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根本席亭ブログ 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記 囲碁の上達方法やイベント情報など、日々の出来事を発信していきます。


(1)

これから何回かにわたり「目のつけどころ」の話をする。



当欄でとりあげるのには3つの理由がある。



日々の生活や仕事で閉塞感、マンネリ感が広がるなか、

それを打破して前進するには「目のつけどころ」を

変える必要がある。もちろん「上達」においても同様だ。



そしてAI時代到来で、様々な価値の変化が起きている。

たとえば「知っている」ことの価値は日々さがっている。

クイズ王を決める番組は20年前と比べてかなり減った。



いっぽう、正解のない世界で納得解を導く能力は

一層求められるようになった。AIは正解を見つけるのに

優れているが、人ならではの「目のつけどころ」の

価値は劇的にあがっている。



さらに、この「目のつけどころ」を鍛えるのに囲碁が

非常に役に立つ。囲碁で目のつけどころを鍛え、その鍛えた力

で囲碁が上達する。こんな素敵な循環を起こさない手はない。



ところで「目のつけどころ」とはいったい何だろうか。

1週間考えてみてほしい。





(2)

皆さんは本を読むとき、どこに線をひくだろうか。



すでに知っていることにひくだろうか。

まったく知らないことにひくだろうか。



読んで「なるほど!」と軽い驚きと共感が生まれるとき、

私たちは本に線をひく。



知っていることと知らないことの間。

知っていたはずなのに言われるまで気づかなかったこと。



「目のつけどころ」とは、普段何気なく目にするものや

起こったことに「ちょっとまてよ」と立ち止まり、

線をひくところだ。



「目」をつかう表現で「目利き」というのは正解に近づく

イメージがあるが、「目のつけどころ」にはそれがない。



正解がない世界。それは囲碁もそうだが、奥が深く人を魅了する。



「上達」ともきってもきれない関係にあるのは、まちがいない。





(3)

流れゆく大量の情報の中で、ふと立ち止まり考える。

これが「目をつける」ということだ。



目をつけたところが周囲に軽い驚きと共感を与えると

「目のつけどころがいい」となる。



では、どこに目をつけるといいだろう。

答えは本には書いてない。自分の中にある。



それは「違和感」だ。



あれっと自分が感じた瞬間を見逃さず、いつまでも根にもつ。

変な人と言われようが、暇だねと言われようが関係ない。

効率も正解も求めない。



徹底的に「違和感」を根に持つ。



「目のつけどころ」の芽はタケノコ掘りのように

サインはわずかだ。いったん見つけたら忘れないように

印をつけるといい。



例をあげてみよう。



大学生のとき、初めての海外旅行で帰りに土産を買い過ぎて、

空港で超過料金をとられることになった。体重が倍ありそうな

となりの巨漢の荷物は、普通のリュック1つでそのまま

チェックインしていた。



ちょっとずるいなと思った。

飛行機にかかるコストは、専有面積と総重量の関数ではないのか。

ならば超過料金かどうかは体重と荷物をセットにして決めてほしい。



新入社員のとき、残業で終電になったが月曜だったからか座って

帰れたことがあった。同じ週の金曜日も終電になったが、朝の

ラッシュよりもひどい混雑ぶりだった。



なんで夜なのに、朝より疲れているのにこんなに混んでるんだ。

ひどい鉄道だと思った。



電車の運行コストは、一週間に何本走らせるかではないのか。

ならば終日ダイヤを平日と休日にわけるのではなく、

朝だけ平日と休日ダイヤに、夜は木金とそれ以外の2つにわけてほしい。



どちらも「あれっ」と思ってから四半世紀、ずっと根にもっているが

まだサービスとしてお目にかかったことはない。



だがこうして自分の記憶の中につけた印は、別のジャンルや

経験の中できっと活きてくると信じている。





(4)

