根本席亭ブログ 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記 囲碁の上達方法やイベント情報など、日々の出来事を発信していきます。

2017/09/23

進化するお墓


何十年も前に両親が八王子に購入したお墓を、都心型に引越しした。

そのお墓にはまだ誰もはいっていない。



お彼岸ということもあり、お墓参りの人で建物内は混雑していた。



ICカードをかざして待つこと1分。

空いているブースが自分の家のお墓となる。



お墓なんて興味ないといいながらも法曹界にいた父は、

永代供養の法的意味や
50年後のビル耐用年数後の権利関係など質問していた。



こうしたタイプのものが世に出てまだ10数年だが、

今日購入したところは、7,000家族のお墓を収容する能力があり、

既に
2/3は販売済という。




年間使用料も50年分前払いした。50年後、僕は97歳。

その頃のことを母は色々と心配していた。



弟がひとこと。

「大丈夫。その頃は母さんもう口だせないから」

笑いがおこった。




つい20年前、いまの様相は考えられなかった。

進化するお墓は、50年後はどんな状態になっているだろう。


2017/09/19

お墓の引越し


先週末、はじめてお墓の引越しを経験した。

祖母父、曾祖父母の4人が眠るお墓を祖父が懇意にしていた近くのお寺の

地下納骨堂に
移したのだ。



お墓の下には人が立てるほどの深さがあり、そして水が20cmほど

溜まっていたのに驚いた。
このお墓はつくって30年以上が経っている。

どうしても湿気が侵入するという。

骨壺に入ってるとはいえ、冷たかっただろう。



祖父の骨壺を開けて確認する。愛用の眼鏡が懐かしかった。

そして久しぶりに会えた気がして
嬉しくなった。



元気な祖父母の想い出は自分が学生の頃が中心だ。

いくら高齢化が進んでいるとはいえ、自分が老いを意識しだす中年以降は、

なかなか会える存在ではない。




しかし自分が何歳になっても、想いだして語りかけることはできる。

想い出の井戸があることは幸せだ。




そんな井戸を掘ってエッセイを書いてみたくなった。



夕方小雨がふるなか、近くの神社で開催の縁日に妻と突撃した。



この近くで小学生3年生から中学2年生まで暮らしていたので、

30年ぶりにまた同じ
縁日にきている。



焼き鳥屋台の後ろにテントが張ってあって、座って落ち着ける場所があった。



狭いスペースに丸椅子2つ。雨があたらないように僕らは小さくなりながら

買ってきた
ばかりのタコ焼きと焼き鳥をつまんだ。



「お母さんにはないしょだよ。こういうところで買って食べるのに

うるさいから」




30数年前、親父が僕にこっそり渡してくれた500円札を想いだす。

あの時の500円は、僕にとって大きな
プレゼントだった。



いつも母より厳しい父が、この時は味方になってくれたので、

余計に覚えている。



そんな話を妻としながら、ふとこんな言葉が自然と出た。



「懐かしいものがあるって幸せなことだなぁ」


2017/09/14

ドッジボール


ある時2人のシニアと話をしていて、言っていることが同じなのに

伝わり方が違うことに気がついた。




何が違うのだろうか。



それはキャッチボールとドッジボールだ。



相手が取りやすい玉を投げるのか、

それとも、

相手に当てることだけ考えて投げるのか。



悲しいことに、歳をとればとるほど後者の割合が高くなる。



後者とは、自分はキャッチボールをしているつもりでも、

「何を話すか」に夢中になっていて

「相手が何に興味を持つか」にまで気が回っていない人のこと。



