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根本席亭ブログ 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記 囲碁の上達方法やイベント情報など、日々の出来事を発信していきます。


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下呂温泉に4泊したあとは、名古屋の大学でデザインを教えている旧友と

杯をかわした。20年前、石音を創業する前後の数年間、一緒に戦った

仲間だ。短く濃い時間のあと長い空白をおいての再会は、盛り上がる。

勝手に「プリンの法則」と呼んでいる。



濃い時間がカラメルで空白の期間が黄身の部分。この比率が丁度いいと

混ぜて食べるとうまい。そんな宴だった。

昔の仲間は増えない。プリンの数も限られている。



旅の6日目、一目散に東京に戻るのは惜しい気がして、静岡に寄った。

訪れたことがなかった久能山東照宮は駅から3時間もあれば往復できた。

全国にいくつかある家康の墓の中で、ここが一番「本物」、つまり

彼が眠っている可能性が高いそうだ。囲碁を生業とするものとして、

囲碁の創業者ともいえる彼の前で手をあわせられたのはよかった。



翌朝、ホテルの朝食が6時半と早めだったので、7時半には車中の人

となった。朝陽に輝く富士を上り電車から眺めながらふと思った。

一週間におよぶ一人旅はいつ以来だろう。もしかして学生以来…。



朝9時に帰宅すると、驚いたつれはひとこと。

昨日泊まる必要あったの?



もっともな指摘ながら、言われるまで全く気づかなかった。



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「男はつらいよ」を見始めたのは40代にはいってからだ。

全48作を10年間で3回ずつぐらいは見ただろうか。



ここ数年旅先で、「ここ寅さん来たかな」と調べるようになった。

ロケ地には大観光地はあまり選ばれず、むしろ、あまり知られていない

場所が多い。木曽の奈良井宿や滋賀長浜、三重の賢島や丹後の伊根など

帰宅したあとに気づいて、映画を一時停止しながら見たものだ。



先日の下呂温泉でも、まぁここには来てないだろうなと思いつつ

ランチのほうば焼定食を食べながらスマホで調べてみて驚いた。

その店の目の前の橋で、寅さんがバイしていたのだ。



第45作のエンディング、マドンナが風吹ジュンで、弟の永瀬正敏が

新婚旅行先で偶然バイする寅さんと出会ったのが、この橋だった。



「男はつらいよ」第45作ロケ地

https://www.cinemaclassics.jp/tora-san/location/424/



30年前とかわらず同じ建物が写っている!

と嬉しくなって思わず撮った。



狙っていないと、いいことがあるものだ。



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週に何度かの散歩や、たまに出かけるぶらり旅を綴ってみたい。