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流れゆく情報の海の中でふと立ち止まり考える。



こんな癖をつけるには、自分のなかに生まれた違和感を

根にもつといい、という話を前回した。



「あれっ?」を増やすのにひとつお薦めの方法がある。

言葉に敏感になることだ。



朝起きて歯を磨く。あれっ…。

なんでまだ「歯磨き粉」っていうのだろう。

粉ではなくペーストになって50年は経っていそうだ。



昼食で回転ずしに入る。本日の特売と書いた札とともに

大トロが流れてくる。続いて中トロも。あれ…。

なんで小トロがないんだろう。



おやつに有名な「おさつスナック」に手をのばす。

ふと裏をみると原材料のところにさつまいもと並んで

「焼きいも」とある。あれ…。

焼きいもの原材料がさつまいもなんじゃないか。



夕食の準備をする。

最近は手間のかからない無洗米しか使わない。あれ…。

なんでお米は「洗う」ではなくて「研ぐ」なのに

無研米とよばないのだろう。



季節をあらわす言葉に目をむける。



いまは暖かい日と寒い日が数日おきにやってくる。

いわば三温四寒だが、そうはいわないのはなぜだろう。

そういえば初冬の暖かい日を小春日和というが、

初夏の肌寒い日を小秋日和とはいわない。



あたりまえに流れている言葉をうのみにせず、

自分の頭で考える。



この力を磨くと目のつけどころが鍛えられる。



千本ノックのごとく、周囲にあふれる言葉に

目を向けるのは、誰でもいますぐできる簡単な訓練だ。



そして見つけたらどんどん友達に話してみよう。

暇な奴だなー、と笑われるかもしれない。



それでいい。





(5)

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目のつけどころを鍛えるには、「違和感を根に持つ」といい。

そうするには「言葉に敏感になる」といいと前回つたえた。



くわえてひとつ大事なことがある。

それは「調べない」ということだ。



なーんだ、そんなことかと思った人のなかに

この1週間、一度も検索していない人はいるだろうか。



電車の時刻や、これから行く店の評判、

見る予定のテレビ番組や映画。



スマホと優秀な検索エンジンを手にした僕らは、

まるで呼吸のように意識せず、「不確実な未来」を

確実にしようと日々調べている。



その都度、気づかないうちに2つ損をしている。



1つは、不確実な未来に起こったかもしれない出会いや

感情の動き、友達に話したくなるネタ、何より自分が

「面白い」と感じる出来事が消えている。



まるで、お金を払ってはいったお化け屋敷で、どこで

どんなお化けが出てくるかを事前に調べてしまったかのように。



もう1つは、自分の頭をつかって考える機会が消えている。

別の言い方をすると、「好奇心」が少しずつ減っている。



好奇心を育むのは本当に難しい。

増やすのが難しいならば、せめて子供の頃に育んだものを、

大人になってどんどん失うのを止めたい。頭髪のように。



損をしたくないと思って検索していると、

結局損しているというのは皮肉だが、これが現実だ。



ではひとつ、調べないで考えて頂きたい。



一日千秋。



なぜ「秋」なのだろう。



秋の夜長にどうぞ。  





(6)

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目のつけどころを鍛えるには、違和感を根に持つといい。

その時は調べないのが大事だと前回つたえた。



2番目の目のつけどころの鍛え方は、「視座を変える」だ。

視座を変えるとは、立場を変えて見るということ。



対局中の「棋譜見せて」や将棋の「ひふみんアイ」は、

相手の立場から見て新しいアイデアを探す苦肉の策といえる。



あまり知られてはいないが、社会では多くの新しいサービスが

この「立場を変えて見る」から生まれている。



簡単にできるわりに多くの人が気づかない。

目をつけるにはもってこいのワザなのだ。



「世界一の朝食」で有名になった神戸のホテルが

朝食に目をつけたきっかけは、チェックアウト時間を

守らない客対策だったという。



ふつうホテル側にたって注意喚起の方法に目が向くが、

「美味しい朝食を提供すれば客は喜んで起きる」は、

立場をかえて客から見たからこそ生まれた発想だ。



そういえば、『上達の約束』も「立場をかえて見てみよう」

から1年前に始まった。



囲碁教室ではふつう先生の「教え上手」に目がいきがちだが、

どうしたら生徒が「教わり上手」になれるだろうかと考えた。



ゼロからスタートした教室がこれから伸びるかどうかは、

この目のつけどころにかかっている。



それでは、この10数年ずっと世間を騒がせ続けている、

この問題はどうだろう。



「オレオレ詐欺を減らすにはどうしたらいいか」



もちろん「調べずに」自分なりに考えてみてほしい。



(7)