そういう自分も、話すのが大好きで、ふと気づくと発信に意識の

ほとんどがいってしまい、慌てることも多い。



ある人のアドバイスをうけて、講演のときは、自分が話す言葉を

漫画の吹き出しのごとき風船と考えて、それを一人ひとりに

手で届ける気持ちで話すようにしている。



それはキャッチボールというよりボール配り。それぐらいの意識で

丁度いいということなんだろう。



先日、夜遅くに自宅そばのファミレスで打合せをしていたら

携帯に妻からメールがきた。



「いま目の前の電線を、2匹のイタチ?が歩いていた!」



寝ぼけるにはまだ早い時間だ。

ここは東京の中野。新宿まで歩いて20分。大通りの青梅街道から

ほんの50m入ったところにある。16年住んでいるが、犬猫以外の

歩行動物に会ったこともなければ、近所で出没情報も聞いたことがない。



しかもベランダは地上4F。目の前の電線といってもかなりの高さで、

それも細い。




「あれはぜったい猫じゃないわ。顔が違ったもの。スマホで撮ろうにも

一瞬だったから残念!」




翌朝、興奮さめやらぬ口調で主張する。検索したのだろう。

都会の電線の上を歩いているハクビシンの写真も「準証拠」として

送られてきた。




本当にあの夜、2匹が電線を歩いていたのだろうか。

どこに住んでいて、どこに向かっていったのだろうか。



最近夜、ベランダに出る楽しみが増えたのは確かだ。


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2017/09/12

平八茶屋


「平八茶屋、よかったですよ!」

玄関で会うなり、ご夫婦の笑顔がはじけた。



先週京都に旅行に行くというので、3ヶ月前僕らが偶然訪れたお店を

お薦めしたのだ。




豪華な料理というより、麦飯とろろが名物の創業400年を超える茶屋だ。

京都中心部から
少し離れた洛北の街道沿いにある。



僕はそのとろろの美味しさに加えて、お店の雰囲気や応対の素晴らしさも

強く印象に残っていた。




シニアご夫婦は3日間の旅程で、初日2日目は満席で、帰り際のランチに

ようやく予約が取れて
駆けつけたという。



僕の言葉を聞いて、何度もトライしてくださったこと。

実際によかった体験として心に残ったようだったこと。



どちらも喜びとして僕の心にも残った。



*平八茶屋の歴史

https://www.heihachi.co.jp/service/origin.php



「想定外」という言葉。震災以降よく耳にするようになった。否定的な

意味で使われることが多い。
僕は事業をたちあげて多くの「想定外」に

出会ってきた。そしてこのアドバイスに助けられてきた。




「想定外のことが起きることを、想定しておく」



ノーガードはもろに衝撃を受ける。あらかじめ心の準備をしておくと、

ショックは少なくてすむ。
これを知恵として知っていることと、覚悟

として腹に落としていることは、確かな差がある。


腹に落とすには、経験を重ねるしかない。



ロンドン五輪に沸いた2012年の夏。ある日の早朝のことだった。

突然、オフィスを兼ねている自宅に、
某県警サイバー犯罪防止課の

捜査員がやってきた。寝起き直後でまだ頭が働き始める前、玄関で

二通の
令状を読み上げられた。被疑者は「不詳」だが、僕の会社に

対する令状だった。



5分後、段ボールを
手にした捜査員8名が自宅に入り、家宅捜索が

始まった。不正アクセス防止法違反の容疑だった。
文字どおり寝耳に水。

いや、氷水というべき出来事。全く身に覚えがなかった。




(あとで分かったことだがシステムを預けていた会社の内部紛争の

飛び火だった。そのあと直ちに
システム会社を変更した。)