キーワードは「無計画」。

単なる計画ナシではなく、意志をもった、狙った無計画だ。

「無計画をたてる!」といばってはみるが、つれの反応は薄い。



さて先週はひとり下呂温泉に4泊、名古屋、静岡に1泊ずつしてきた。

名目は一応「仕事」だ。ワーケーションなる便利な言葉が出来たのは

好都合だった。



下呂に来たのは初めてだが、草津、有馬とならぶ日本三名泉の一つとは

知らなかった。別府や箱根は怒らないのだろうか。



街中には至るところに足湯がある。温泉博物館もある。

道にはまだところどころ雪が残っていて日陰は凍っている。

自分のトークと同じで、すべらないようにするのが大変だ。



ししなべのランチで身体が温まったので、ちょっと足をのばす。

173段の階段をのぼり「温泉寺(おんせんじ)」に行ってみた。



詳しくは最下部リンク先を参照頂きたいが、全国各所のお寺巡りを

楽しんでいる目から見てもここはユニークだった。



湯薬師如来、通称「湯掛薬師」が鎮座していた。

座った下からこんこんと湯が沸いている。源泉かけ流しの如来だ。

お参りの際、自分の不調の部分にお湯をかけると治るという。

温泉を手ですくい、腰のあたりにかける。腰よりもかじかんだ手が

すぐに喜ぶのを感じた。ふだんの行いから頂く功徳だろうか。



もっと境内を歩いてまわりたかったが、いかんせん、一面凍った雪で

怖くて坂道には入れず残念だった。



ここも当地の名所の一つだろうが、水曜午後2時、階段、道すがら含め

誰にも会わず、湧き出したお湯が落ちる音以外聞こえない、

静かなお参りとなった。



温泉寺(下呂温泉)http://www.onsenji.jp/about/index.html



囲碁では最初、「考えて」打つように教わる。



自分なりに考えて打って、失敗して、反省して成長する。



そのサイクルをまわす。上達して高段者になると、直感が磨かれ、



だんだん考えなくても打てるようになる。プロは考えなくてもほとんど打てる。



考えないで打てるからプロともいえる。




「考えなさい」からスタートして、「考えなくても打てる」がゴールだ。




テニスでは最初、どこに力を入れるといい球が打てるか、練習を繰りかえす。



上達すると、今度は力を抜く技が必要になる。プロの試合を見ていると、



力の抜けた柔らかいショットが打てる人ほどランキングが高い。



力を入れる方向ではなく、力を抜く方向でレベルの差があらわれる。






「最初に教わったことの反対を意識するといい」



これは趣味やスポーツの話だけではない。





「ひとの言うことをよく聞きなさい」




子供のころを思いだしてみると、僕は、学校でも家でもそう言われた。



うわの空で返事をしてさらに怒られた。



これが囲碁で「考える」、テニスで「力を入れて打つ」になる。



とすれば逆はどうなるか。




「ひとの言うことを聞かない」




言うことを聞かないとは、条件反射で「はい」と反応しないということ。



よく考えずに相手の意見を鵜呑みにしないこと。とくに上司や目上の人、



そして「すごい人」の意見に要注意。



いつまでもひとの言うことをよく聞いていてはダメだ。



最初から耳を傾けないのも、コミュニケーションとして問題だ。



だからこうなる。




「しっかり耳を傾け、そしてひとの言うことを聞かない」





「忘れちゃいけません。覚えておきなさい」




子供の頃は覚えることが山ほどある。毎日がそのくりかえしだ。




大人になったいま、「忘れる」「覚える」はどうなるか。




「覚えたことを忘れる」




学校でも家庭でも教えてもらえないこと。それは、「忘れる方法」だ。



『暗記科目』という言葉はあるが、『忘却科目』という言葉はない。



大人になって成長するには、知識を蓄える子供の頃とは逆の動きが必要だ。



なぜ忘却が必要か。それは「気づく」ためだ。新しいことに気づくには、



最初にいれた知識を忘れることが必要だ。



いわゆるデトックス、新陳代謝の基本原理である。






「定石を/覚えて2目/弱くなり」




囲碁の格言である。定石とは最初に覚える基本の打ち方のこと。



強くなるために定石を覚えると、なぜか弱くなる、という、逆説的な真実への



警鐘だ。定石を一生懸命覚えると、実際打つときにそれを思い出そうという意識が



強くなる。その場で考える、がおろそかになって弱くなるのだ。




これから成長していくには、昔覚えたことを一旦意識の下にしまっておく、



ぐらいの「忘れる」が必要になる。






「忘れない程度に、忘れる」






これは、新しくさまざまなことに気づくための、大事な技術だ。





「ふざけちゃだめです」




囲碁で陣地のことを「目」というが、無駄な目、つまりどちらの陣地でもない場所



のことを「駄目」という。



そこから「やっても甲斐のないこと」「してはいけないこと」の意味になった。




ふざけるのが大好きな子供に、「ふざけちゃだめ」と言って基本動作を



しつけるのは当然だ。



そして大人になって必要なのはこうなる。






「まじめにふざける」






まわりをみてみよう。新しいアイデアは、まじめにふざけている人から、