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オレオレ詐欺を減らすにはどうしたらいいか。



前回出した質問に皆さんならどう答えるだろうか。



振り込む場所での徹底した注意喚起 →実施中

テレビCMなどメディアをつかった注意喚起 →実施中

おとり捜査など手法を駆使して検挙率アップ →実施中



色々と考えられる。



しかしこの犯罪が世に出て間もなく20年がたつ。

色々と対策をとっても一向に減らないどころか、

手口が巧妙化してますます増加、悪質化している。



なぜだろう。



それは「立場を変えて見ていない」からだ。



どうしてこの犯罪が減らないかというと

これが犯人にとっておいしいからである。

儲けと罰則のバランスが犯人にとって非常にいい。



中国における麻薬犯罪(死刑)のように、出し子だろうと

主犯だろうと極刑をもって対処できるようになれば

激減するのは間違いない。



ここでもう一つ。

「立場を変えてみる」と並ぶ目のつけどころの鍛え方、

「違和感を根にもつ」を登場させてみよう。



そもそもオレオレ詐欺は「詐欺」なのか。



以前からこの軽いネーミングと犯罪の定義に違和感があった。



僕らが詐欺といってまず思い浮かべるのは、

うまい儲け話にのってしまい騙されたというパターンだ。

もちろん騙される側が悪いわけではない。



ただ、「うまい話には気をつけろ」と「詐欺」に対してはある程度、

教育上、社会通念上、予防できる。



しかし、「息子がピンチになった話には気をつけろ」



これには無理がある。

親は息子のピンチを心配するものだからである。



オレオレは詐欺ではない。

故意に心を傷つけお金を奪う強盗傷害だ。



心が傷つくとは、脳が怪我をするということ。

最低でもコンビニ強盗よりは重い犯罪だ。



騙す犯罪=詐欺、というところで思考停止していることに

気づかないと犯罪は減らない。



「立場を変えて見る」

「違和感を根に持つ」



目のつけどころを鍛える2つのワザを駆使することで

社会問題の解決の糸口が見えてくる。



7年前、「海外赴任中の弟がピンチ」の話に慌てた母が

50万円を振り込んでしまった。



他人事だったはずのことが家族におきたことで、

怒りとともに自分の頭が動きだしたのを覚えている。





(8)

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「立場を変えて見る」を行動で示してくれた人がいた。



僕が勤務していた会社の元顧問で37歳年上の方とは、

囲碁を通じて20年間交流した。

金曜の夜は仕事のあとよく遅くまで対局したものだった。



囲碁に夢中になって小腹が空いたころ、

「根本君も一緒にどうかね」と声がかかった。

決まって近くの中華店からワンタンメンを取った。



なんとなくごちそうになる雰囲気、流れかなと思いきや、

出前が届くと



「根本君、760円」。

(えっ割り勘?払うの?)



初めはそんな思いがつい頭をよぎった。



カフェでお茶しても、タクシーに乗っても必ず割り勘。

ところが、たまに「今夜は飯行こうか」と連れていかれた

高級鉄板焼き店では、2万円ほどの食事をポンとごちそうになった。



のちに僕が囲碁サイト『石音』を立ち上げた時も、この方には

出資や事務所を借りる際にはるかに大きなお金でお世話に

なったのだが、この習慣は一貫していた。



どうして夜食やお茶は割り勘なのか。



本人から直接聞くことはなかったが、おそらく、

「友人」「人生の後輩」「ビジネスパートナー」3つの立場で

僕とつきあってくださったのだ。



そういえば、『石音』に関する打合せの時のお茶代は、常に

私持ちだった。あれは「ビジネスパートナー」だったからだ。

夜食は「友人」、鉄板焼きは「後輩」だった。



「立場を変えて見る」をお金の払い方で教えてくれたこの方は

残念ながら6年前に亡くなった。



「友人」の証しだった割り勘のありがたさが、時がたつほど

身に染みてくる。



「教えよう」「教わろう」の「先生と生徒」だけではない

間柄だからこそ、真の教えとして深く心に残っている。





(9)