パソコンや携帯など一切の電子機器類、手帳やメモ、定款や契約書

など40数点が、つぎつぎに
段ボールに詰められ押収された。

頼んだ覚えはないが、労せず断捨離に成功だ。時計を見ると
午後2時を

まわっていた。事情聴取は七時間もかかっていた。




「今度はそうきたか」



捜査員が帰ったあと、ガランとした家の中を茫然と眺めながら

つぶやいた。喉が渇ききっていたことに
その時気づいた。朝からまだ

水一杯口にしていなかった。




容疑が完全に晴れるまで三ヶ月。捜査の名目で自分のサイトが停められた

こともあった。
悔しかった。メンバーには緊急メンテナンスと説明するし

かなかった。長い三ヶ月だった。




あれから三年。いま思えばあれは、注射のようなものだった。

事業のさらなる成長に必要な注射。
そして三ヶ月は、注射後の必要な

安静期間だった。




自暴自棄にならず、結果としてそういう期間に出来たのはなぜか。

創業から七年間、大小さまざまな
「想定外」のことを経験していたから

だろう。元々自分に備わっていた力ではない。




そしてこの事件にはもう一つの「想定外」があった。友人の会社にまで

家宅捜索が入ってしまったのだ。
従業員も何が何だかわからず混乱した

にちがいない。彼には善意で色々と事業の協力をしてもらっていた。


それに応えるどころか、とんでもない迷惑をかけてしまった。そのとき

友人は、動揺する社員に対して
即座にこう話したそうだ。



「根本が間違いを犯すはずがない。それは自分が保証する。

これはなにかの間違いだから、
とにかくまず落ち着くように。」



彼は社会人一年目からの同僚。いまはお互い会社を離れて時間が経って

いた。それにも関わらず
彼の熱い言動。なんと言っていいのか、言葉が

見あたらない。
これから僕が生きていく上で大事なものが、一つ増えた。

想定外のことがマイナスばかりではない。

これはかなりの想定外だった。



どうやら囲碁を小さい頃からやってきたことが、原因のようだ。

あの頃、毎週末のように近くの碁会所に出かけた。中学生の僕でも、父や祖父

ぐらいの年齢の方と楽しく交流できた。歳が上ということでかしこまる習性。

全く身につかないまま大人になった。いや、正確にいえば、身についていない

自覚すらなかった。社会人になって、同僚が年配の方と話をしている様子を見て

気がついた。なんで皆こんなに、かしこまっているのだろう。



歳ではなく中身で付き合う。年上の方に対して礼儀はわきまえる。人生の先輩

であることにリスペクトは当然だ。しかしそこから先は、何歳違おうと人対人の

付きあいだ。




「俺を年寄扱いするな」

「俺を若造と一緒にするな」



多くの年配の方は、こんな矛盾を心の奥に持っている。かしこまりすぎるのも駄目。

無礼なのももちろん駄目。普通がいいのだ。このことに気づいて普通に行動できる

同世代が、圧倒的に少ない。僕は意識して身につけた覚えがない。



社会人になった。「年齢」に加えて「役職」というもう一つの階段が登場した。

僕は年齢と同じく、もう一つの階段もあまり気にならなかった。新人の時、

自分の席
は廊下に近かった。課長の席まで5mあった。5m進むのに20年。

1年で25cm。
ウェゲナーの大陸移動説では、年に何cm動くのだったか。

そんなことを入社日に
考えた。年齢だけでなく、役職の階段もあまり気にならない。

囲碁の副作用と
いうべきか。社会人にとっていい副作用かどうかは分からない。



新人研修で基本的なマナーは教わった。失礼にならないよう日々振るまうことは、

簡単だった。しかし小生、小職。こうした小の文字をつける習慣には馴染めなかった。

毎日毎日、小、小、小。いったいどれだけ小さいのだ。

本当に自分が小さいと、相手が大きいと思っているのか。



「一目を置く」という言葉をご存じだろう。一目とは一個の碁石の意味。囲碁では、

弱い方が最初に一目置いてから対局を始める。そこから、相手に敬意を払う、の意で

使われるようになった。社会に出て不思議な現象に遭遇することが増えた。

一目を置くのは「置く」だから、自分のはずだ。しかし時に、一目を置いてくれと

頼まれるのだ。「置く」から「置け」へ。おかしな話だ。敬意は発露するものである。

強制されるものではない。



それが人ではなく建物ならば別だ。頭を下げなければ入れない茶室。地位をリセット

して一人の人間として入ってきてほしい。そんな感情がデザインされている。

素直に一目を置く気持ちになる。



仕事中だろうが監獄の中だろうが、他人が決して制御できない場所が一つある。

それは頭の中である。心である。その自由な場所への侵略者とは、断固闘わなければ

ならない。そうでないと生きている意味がない。ただ年上というだけで、かしこまる

習慣。相手への特段の敬意なく、自分に小をつけてしまう習慣。こうした積み重ねが、

敬意の強制というおかしな現象を起こしているのかもしれない。



僕はこれからも、囲碁に携わる者として矜持を持とう。自分で一目を置いていくのだ。


2015/02/21

掘り炬燵


高尾の2つ前、京王線めじろ台駅。半年ぶりだ。

息が白い。都心の気温より5℃低い。



ここに降りた時から、それは始まっている。

実家まで徒歩5分。その5分で時間がどんどん、さかのぼる。

僕のために、少し大き目に造られた玄関の扉を開ける。



「あらお帰り。お茶淹れてあげるから、炬燵で暖まりなさい。」



毎日ここに住んでいるかのようだ。

あれから20年。ここでは僕は、息子のままだ。



数年前から指定席が「上席」、テレビの正面に変わった。

立ったり座ったりが億劫になったのだろう。

親父があまり座らなくなった。

席が良くなって、少し寂しくなることもあるのか。



そしてお袋は買い物に、親父は散歩に出かけた。



木製の大きな置時計。針の音が今日は大きく聞こえる。

冬の光が縁側の鉢植えを、優しく照らしている。



いま一人お茶の時間。ここで起きた「事件」が蘇る。





16年前の大晦日。

妹が作ったデザートの杏仁豆腐。

慣れないキッチンで砂糖と塩を間違えたらしい。前代未聞の味。

その衝撃の余韻が冷めやらぬ時だった。



「この人と結婚したい」



突然、彼女が1枚の写真を出してきた。

僕より5歳年上、192cm。青い目の大きな「弟」候補。

先週初めて会ったばかりだと言う。

家族は皆、そこからあの日の紅白の記憶がない。





自称六段の弟と、『兄弟3番勝負』。

正月の恒例行事だった。そして5級の親父が毎度の台詞。



「そんなところに打つのか。

お前たちはまだ何も分かってないな。」



「ほんとそうだねー。」



僕ら2人は盤面から目を逸らさない。

高段者は手抜きの技を知っている。



この光景、弟に娘が出来てここ数年はおあずけ。

少し残念だ。





就職、転職、結婚、起業、離婚・・。



僕の全てを見てきた、唯一の場所。

時間が戻った気になる、一番の場所。





ところで、夏のお気に入りの場所はどこなんですか?



