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2022/08/12

目のつけどころの鍛え方(7-12)


(7)

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オレオレ詐欺を減らすにはどうしたらいいか。



前回出した質問に皆さんならどう答えるだろうか。



振り込む場所での徹底した注意喚起 →実施中

テレビCMなどメディアをつかった注意喚起 →実施中

おとり捜査など手法を駆使して検挙率アップ →実施中



色々と考えられる。



しかしこの犯罪が世に出て間もなく20年がたつ。

色々と対策をとっても一向に減らないどころか、

手口が巧妙化してますます増加、悪質化している。



なぜだろう。



それは「立場を変えて見ていない」からだ。



どうしてこの犯罪が減らないかというと

これが犯人にとっておいしいからである。

儲けと罰則のバランスが犯人にとって非常にいい。



中国における麻薬犯罪(死刑)のように、出し子だろうと

主犯だろうと極刑をもって対処できるようになれば

激減するのは間違いない。



ここでもう一つ。

「立場を変えてみる」と並ぶ目のつけどころの鍛え方、

「違和感を根にもつ」を登場させてみよう。



そもそもオレオレ詐欺は「詐欺」なのか。



以前からこの軽いネーミングと犯罪の定義に違和感があった。



僕らが詐欺といってまず思い浮かべるのは、

うまい儲け話にのってしまい騙されたというパターンだ。

もちろん騙される側が悪いわけではない。



ただ、「うまい話には気をつけろ」と「詐欺」に対してはある程度、

教育上、社会通念上、予防できる。



しかし、「息子がピンチになった話には気をつけろ」



これには無理がある。

親は息子のピンチを心配するものだからである。



オレオレは詐欺ではない。

故意に心を傷つけお金を奪う強盗傷害だ。



心が傷つくとは、脳が怪我をするということ。

最低でもコンビニ強盗よりは重い犯罪だ。



騙す犯罪=詐欺、というところで思考停止していることに

気づかないと犯罪は減らない。



「立場を変えて見る」

「違和感を根に持つ」



目のつけどころを鍛える2つのワザを駆使することで

社会問題の解決の糸口が見えてくる。



7年前、「海外赴任中の弟がピンチ」の話に慌てた母が

50万円を振り込んでしまった。



他人事だったはずのことが家族におきたことで、

怒りとともに自分の頭が動きだしたのを覚えている。





(8)

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「立場を変えて見る」を行動で示してくれた人がいた。



僕が勤務していた会社の元顧問で37歳年上の方とは、

囲碁を通じて20年間交流した。

金曜の夜は仕事のあとよく遅くまで対局したものだった。



囲碁に夢中になって小腹が空いたころ、

「根本君も一緒にどうかね」と声がかかった。

決まって近くの中華店からワンタンメンを取った。



なんとなくごちそうになる雰囲気、流れかなと思いきや、

出前が届くと



「根本君、760円」。

(えっ割り勘?払うの?)



初めはそんな思いがつい頭をよぎった。



カフェでお茶しても、タクシーに乗っても必ず割り勘。

ところが、たまに「今夜は飯行こうか」と連れていかれた

高級鉄板焼き店では、2万円ほどの食事をポンとごちそうになった。



のちに僕が囲碁サイト『石音』を立ち上げた時も、この方には

出資や事務所を借りる際にはるかに大きなお金でお世話に

なったのだが、この習慣は一貫していた。



どうして夜食やお茶は割り勘なのか。



本人から直接聞くことはなかったが、おそらく、

「友人」「人生の後輩」「ビジネスパートナー」3つの立場で

僕とつきあってくださったのだ。



そういえば、『石音』に関する打合せの時のお茶代は、常に

私持ちだった。あれは「ビジネスパートナー」だったからだ。

夜食は「友人」、鉄板焼きは「後輩」だった。



「立場を変えて見る」をお金の払い方で教えてくれたこの方は

残念ながら6年前に亡くなった。



「友人」の証しだった割り勘のありがたさが、時がたつほど

身に染みてくる。



「教えよう」「教わろう」の「先生と生徒」だけではない

間柄だからこそ、真の教えとして深く心に残っている。





(9)