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前回まで「目のつけどころの見つけ方」として

「違和感を根に持つ」「立場をかえて見る」

の2つを紹介した。



3つ目は「俯瞰する」だ。



これも気づけばコロンブスの卵のごとく、

あーなんだ、となるが、多くの人は気づかない。

つまり、「目のつけどころ」となる。



さて、今度の休みの日にどこに出かけるかを検討中だが

奥さんは海、あなたは山、と意見があわない。2人の間に

一触即発の空気が流れる。



こんな時どうするか。



片方が妥協する、はこの場合の答えからは外すとする。

どちらの心にもわだかまりを残さず一瞬で解決するには、

相手にこう確認してみよう。



「いま今度の休みに一緒に仲良く過ごすための計画を

練ってるんだよね」



そう、山か海か、という行動に向けられた視点を

少し上にあげればいい。



共通の目標が確認できれば、どこに行くかに固執する

必要はない。行動は単なる選択の問題として一段下がる。



僕自身、囲碁普及の現場で長らく「俯瞰する」が

出来ていなかった経験がある。



10年にわたり、若者への囲碁普及イベントを

毎月開催していたのだが、思ったように定着しない。

あるとき「はっと」気づいたことがあった。



囲碁入門の現場で僕は一生懸命、

「囲碁好きになってもらおう」としていたのだ。



えっ、これは普及に務める人として普通じゃない?

これが問題なの?



例の「立場をかえて見る」で簡単にわかる。

大問題なのだ。



僕は囲碁に「はじめて」触れる人に対して

「囲碁に振り向いてほしい」

「囲碁を好きになってほしい」

をわけずに、どちらも熱く伝えていた。



合コンで「自己紹介」と「アプローチ」を同時に

やってしまうようなもので、うまくいくはずがない。



囲碁好きになってもらいたい気持ちを押さえて、

まずは、「囲碁へようこそ!」と軽く、自己紹介に

専念しなければならなかった。



小手先の入門指導の方法や話し方に気を取られ、

自分の行動を俯瞰できていなかった。



皆さんが、いま、何かうまくいかないことを抱えていたら、

視点を上にあげてみてはどうだろう。



最後にひとつ簡単な質問だ。



囲碁と将棋の違いを一言で言うと何ですか。



「俯瞰して」考えてみてほしい。





(10)

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「目のつけどころの見つけ方」、3番目の「俯瞰する」だが、

「囲碁と将棋の違いを一言で」「俯瞰して」という例題を前回出した。



皆さんの答えはどうだろう。



ゲーム性から「細部」にこだわると、「陣地取りか王様捕りか」となる。

この答えが浮かんだ人は、「俯瞰する」が出来ていなかったようだ。



2つのゲームの進行を俯瞰すると答えはこうなる。



「駒が動くか動かないか」

シンプルだ。



盤上の駒が捕られることがあるのは囲碁も将棋も同じだが、

置いた駒が動くのが将棋、動かないのが囲碁。

同一局面が出るのが将棋、出ないのが囲碁、ともいえる。



「時間」と同じで逆戻りができないのが囲碁、とすれば、

囲碁を人生や経営に例える人が多いのもうなずける。



ちょっとした気づきを含んだ見方のきっかけを与えてくれるのが、

「俯瞰する」なのだ。



さてここで冒頭の絵を見てほしい。

江戸時代の禅僧、仙厓の絵で、墨でゆるく描いた線が特徴だ。

何を意味するかわかるだろうか。



「座禅蛙」と名付けられているこの絵には、弟子たちに

むけた微笑ましくも厳しい警鐘が隠されている。



蛙ですら座禅しているように見えるだろ。

座禅するといっても、ただ座っているだけではダメだよ。



そんな仙厓の声が聞こえてきそうだ。



目を細め、俯瞰して見ることで、蛙をモチーフにすることが

思いついたのではないか。



小難しい話や理屈で諭すより、ユーモラスな絵のほうが

伝える力があったことだろう。





(11)

