくださるというのは、想いが強いということ。

貴重な意見に耳を傾けつつ、反省、修正すべき点を一つずつ対応してここまで来た。

しかしあえて対応してない事がある。




それは、”挨拶の自動送信” 機能。

旧石音にはあったが新石音ではあえて外した。

チャットの苦手なユーザーや、毎回同じ文言を打つ面倒をサポートする機能だ。

挨拶以外にもよく使う文言が定型文となり、備わっているネット碁が一般的だ。




石音は囲碁に限らずオンラインゲームの世界で、”交流度世界一”を目指している。

匿名、アバターが当たり前の世界に、文字通り一石を投じたいと思って創った世界である。

便利さを多少犠牲にしても大事にしたいことがある。




以前こんなことがあった。

80代のメンバー。チャットはほとんど出来ずしばしばローマ字に。

対局後にいつものように

「チャット無理しないでください。あそこはこう打つのもありましたね・・」

何本かコメントを打つも反応なし。

こちらは事情が分かっていることも伝え、終了しようとしたその時だった。




「敗軍の将、兵を語らず」



正しい変換で見事な一言が返されてきたのである。

チャットが打てないのではなく、打たなかったのである。

短い言葉だったが、そのタイミング、その空気、そのお写真から

色々な情報が発せられているように感じた。その時、あぁこれだと気づいたのだ。




年代の幅が広いファン層、当然チャットの得手不得手はある。

もし挨拶できなくても、相手が年配の方なら、当然苦手なんだろうなと想像できるだろう。

またゆっくりでも、一言でもコメントがあれば、その想いは通常の人より伝わるだろう。

逆にチャットに不自由しない年代の方が、何もコメントせずであれば、

それがその人だということだろう。




自分流にカスタマイズしたコメントを保存、送信する機能も

今のところ実装の予定はない。

面倒でも、その日、その瞬間、その相手に対して、発したいと思う一言を、

無理せず出来る範囲でチャットしてほしい、そう願っている。



あれだけ置石があったのに・・

こんな下手の心の声が聞こえてきそうな置き碁の終盤戦。

置碁ではしばしば、終盤の最後の最後に上手が逆転、が起こります。



それもそのはず。盤上にある石の比率が、序盤と終盤では全然違うのです。

例えば9子局。1手目を白が打った時点で、盤上は黒石9個、白石1個。

つまり黒石の盤上占有率は90%。



しかし91手目の盤上は、黒54個、白46個で黒石占有率は54%。

終盤の191手目だと、黒104個、白96個で黒石占有率は52%。



そうです。9子局でも終盤はほぼ互先の状態。1手の価値がどんどん終盤に向けて

小さくなるので、上手の逆転の余地は限られますが、それでもそこまでに黒は

かなりの「貯金」をしないとだめなのが分かります。



つまりこんなことが示唆されています。



『量より率に注目!』



さて最近、周囲の同年代、特に女性の「私は内面重視よ」「外見は関係ないわ」

という発言を耳にする機会が増えてきました。

40代も半ば近くなると、こうした声が増えるのは分かりますが、

「外見まったく関係ないとか本当かなー」と思うことあります。



今までは

「本当は少し外見も気にするけど、いつまでもそんなこと言ってるのは

恥ずかしいから体裁考えて・・でしょ」

ぐらいに思っていたのですが、先日ふとこの置碁の法則から、

"教え"が降りてきました。



つまり、体裁を気にしての発言ではなく、

その人の「外見重視の割合」が下がっただけ、

「外見重視の量」は変わってないのでは、ということ。



ではなぜ量はかわってないのに、外見関係ない!となるのでしょう。



人は成長とともに、経験をつんで「選球眼」が成長します。



20代の時に「10」あった選球眼(相手を選ぶときの要素)。

そのうち「9」が外見、「1」が内面だとしましょう。

(この時は、かなりの面食い)



それが30代には選球眼が成長して「20」に増えますが、

外見は1しか増えず合計「10」、内面は9増えて「10」に。

(この時は、バランスよく外見も内面も重視)



40代には選球眼がまた成長して「30」に増えますが、

外見は「10」のまま。内面だけが10増えて「20」に。



こうして自分の中での比率は逆転して内面2:外見1。

(この時は、内面重視に)



しかしここ10数年、増えているのは内面の分だけなので、

外見に対する自意識が薄れてしまい、



「私は外見関係ないわ、内面重視よ」

となるわけです。



どうでしょうか。

勿論これ以外にも「内面重視にはもっと深い理由がある」とは思いますが・・




 



生活必需品以外の分野、いわゆる趣味や余暇、嗜好品の中で、

これから一生関係ないだろうな、と思われるものが7割ほどあった。



自分的にはバイクやタバコ、編み物など。友人や家族に強く勧められても、

まずやらないだろうなという分野。これをAグループとしよう。



次に残りの3割を見渡してみて、その7割(つまり全体の2割)が、

「家族の勧めなど強いきっかけ」があればやるかもしれないけど、

その機会が来ることがイメージつかない。

自分的には競馬や競輪、マリンスポーツがそうだ。これをBグループとしよう。



残りは全体の1割。今やってないけど、きっかけがあればやるかもなーと

イメージ出来るもの。自分的にはギターやチェス、ボルダリングなど。

これをCグループとしよう。



この「なくても困らず生活できるもの」は、ABC、

つまり7:2:1に分けられることに気づいた。

この比率、自分に限らず一般的にもそう違わないのではないか。



今まで囲碁を広めたい想いのあまり、ABC関係なく無鉄砲に

玉を撃っていたかもしれない。

自分に対してタバコ会社がどんなキャンペーンを張ろうとも、

どんな美女を使おうとも、目の保養にはなっても心は動かない。



囲碁でもきっと7割の人がAグループ、ファンにはならない層だろう。



しかしこれは囲碁だけの話ではない。

身の回りにある何でもそうかもしれない。悲観する必要はない。

今まで囲碁が難しい(と思われる)から、イメージが固まっているから、

という先入観で、僕らは100人に教えても1年後数人しか生き残らない現状を

片付けてきた。そしてその確率をあげる方法論に悩みもがいてきた。



しかしABを除いてCグループに絞り込んで、普及したらどうだろう。

もう少し元気が出る結果につながるのではないか。

まずはそれがどんな人というところからスタート。

Cだけでも日本に少なくとも500万人、つまりファン層が

倍増する余地があるということ。



囲碁がCグループに入る人。

それは社会人であれば

「サードプレイスを求める人」

「異業種友人を求める人」

「自己の能力アップを目指す人」


ここからさらに絞り込めるだろう。



現役を退いた方であれば「心身の健康に敏感な人」

囲碁Cグループ予備軍だろう。



今まで囲碁の話をするとき、製品説明にならないよう気をつけてきたつもりである。

しかし、○○にもいいですよ、○○という効果もあります、

とてんこ盛りにして、ついついメリットをたくさんアピール、絞ってこなかった。

これからは対象を絞り、効果も絞って訴求していこう。

今までにないレベルで道が開けると思う。早速実行しよう!



名付けて『席亭しぼり』

最後は余計だったかもしれない。


 

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