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前回まで「目のつけどころの見つけ方」として

「違和感を根に持つ」「立場をかえて見る」

の2つを紹介した。



3つ目は「俯瞰する」だ。



これも気づけばコロンブスの卵のごとく、

あーなんだ、となるが、多くの人は気づかない。

つまり、「目のつけどころ」となる。



さて、今度の休みの日にどこに出かけるかを検討中だが

奥さんは海、あなたは山、と意見があわない。2人の間に

一触即発の空気が流れる。



こんな時どうするか。



片方が妥協する、はこの場合の答えからは外すとする。

どちらの心にもわだかまりを残さず一瞬で解決するには、

相手にこう確認してみよう。



「いま今度の休みに一緒に仲良く過ごすための計画を

練ってるんだよね」



そう、山か海か、という行動に向けられた視点を

少し上にあげればいい。



共通の目標が確認できれば、どこに行くかに固執する

必要はない。行動は単なる選択の問題として一段下がる。



僕自身、囲碁普及の現場で長らく「俯瞰する」が

出来ていなかった経験がある。



10年にわたり、若者への囲碁普及イベントを

毎月開催していたのだが、思ったように定着しない。

あるとき「はっと」気づいたことがあった。



囲碁入門の現場で僕は一生懸命、

「囲碁好きになってもらおう」としていたのだ。



えっ、これは普及に務める人として普通じゃない?

これが問題なの?



例の「立場をかえて見る」で簡単にわかる。

大問題なのだ。



僕は囲碁に「はじめて」触れる人に対して

「囲碁に振り向いてほしい」

「囲碁を好きになってほしい」

をわけずに、どちらも熱く伝えていた。



合コンで「自己紹介」と「アプローチ」を同時に

やってしまうようなもので、うまくいくはずがない。



囲碁好きになってもらいたい気持ちを押さえて、

まずは、「囲碁へようこそ!」と軽く、自己紹介に

専念しなければならなかった。



小手先の入門指導の方法や話し方に気を取られ、

自分の行動を俯瞰できていなかった。



皆さんが、いま、何かうまくいかないことを抱えていたら、

視点を上にあげてみてはどうだろう。



最後にひとつ簡単な質問だ。



囲碁と将棋の違いを一言で言うと何ですか。



「俯瞰して」考えてみてほしい。





(10)

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「目のつけどころの見つけ方」、3番目の「俯瞰する」だが、

「囲碁と将棋の違いを一言で」「俯瞰して」という例題を前回出した。



皆さんの答えはどうだろう。



ゲーム性から「細部」にこだわると、「陣地取りか王様捕りか」となる。

この答えが浮かんだ人は、「俯瞰する」が出来ていなかったようだ。



2つのゲームの進行を俯瞰すると答えはこうなる。



「駒が動くか動かないか」

シンプルだ。



盤上の駒が捕られることがあるのは囲碁も将棋も同じだが、

置いた駒が動くのが将棋、動かないのが囲碁。

同一局面が出るのが将棋、出ないのが囲碁、ともいえる。



「時間」と同じで逆戻りができないのが囲碁、とすれば、

囲碁を人生や経営に例える人が多いのもうなずける。



ちょっとした気づきを含んだ見方のきっかけを与えてくれるのが、

「俯瞰する」なのだ。



さてここで冒頭の絵を見てほしい。

江戸時代の禅僧、仙厓の絵で、墨でゆるく描いた線が特徴だ。

何を意味するかわかるだろうか。



「座禅蛙」と名付けられているこの絵には、弟子たちに

むけた微笑ましくも厳しい警鐘が隠されている。



蛙ですら座禅しているように見えるだろ。

座禅するといっても、ただ座っているだけではダメだよ。



そんな仙厓の声が聞こえてきそうだ。



目を細め、俯瞰して見ることで、蛙をモチーフにすることが

思いついたのではないか。



小難しい話や理屈で諭すより、ユーモラスな絵のほうが

伝える力があったことだろう。





(11)