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今まで10回にわたり書いてきたことを

簡単にふりかえってみよう。



・目をつけるとは何か。



本を読むときに線をひくようなこと。

自分にとっての常識と非常識の間に注目すること。



・どう目をつけるか。



違和感を根に持つ

立場を変えて見る

俯瞰する



ここまでお付き合い頂いた読者のなかには、

なぜ『上達の約束』のコラムにこれが連載

されているのか、疑問に思う人もいるかもしれない。



あえて少し大胆に、こう答えるとしよう。



上達するとは、目のつけどころを鍛えることである。



大胆に、とことわったたのは、

「目のつけどころを鍛えるとは、上達すること」

ではなく、逆もまた真なりとならないからだ。



目のつけどころを鍛えると、たくさん「いいこと」がある。



すでに見てきたように、

解決できない問題に光がさしこむ、

人を魅了する新しい商品をつくる、

多くの学びがある深い交流ができる、などだ。



その一つに「上達」がある。



次回からは、本稿の主題である「目のつけどころをどう鍛えるか」

を見ていこう。皆さんなら、どう鍛えますか。





(12)

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今回から本コラムの主題にはいる。

目のつけどころをどうやって鍛えるか。

まず答えから言おう。



「目をつける回数を増やす」



これにつきる。

千本ノックである。

「あれっ」「ふとまてよ」の回数を増やす。



そんなに難しいことではない。

だが今日、「あれっ」が3回以上あっただろうか。



目をつけるのは、自分の「常識と非常識の間」

であることは以前のべた。



自分の興味のある分野だけでくりかえし「麦踏み」

をしていては、「自分の非常識」に近づくことはできない。



たくさん目をつけることはできず、

目のつけどころは鍛えられない。



普及に悩む業界にあてはめてみよう。



囲碁業界が「上達」しないのは、業界として

「目のつけどころ」が鍛えられていないからだ。

私もふくめ囲碁の人は、たいてい囲碁が好きすぎる。

囲碁という言葉をつかわずに、囲碁に興味をもって

もらうような話ができない。



松岡修造は、「みんなテニスをやりましょう」とは言わないが、

専門外での露出が多く、結果として錦織がスポーツで

最も稼ぐ人になる地盤を築いている。

彼は引退後、「外」に目を向けて、「応援団長」、

「もっとも熱い男」のポジションを獲得した。



「普及の名策」は、外に目をたくさんつけること

から始まるのだ。



グーグルは「世界中のものが検索できる」と豪語している。

だが一つ検索できないものがある。

それは、自分が興味のないことだ。



興味のないことは、検索ワードを打ち込めない。

だから検索できない。



とすれば、興味のないことに自然と目がむくように、

日常を少し工夫すればいい。



おすすめは2つある。

1つは「人」だ。



家族や友人から誘われたときに、興味がわかないという

理由で断ってはいないだろうか。



目のつけどころを鍛える観点からいえば、むしろ、

興味がわかないときこそチャンス到来だ。



とりあえずやってみよう。

とりあえずいってみよう。



その意味で、「話のあわない」歳の離れた人との

交流もお薦めだ。現役世代であれば、70歳80歳

のシニアは、自分を検索可能エリア外に連れていってくれる

案内人だ。



そしてもう一つは「本」だ。

自分の本棚を見渡してみてほしい。

ジャンルが偏っていないだろうか。



以前ビジネス本と囲碁本しかなかった僕の本棚は

完全に「栄養失調」だった。



お薦めの本を一冊紹介する。



『乱読のセレンディピティ』 外山滋比古著



思いがけないことを発見する年末になるだろう。



(13)

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自分の興味の「外」を案内してくれる人といえば、

僕は囲碁仲間が思い浮かぶ。皆さんはどうだろうか。



趣味の世界は、上司部下といった「縦」、同僚友人といった「横」

の関係からはなれた「斜め」の関係ができやすい。



家庭でも職場でもない居場所をサードプレイスというが、

この斜めの関係の人はサードパーソンだ。

誰にもすぐ4,5人は思いうかぶだろう。



斜めの関係は、細く長く続きやすい。世代を越えることも

かんたんなので意識して大事にするといい。

目のつけどころが鍛えられる。



僕のサードパーソンの1人を紹介しよう。



驚くほどの軽さと美しさを追求したバッグを売るヨネちゃんは、

二回りほど年上の囲碁仲間として15年の付き合いだ。



パソコンの家庭教師事業を一緒に立ち上げて

ビジネスパートナーだったこともある。

僕のサイト「石音」のメンバーでもある。



自分らしさは自分でつくろう。



100万通りの組み合わせができるバッグを通して

シンプルなメッセージを発信し続けるヨネちゃんは、

僕の目のつけどころの師匠だ。



つれへのプレゼントでヨネちゃんのバッグを購入したのを機に、

バッグづくりへの、狂気ともよべるこだわり、あふれる想いを

直接伺う機会が増えた。



興味の「外」の分野で上質のシャワーを浴びることは、

極上の幸運だ。



モノづくりは情熱と時間の関数なんだよ。



と話すヨネちゃんの笑顔が忘れられない。 「記:根本」



*ヨネちゃん https://upla.jp/about





(14)

