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根本席亭ブログ 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記 囲碁の上達方法やイベント情報など、日々の出来事を発信していきます。


どこか旅に出ようとなったとき、優先順位の一番には来ないが

これが
あるとグンと味がひきたつようなもの。



これを“旅のスパイス”と呼ぶとしたら僕には2つある。



1つは国宝。もう1つは寅さん。



「国宝」は数年前から僕の中でゆるやかに興味が上昇中だ。

旅先でお堂や仏像、書画
などに偶然会えたら、それはもう特注料理

の比ではなく得した気分になる。



最近だと福井の永平寺で観た『道元の坐禅を勧める書』がそうだった。



そして「寅さん」とはそのロケ地のこと。

何度も同じシーンを見ているとその場所への憧れは強くなる。

京都に行ったとき、丹後の伊根まで2度も足をのばしたのを思い出す。



この2つのスパイスを同時にふりかけられそうな場所を最近みつけた。



まだ行ったことのない琵琶湖周辺を近いうちに歩いてみようと思う。



囲碁を打っていると、相手がどのタイミングでじっくり考えるかで

相手の強さがわかる。




だいたい3パターンある。



一手一手じっくり考える、

ピンポンのようにすぐ打ち返す、

じっくりとピンポンの混合、この3つだ。



混合タイプも、どこでじっくり考えるのかで強さがわかる。



自分の失敗に気づいてから考えるのか、

失敗しそうな手前で考えるのか。



失敗しそうな手前を見分ける力が囲碁の力といえる。

これは囲碁に限らずいえることかもしれない。



今日対局した小学2年生の男の子は、棋力は初段ながら

見事なタイミングで
あちこちで手が止まった。



こちらがワザを仕掛けるちょっと前のタイミングで、

いままで打っていたポンポン打つ
リズムを崩して

じっと腰を落ち着けて考えるのだ。




この落差、このタイミング、とても8歳児とは思えなかった。

この子の成長が楽しみだ。



最初は高校の世界史の授業だった。

いつか著作を読んでみようと思った。



それから時が20年近く流れたある日、北京の街を独りで散歩していたら

偶然その人の博物館の前を通りかかったのでふらっと入ってみた。



平日の昼間、誰もいない建物の中をゆっくり見てまわった。

実際に暮らしていた家も移築されていて、使っていた机や

ベッドもそのままだった。



忘れていた興味が静かに沸いてきて

帰国後にその人を解説した新書を読んだ。



それから10数年たったある初夏の日。

恩師が眠る鎌倉円覚寺の境内の一角にモクレンの木があった。

「その人」から贈られた木だと説明書きを見つけて驚いた。

それも恩師が生まれた昭和8年のことだった。



そして先日、新橋駅前の古本市で偶然目にとまった本があった。

26年前のものだが、新品同様の綺麗なもので200円。

すぐに財布を開いた。



『魯迅居断想』 阿部正路



その人とは魯迅。中国の文学者、思想家だ。



この本を読み終えたあと、30年来の満を持して

彼の著作とむきあうつもりでいる。



先週末、『丸ノ内農園』という東京駅前の道路300mぐらいが

農業に関連した出店がならぶマルシェのようなイベントがあった。



東京駅前なのに牛も数頭いるのが驚きだ。

このイベントの主催は農水省で、担当に友人がいることもあり、

昨年に続き今年も
ぶらり歩きを楽しんだ。



ふつうのマルシェよりも試食が充実していて、

今日はお腹をすかしてこなかったことを少し後悔する。



ある出店の前で声をかけられた。

「マロンをシールに描くとプリンがもらえますよ~」



意味がよくわからないが、プリンがもらえると聞いただけで、

横にいたはずの人は
そこに吸い込まれている。



マロンを描けと急に言われてもなぁ。



適当に
10秒でささっと色ペンで描く。

そのシールを冷蔵庫から取り出したプリンの容器に貼る。



隣で爆笑している人がいる。

絵心がなさすぎるのを指摘されるかと思いきや

どうやら塗りつぶすところが「逆」らしい。



これがマロンのロマンなんだ。



と悔しまぎれのセリフが浮かんだのは

その場を離れて少したってからだった。




マロン



囲碁を教えている87歳の方と奥様と3人で昼食を食べながら、

先日山梨の渓谷を歩いた話をした。




ご夫婦は僕の話をいつも面白そうに聞いてくださるので

つい話が弾んでしまう。



そして僕の話に関連した自分の経験談を、ユーモアをまじえ

続けるのも毎度のことだ。




その方は数十年前、奥多摩の渓谷でマス釣りをしたそうだ。

しかし、2匹のマスが追いかけあいながら優雅に泳ぐのを見ているうちに、

頭の中に自然とシューベルトの「鱒」
が流れてきて

釣るのを忘れてしまったという。




そんな話を聞いてると僕にもその曲が流れてきた。

そうか。名曲はこういうシーンからふと生まれるのか。



僕の渓谷の話には、弾んでもいい続きがあった。



小さな池で養殖されているヤマメを見て、

朝食で出てきた甘露煮のサイズに似てるとか、

もっと太ったほうが美味しいだろうなとか、次々と浮かんだのだ。



もちろんこの話はそっと胸の奥にしまいこんだ。



*シューベルト「鱒」第4楽章 http://mjk.ac/3Z9XFN


 

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