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根本席亭ブログ 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記 囲碁の上達方法やイベント情報など、日々の出来事を発信していきます。


昨日は前日に続いて87歳のシニア宅でPCと囲碁指導だった。



日曜は富士山に沈む夕陽を眺めながらだったが、

月曜は一変、吹雪の大都会が窓の外にひろがった。



いつも対局が始まり少したった頃、奥様がお茶をいれてくださる。

昨日は桜茶に和菓子だった。




本当は話をしながらゆっくり味わいたいが、

対局中は盤面に気がとられてしまう。




それでも一口食べた瞬間、これはうまい!と思ったのは覚えている。

桜茶の薄い塩味が和菓子の甘味を
ひきたてていたのも。



しかし味の記憶はすぐに「脳の別フォルダ」に仕舞われる。

あとでそれを取りだすことはめったにない。


対局中、僕は「味のわからなくなる男」になる



昨日いただいたのは、赤坂にある和菓子の名店、『塩野』の

生菓子であることは知っていたので
、あとで調べて驚いた。



15種類ある「1月の和菓子(1個370円)」で

これだけ1個700円(!)の『菱葩餅(ひしはなびらもち)』だった。



説明にはこうあった。

求肥餅の中には赤く染めて菱形に抜いた求肥と密漬けごぼう、

そして優しさの中にもきりっと
風味のある味噌餡がはいっている。



いまさらながら昨日の味がよみがえってきた。



あの中にはたしかに優しい味噌がいた。

味噌はたしかにきりっとしていた。

包んでいた求肥はたしかにほっぺたより柔らかかった。




あぁ、かなうことなら碁盤の前ではなくもう一度…。



もうひとつ。

包装をあけたとき、ごぼうを楊枝と思って最初に抜きとり、

しずかにお皿に置いたのを思い出した。




*御菓子司 塩野 http://www.siono.jp/201801.htm



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僕は2歳から4歳を山形の米沢で過ごした。

冬は豪雪で家が埋まり、2Fから出入りしていたそうだ。



かすかな記憶がある。

遊んでいる最中、雪の穴に落ちてしまって父に助けられた。

恐らく大きな声で泣いたにちがいない。




写真や伝聞で作られた記憶もあるだろうが、

楽しい最中に突然起きた「悲劇」は記憶の底にたしかにある。



今日、久しぶりに東京は雪景色となった。

二子玉川に住む5歳と7歳の2人の姪は

さっそく自宅バルコニーで
楽しんだようだ。



妹のほうの右足を見ると、この記憶は僕のよりも

もっと確かなものとして
刻まれるだろう。



yuki



以前、鎌倉文学館で鎌倉ゆかりの文豪の直筆原稿を

見る機会があった。




芥川龍之介、夏目漱石、川端康成、与謝野晶子。



どの原稿にも削除、挿入、書き直しなど、

苦闘のあとがはっきり浮き出ていた。



完成原稿でこれだとすれば、没原稿はどれほど

クシャクシャになって部屋を埋めつくしただろう。



書いたものを丸めるとき、頭をよぎるふがいなさ、

口惜しさはいかほどだっただろう。



ふと思う。



100年前の作品がいまだ多くの人に愛されている。

では100年後に今の作品が同じように読まれるだろうか。



名作として評価され読まれる作品の量は限られる。

“入れ替え戦”であの文豪たちに勝てるだろうか。



書くという作業が、パソコンに向かって行うのが

あたりまえになって20年が経った。



いま忘れられつつある「紙に書く」が

名作が輝く理由のひとつだとしよう。



半歩でも近づくためにやるべきことは決まった。

明日から僕も「紙に書く」をもう一度日々の営みに戻そう。



このブログは別として。



今から10年ほど前のことだ。

毎年夏にアメリカ西海岸サンディエゴからやってくる

2人の姪っ子が、




―アンクル明、あーそーぼー!



と僕の部屋に入ってきた。

当時2人は4歳と5歳。
僕はちょうど会員と石音で対局中だった。

遠くから妹の声がした。



―華(hana)、奏(kana)、

 アンクル明は
お仕事中だから邪魔しちゃだめよ。



―えーっ、だってアンクル明、いまゲームしてるよ。



あの時のショックはまだ覚えている。



そうだよな。まだわからないよな。

でも大きくなったらわかるよ。大きくなったら。



昨日、16歳の華(hana)から1枚の写真が送られてきた。

彼女はいま身長172cmたしかに大きくはなった。

だが写真をよく見ると…。



あの時自分に言い聞かせたのは、間違いだったかもしれない。




igo



国が進める「シニア活用」と中小企業の大きなテーマ「採用と定着」。



この2つがぶつかって革新的な流れが生まれるといいが、

よく考えると無理がある。




これだけ世の中の変化のスピードがあがる中で、

「シニアの再教育」という
概念が社会にないからだ。



ではシニア向けの教育の場をたくさん作ればいいのかというと、

ことはそんな簡単ではない。




知識・経験ともに十分なシニアがその場に集まる動機がない。

「知識十分・意識不十分」なシニアが大勢いる。


経済的にもそれほど困っていなければなおさらだ。



現状は、シニアの視線が「うちへうちへ」

(仲間うち、自分のうち)と向かっている。

『世代遺産』が伝わることなく、日本中で日々消えていっている。




自分の力をもう一度社会に役立てよう。

世代を超えて伝えていこう。



その気になって頂くためにどうやって火をつけるのか。



いま準備中の『名脇役オーディション』について来月中旬、

中野区の経営者の前で
話す機会を頂くことになった。



経営者側への発信に加えて、名脇役候補のシニアへの発信も

仕掛けていきたい。




4月からこれを毎月の定例会に発展させて、

中野から全国に発信していきたい。


 

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