毎日湧き出ている。



「まじめにふざける」とは、固定観念や先入観から解き放たれて自由に遊ぶこと。



実際に自分でやってみるとわかる。意外と難しい。




20年ほど前、カジュアルフライデーという習慣ができた。



これは見事に定着しなかった。



まじめにふざけられなかったからだ。金曜だけ皆おなじ恰好になった。



スーツを着ていったら課長に怒られた。社会人として不快感を与えない限り自由、



が定義なはず。



が、スーツを着ない日、となった。「自由」が規定となったのである。



なんともおかしなことになった。コンセプトと現実があわず、自然と消滅した。





「効率よくやりなさい」




これが正しいと教わって大人になった。だが社会に出てみると、



その逆にサービスの差別化ポイントが隠れていた。




「非効率だけどやる」




非効率だがやらなければならないこと。そこに気づいた企業が強い企業だ。



280円均一で人気の焼き鳥チェーン「鳥貴族」。価格勝負の大衆店だ。



どこよりも効率重視のはずだが、一番手間のかかる串うちを各店舗でやっている。



味への強いこだわりで非効率に挑戦している。





なんでも初心者のとき、最初に教わることがある。上達したあとは、



最初に教わったことの反対に、成長の種が埋まっている。



成長に必要だったことは、成長したあとに一旦忘れて、反対を向いてみよう。






まじめに生きることが悪いわけではない。



だが、ずっとまじめに、言われたことを守っていると、成長がとまる。




大人はそのことに、なかなか気づけない。



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SNSの登場もあって、つっこみ偏重の世の中になった。

それも漫才のようにボケを輝かすためのものではなく、

責めるニュアンスがつよいつっこみだ。



息苦しくならないように、ここはやはりボケの力を借りたい。

そんなボケの景色を切り取っていこうと思う。



4年前の夏の日のことだった。僕は運営する囲碁サイトの

常連の方と京都駅で待ち合わせをした。

旅行に行くついでに一度会いましょうとなったのだ。



その方は82歳。サイトでお互いの写真は見ているが

大分前の写真かもしれず混雑した場所での待ち合わせには

少し不安があった。その方からメールが届いた。



「新幹線中央口出たところで帽子をかぶって待っています」



まじめに提案しているのはわかるが、笑いがこみあげてきた。

真夏の暑いさなか、シニアはみな帽子をかぶっている。

会うのがよけい楽しみになった。



「いやー写真で見るのと違いますなぁ。それに大きいでんなぁ」



改札を出てきょろきょろ見渡していると、ひとりのシニアと

眼があった。ニコニコしながら話しかけてきた。

写真ではわからないが僕は長身なので驚かせてしまったようだ。



近くの喫茶店に入った。

世間話をすこししてからひとつ聞いてみた。



「どうして僕のサイトを選んでくださったのですか」



「それはね、ホームページの席亭の写真を見てこの人なら

  信用できそうと思ったんですわ」



表情から本気でそう思ってくださっているのがわかる。

となりでつれが笑いを押し殺している。

僕も失礼がないようにとこらえるのに必死だ。

出会って最初のひとことは「写真と違いますなぁ」だった。



つっこむのは簡単だがボケるのは難しいと言われる。

たしかにそうかもしれない。



だが自分で意識してなくとも相手がボケを感じることもある。

それでいい。その瞬間、2人の距離は間違いなく縮まる。



あれから4年が経ったいま、はっきり言える。

歳が離れた2人にとってボケは大事なスパイスだ。



それも今まで意識はしてなかった。







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間違いも堂々と言いきると味が出る。

母を見ていてそう思う。



3年前、珍しく11月下旬に都内で雪が降った翌日、

両親とともに伊豆天城に向かっていた。



心配された天気もその日はうってかわって快晴で、

伊豆に近づくにつれて車内から望む富士山が大きくなってきた。

すっかり雪化粧していて白が青空に映える。



「あらぁ綺麗だわね。私は昔から晴れ女なのよ」



後部座席の母がちょっと自慢気に話かけると

助手席のつれもあわせる。

「私達も出かけるときは晴れのことが多いんです」



空気を読むことをしない父がすぐさま反応した。

「私は雨男です」



一瞬会話がとぎれそうになったがすぐ母が回避する。

「そんなの関係ないわよね。四捨五入よね」



車内に「?」が拡散した。

四人しかいないのに捨ててしまってはこまる。

多数決と言いたかったのだろう。



弟の娘が小学校に入学した直後、母はかわいい孫の

様子を僕に電話で知らせてきた。

ちょうどその頃日本中があの半島の国からの飛来物に

神経をとがらせていた。



「昔とはちがうわね。めいちゃんが学校を出ると

  お母さんのスマホに連絡がくるらしいの。

   いま門を出ましたって」



「へぇ自動でメッセージがね。それだと安心だね」



話をあわせると母はちょっと知ったような口ぶりで続けた。