そうか。その手があったかー。

それは夏にまた話しましょう。



真に熱い人が冷静に語るとき、伝わるものがある。



こんな真理を感じる人もいるだろう。

錦織の活躍で、最近松岡修造のテニス解説を聞く機会が増えた。



しかしあの修造が愛弟子、錦織の試合を解説するとき

「熱くない」のである。




修造といえば、オリンピック中継やスポーツ解説で笑っちゃうぐらい熱いので有名だ。

CMで「テニスやってたんですか」とネタにされるほど、いまやテニス界というより

スポーツ界全体の応援団長として活躍している。



その彼が本業のテニスの解説の時「熱くない」のである。



しかしその熱くない解説が、とてもいいのである。

なぜいいのか。次の3点から見て取れる。



1. 空気を読まない解説

2. リスペクトのある解説

3. オフのある解説



1. 空気を読まない解説



「今日の相手とは圭ははっきり言って分が悪い」



試合前の修造の発言に驚いた人も多いだろう。

サッカーワールドカップの日本戦で、あの熱狂的な試合前の雰囲気で

「今日の日本は負けるかもしれません」

と言う勇気があった解説者がいただろうか。



当然修造は、視聴者全員が錦織を応援していることを知っている。

そして自分も圭の勝利を日本一願っている応援団長であることも自覚している。

そこでいつもの通り「勝てる、お前ならやれる!」を出すことも出来ただろう。



しかし彼は自分を抑えた。テニスのプロとして、そして解説のプロとして、

空気に飲まれずに、空気を読まずに冷静にコメントした。

意表をつくこの言葉から始まった彼の解説を、

視聴者は信頼感を持って聴くことが出来たに違いない。



プロ野球の試合で解説者が、打者が空振りしたあと

「今日の〇〇投手は球が切れてますねー。調子がよさそうです。」と言う。

しかし視聴者からすれば、空振りの前にこのコメントが欲しいのだ。

仮に打たれても、球が切れていればそうと、調子がよければそうと解説してほしいのだ。



修造の解説は一球一球、結果ポイントにつながったかとは関係なく発信されている。

「圭の今のショットは相手が取れなかったですが、これを続けると危ないです。」

「圭の今のリターンはネットにかかりましたが、これでいいのです。続けるべきなのです。」



空気を読まず流されず。冷静な発信の継続が視聴者に大きな説得力を与えている。



2.リスペクトのある解説



「圭は僕の師匠なんです。」

この言葉、何回聞いただろう。修造が錦織の試合を解説するたびに発信されている。



修造もテニス日本一を10年守った男である。

日本の個人スポーツで10年トップを張り続けた人が何人いるだろう。

その彼が、20歳以上年下の錦織を、公共の場で「師匠」と言う。

「僕は精神面しか教えられませんでした。テニスを教えてはいけなかったのです。

それぐらい才能は飛び抜けていました。」



これを小学生の錦織に感じて実行出来た修造が、凄いと思う。

どんな分野でも解説者は通常、プレーヤーと同等かそれ以上の実績、格のある人が

選ばれる。その場合、解説者が意図してなくても、その発言、発信が、

所謂「上から目線」になってしまいがちである。



選手に対するリスペクトがベースにある解説は、聴く側に安心と信頼をもたらしている。

そして聴いていて気持ちがいいのだ。



3.オフのある解説



「解説をしないという解説」

雄弁で熱い松岡修造ならではの武器なのかもしれない。



修造の解説には、はっきり「オンとオフ」がある。

オフとは「何もしゃべらない時間」のことである。

何もしゃべらないというのは、言葉につまってとか、しゃべり疲れてというものではない。

意図してしゃべらないのである。



今までワンポイントずつコメントしてきたのに

急に数ゲーム連続で無言になるのである。

「ここは黙っていますので観ててください」と言ってから黙るのではない。

何も言わず前ぶれなく急に「ただ黙る」のだ。



修造が誰よりもテニスを愛するからこそ伝わる、沈黙の力。

オフのある解説は、ずっとオンの解説よりも力がある。






誰よりも熱い男、松岡修造。

その彼が熱さを捨てた時、3つの点から解説の質が格段にアップした。

そして試合後のインタビュー。

錦織に対して16秒間、修造は無言で拍手し続けた。画面に修造は映らず錦織のまま。

これは放送事故か。

いや、試合後にまた、あの熱い男が戻ってきた瞬間だった。


 

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