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今まで10回にわたり書いてきたことを

簡単にふりかえってみよう。



・目をつけるとは何か。



本を読むときに線をひくようなこと。

自分にとっての常識と非常識の間に注目すること。



・どう目をつけるか。



違和感を根に持つ

立場を変えて見る

俯瞰する



ここまでお付き合い頂いた読者のなかには、

なぜ『上達の約束』のコラムにこれが連載

されているのか、疑問に思う人もいるかもしれない。



あえて少し大胆に、こう答えるとしよう。



上達するとは、目のつけどころを鍛えることである。



大胆に、とことわったたのは、

「目のつけどころを鍛えるとは、上達すること」

ではなく、逆もまた真なりとならないからだ。



目のつけどころを鍛えると、たくさん「いいこと」がある。



すでに見てきたように、

解決できない問題に光がさしこむ、

人を魅了する新しい商品をつくる、

多くの学びがある深い交流ができる、などだ。



その一つに「上達」がある。



次回からは、本稿の主題である「目のつけどころをどう鍛えるか」

を見ていこう。皆さんなら、どう鍛えますか。





(12)

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今回から本コラムの主題にはいる。

目のつけどころをどうやって鍛えるか。

まず答えから言おう。



「目をつける回数を増やす」



これにつきる。

千本ノックである。

「あれっ」「ふとまてよ」の回数を増やす。



そんなに難しいことではない。

だが今日、「あれっ」が3回以上あっただろうか。



目をつけるのは、自分の「常識と非常識の間」

であることは以前のべた。



自分の興味のある分野だけでくりかえし「麦踏み」

をしていては、「自分の非常識」に近づくことはできない。



たくさん目をつけることはできず、

目のつけどころは鍛えられない。



普及に悩む業界にあてはめてみよう。



囲碁業界が「上達」しないのは、業界として

「目のつけどころ」が鍛えられていないからだ。

私もふくめ囲碁の人は、たいてい囲碁が好きすぎる。

囲碁という言葉をつかわずに、囲碁に興味をもって

もらうような話ができない。



松岡修造は、「みんなテニスをやりましょう」とは言わないが、

専門外での露出が多く、結果として錦織がスポーツで

最も稼ぐ人になる地盤を築いている。

彼は引退後、「外」に目を向けて、「応援団長」、

「もっとも熱い男」のポジションを獲得した。



「普及の名策」は、外に目をたくさんつけること

から始まるのだ。



グーグルは「世界中のものが検索できる」と豪語している。

だが一つ検索できないものがある。

それは、自分が興味のないことだ。



興味のないことは、検索ワードを打ち込めない。

だから検索できない。



とすれば、興味のないことに自然と目がむくように、

日常を少し工夫すればいい。



おすすめは2つある。

1つは「人」だ。



家族や友人から誘われたときに、興味がわかないという

理由で断ってはいないだろうか。



目のつけどころを鍛える観点からいえば、むしろ、

興味がわかないときこそチャンス到来だ。



とりあえずやってみよう。

とりあえずいってみよう。



その意味で、「話のあわない」歳の離れた人との

交流もお薦めだ。現役世代であれば、70歳80歳

のシニアは、自分を検索可能エリア外に連れていってくれる

案内人だ。



そしてもう一つは「本」だ。

自分の本棚を見渡してみてほしい。

ジャンルが偏っていないだろうか。



以前ビジネス本と囲碁本しかなかった僕の本棚は

完全に「栄養失調」だった。



お薦めの本を一冊紹介する。



『乱読のセレンディピティ』 外山滋比古著



思いがけないことを発見する年末になるだろう。


 

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