「きっとランドセルにJアラートがついてるんだわ。

  そう、そうに違いないわ」



知らせがくる、に反応してしまうのはわかる。

母は横文字とカタカナに弱い。

いつもならスルーするが、放置すると近所にまいてしまう。

GPSだと思うよ、とやんわり指摘してから電話をきった。



妹の娘たちは毎年夏に米国からやってくる。

高校生になった2人は目新しいものをすぐに聞いてくる。

ひらがなとカタカナは読める。



「おばあちゃん、あれなに?ビックロとあるけど」



新宿を母と妹、姪っ子と歩いているときだった。

去年とちがう大きな建物をめざとく見つけたようだ。



ちょうど彼女達は八王子で買ったユニクロを着ていた。

僕が横から説明しようとした。そのときだった。



「あっあれはね、ビックカメラとクロネコヤマトが

一緒になったのよ」



衝撃をうける僕のとなりで、姪っ子たちは素直に

うなずいていた。







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ボケには2つある。

意図しない天然のボケと意図する人工のボケだ。



定義上はそうなのだが、この中間にあたるボケもある。



これはわざとかな、いや、たまたまかな、と、

こちらに考えさせる。



このタイプに会うとたまらなく得した気分になる。



以前、新宿のネパール料理店でランチを楽しもうとメニューを

選んでいるときに気がついた。AランチはあったがBはなかった。



「これ、ただのランチセットでよくない?」



そんなやりとりを厨房で毎日ニヤリ見ているのだろうか。

店員が日本人ではなかったので、わざとかどうかはわからない。



「日本の朝食」をコンセプトにした素敵なお店が京都と鎌倉にある。

『喜心』の朝食は完全予約制だが、最終スタートは午後2時だ。



「おいしい朝ご飯だったね」

と店を出ると午後の3時半。一度やってみたい。



そんな特別な目で探さなくても、身の回りにボケてるものは

たくさんある。



毎日使う歯磨き粉。これが粉でなくなって半世紀は経っている。

49歳の僕は一度も粉を使った記憶がない。

洗面所で、誰か早くつっこんでくれないかと待っている。



下駄をいれない下駄箱、筆がはいってない筆箱、

乳母が押してない乳母車…。



そうだ。僕が運転するとき隣につれが座る。免許を持たず

地図も読めないが、シート名は「助手席」だ。



数年前の今頃、スナックを食べたあとにこんな表記を目にした。

原材料に「焼きいも」とあった。



「えっ、単にさつまいもじゃだめなの?」



そう思ったら一つあけてさつまいもも書いてある。



「えっ、焼きいもの原材料がさつまいもじゃないの?」



市販されている食品の記載だから、天然であれ人工であれ

ボケは許されない世界かもしれない。

だがかたい事は抜きにしよう。



解けない謎をなげかけてくれるこのパッケージは、

僕にとって極上の「中間」なのだから。







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ボケの力を信じている。

出来ればいつも、ツッコむ側よりボケる側にいたい。



だがボケるシーンを間違えると、期待したツッコみが

生まれないばかりか、一瞬の間に永遠の長さと冷たい風を

感じるはめになる。



ある夏の暑い日のことだった。

新調したばかりのサングラスが胸ポケットから

なくなっていることに気づいた。



どこかで落としたのかなと今きた道を戻るも見つからない。

仕方がないので近くの交番で遺失物届けを出した。

人生初のことだった。



「どんなサングラス?特徴は?」

お巡りさんがメモをとりながら訊く。



答えるまえに一瞬、脳裏に期待がよぎった。



「ポリスです。ポリスのサングラス」



好みのブランド名を告げた。

このシーンがくるのを待ち望んでいたのかもしれない。

僕の口元にはかすかなニヤリが出ていただろう。



「えーと、ポリスね。はい」



まったく何の反応もなく届け出は終わった。



もう一つ。



3年前、人生初の入院・手術を経験した。

検査のとき全身麻酔の耐性を見るのか、肺活量を測った。



結果は6,300ccもあった。標準の140%だ。

念のため2度測定したあとお医者さんは言った。



「すごいねー。年間に7千人ぐらい診てるけど、10人いるか

どうかの肺活量ですよ。あなたお仕事か趣味で激しくスポーツ

してるでしょ」



「いえ、どちらも囲碁です」

(この時も口元は少し緩んでいたはずだ。)



「あっそう。それでは検査はこれでおしまいです」



先生は何事もなかったかのようにカルテを閉じた。



手術前に体調は万全だったはずだが、検査室をでるとき

ちょっと寒くなった。







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囲碁が縁で親しくさせて頂いている89歳のIさん。

とにかくユーモアの引き出しが多い。

いつでもどこからでも飛びだしてくる。



自宅でパソコンを教えていたときのことだ。

席をたとうとするも、スリッパが片方見当たらない。

それに気づいたIさん、即座に



Where is my slipper !