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今年の年末年始は、ちょっと「特別」だった。

何が特別かというと、いつもよりすこし「普通」だった。



もっとも「ハレ」の時である正月が、

めずらしく「ケ」にちかよった。



僕の側の家族で集まることもなければ、

どこかに旅行に行くこともなかった。



思えば年末年始に両親が家にいないのもはじめてだ。

グアムクルーズに旅立つ両親を横浜桟橋で見送った。

弟家族もサンディエゴの妹の家に行っていた。



ありふれた毎日の生活を大事にして、

それに愛着を持とう。



生活の価値を「ハレ」に求めるのではなく、

「ケ」の充実に求める人生観。



いつもより普通な正月に教わった。





(15)

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目のつけどころを鍛えるには、たくさん目をつけるといい

と話をしてきた。



「目をつける」のは、自分の常識と非常識の間にある分野だ。

そこを案内してくれる人や本の大事さにもふれた。



しかし実は、「たくさん目をつける」だけでは不十分だ。

興味を全方向に「発散」して目をつけるだけではたりない。



あとなにが必要か。



発散のあとの「収束」だ。



目をつけたことを、いま一番興味のある分野に収束する。



発散→収束→発散、の繰り返しが、目のつけどころを鍛える。



少し前の話をしよう。

寿司屋のカウンターで大将がこんなことを言っていた。



―今日のフグはうまいよー。5日寝かしたからね。



ん?鮮度が命の寿司屋で、寝かした日数自慢?

しめさばじゃあるまいし…。



僕の疑問を察してか、大将は笑いながら続けた。



―鮮度が抜けると、質が残るんだよ。

   だからうちではフグはすぐに出さないの。



なるほど、そうか。

魚が持つ「質」を出しきるために

わざと鮮度を落とすのか。



食のプロではない僕がここに目をつけるのは「発散」だ。

その時は「収束」に向かうこともできた。



今一番興味のあるキーワードは「シニア」だ。



三年前に出したエッセイ『目のつけどころはシニアに学べ』

では、シニアじゃない位置からシニアをポジティブに語った。



寿司屋のカウンターで大将のことばを聞いたとき、

あるシニア友人の顔がうかんだ。



まったくもって失礼ながら、多少鮮度は落ちているものの、

その分、質の輝きが増している方だった。





(16)

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考えてみると、「目のつけどころの鍛え方」は

「眼の鍛え方」に似ている。



近くばかりを見ていると眼は悪くなる。

遠くを見たり近くを見たりして、網膜にピントを

あわせる筋肉を鍛えるのが眼にいいらしい。



自分の興味のあることだけに閉じこもらず、

積極的に意識を広げたあと、得たものを

一番関心のあることに集めていく。



「興味の発散と収束」を繰り返すことで、

目のつけどころがだんだん良くなる。



本格AI時代の幕開けとともに、

目のつけどころの重要性は日々増している。



何を知っているか、より、どこに目をつけるか、

が問われる時代が始まった。



ひとあじ違うオリジナルな、そして面白い人生を

送るには、目のつけどころが勝負なのだ。(完)



2016/10/31の夕刊です。



この宇治に住む方が先日亡くなられました。87歳でした。

たまたまコラムが京都新聞で連載が始まったので、

「毎週金曜、近くの配達所に夕刊を買いにいくのが楽しみです」

と仰って、毎号切り抜いてスキャンしてメールをくださいました。



7年間、たくさんのことを教わり、頂き、交流を楽しみました。

Tさんありがとうございました。



シニア友人帳2(京都新聞1031)4



連載最終回は、旧友に言えなかったことを書きました。



読売_4


 

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