両手を広げてにっこりおどけてみせた。

ヘップバーンの映画のラストシーンを拝借した「ボケ」なのだが、

僕はその映画を知らず即座につっこめなかった。



先日自宅にIさんご夫婦をお招きした。

門から玄関に入るまえ、駐車場をつくるかわりに3坪の庭で

小さな家庭菜園を楽しんでいますと説明したとたん、



「庭は三坪。それでも青空を仰ぎ永遠を思うに足る」



ぽつりとつぶやいた。



「でしょ」とニコニコしながら眼が同意を求めている。

作家・徳富蘆花の有名な言葉とあとで知った。



4人で昼食を楽しんで食後にデザートの果物を

食べているときだった。



つれが、

「この人は自分で皮をむくのが面倒だといって、

苺とかサクランボとか皮がないものばかりほしがるんですよ。

ほんとめんどくさがり屋ですよね」



と僕をダシに奥様に同意を求めた。

そのとき横からIさんが驚くべき一言を発した。



「あれっ皮のある果物なんてありましたっけ」



テーブルの上の時間が一瞬とまった。

となりのつれもどう反応していいか戸惑っている。



これはいつものユーモアから発展したボケなのか、

それとも大真面目に言ってるのか、わからず混乱した。



普段、身の回りのことから何でも奥様がやってしまって

いるのを見てきていた。



それにしても果物の皮を見たことがないとは、いや、

いくらなんでも…。



「あら、ほんといやだわ。この人ったら何言ってるのかしら。

りんごだって柿だって皮があるでしょう」



奥様はあきれ笑っている。

真面目にたしなめているということは、もしかして…。



「あれっそうでしたっけ」



何事もなかったように平然と答えた。



ユーモアの達人が発した言葉の真意は

まだつかめていない。







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以前住んでいたマンションは五階建てで、上から見ると

ロの字型、中庭を廊下がぐるっと囲む珍しい形をしていた。



4階にある自宅の玄関は東向きだった。晴れた日の朝、

ドアを開けると眩しいくらいに朝陽が差し込んだ。



出勤するつれが家を出るタイミングで僕も廊下に出て、

昇りかけの太陽に向かって背伸びをするのが常だった。



つれには朝のライバルがいた。上の5階の反対側から

元気よく学校に出かける10歳ぐらいの男の子だ。



だいたい週に2回ぐらいは、2人がほぼ同じタイミングで

廊下を歩きだしてエレベーターホールに向かう。



反対側に見えるお互いを意識して、どちらもだんだんと

早歩きになる。いそがしい朝にエレベーターを一本

見送るのは痛い。



軽く体操をしながら時折起こる2人の珍競争を見守るのが

密かな楽しみだった。



ある日、彼女がいつものように玄関を出て歩き始めると

少し遅れて小学生も家から出てきた。だが今日はつれの圧勝で

勝負にならない。2人はたがいに気づいてなかった。



エレベーターに乗る前、つれがこちらに手を振った。



いってきます!

いってらっしゃい。



背伸びを途中でやめて僕も手を振った。

その時だった。



ホールめがけて一目散に歩いていたランドセル姿の

男の子が、たちどまって僕に向かって手を振ったのだ。



ずっこけた。



彼からはつれが見えなかったので

僕が彼に手を振ったのだと思ったのだ。



見ず知らずの大人でも、手を振ってくれれば振りかえす。

そんな素直さに驚くも、一瞬おくれて笑いがこみあげた。



―何で俺が小学生に手をふらなあかんねん…。



なぜか大阪弁で自問自答する。



さっき手をふったとき。

それは人知れず僕が「ボケた」瞬間だった。


 

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