根本席亭ブログ 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記 囲碁の上達方法やイベント情報など、日々の出来事を発信していきます。

2017/11/02

凄ワザ!


昨日書いた「プロジェクト桜」のシンポジウムでは、

NHK凄ワザ!で
実際に使われたアーチェリーの的が貼ってあった。



見ると2つ矢の跡がある。



放送のとおり1投目が9点。

そのあと全視聴者がドキドキして見守ったに違いない状況の
2投目が

ど真ん中の10点だったことの証拠だ。




本当のど真ん中から1cmもずれていない。

風ふく屋外で
70m離れたところから射ってこの精度とは、

素人ながら驚いてしまう。



この凄ワザを生み出す弓具を、これから本気で開発していく4人の

町工場社長たちと、パネルディスカッションで語り合った1時間だった。




201711



「ものづくりはものに思い入れがなければ出来ないですから」



もう10年以上も前から無くなってしまった

「純国産アーチェリー弓具」の復活を夢見る社長の言葉だ。



昨晩のNHK『凄ワザ!』で紹介された弓具を

先週僕は実際に手に取ってみる機会があった。



社長とは7月に大手町のセミナーで対談した縁で

明日船堀で開催されるシンポジウムでモデレータ

やらせて頂くことになったのだ。




ふだん接点のない下町の町工場のひとたち。

そしてものづくりの世界。



囲碁もシニアも関係ないが、なぜかわくわくしている。



プロジェクト桜 http://www.prj-sakura.com/



僕はもとより珈琲が好きだが、詳しくはない。



美味しい珈琲と美味しくない珈琲の違いは、なんとなくわかるが、

豆の種類や挽きかた、淹れ方にほとんど興味がない。



すっと頭に入らないからか。

たとえば豆の呼び名は、国名や地名だったり、山や農園の名前だったり、

それぞれが組み合わされて
いたりとばらばらだ。



「ブレンド」がずっと固有名詞だと思っていたぐらいだから、

生来のものぐさな態度で接してきたといえるだろう。



それがこの半年ぐらいで、少しずつ興味が沸くようになってきた。



その理由は僕の場合「表現」だった。



珈琲では酸味や苦みといった普通のいい方に加えて、

「爽やか」「軽やか」「野性味ある」といった形容詞がつく。

珈琲なのにときに「ナッツのように」「レモンティーのような」

「花のような甘い香り」とくる。




ふだん食事していて「爽やかな苦み」などとはいわない。

しかしあるとき飲んでからメニューに添えられた表現を見て、

「なるほどな」「うまいこと言うな」と思ったのだ。




そして次は、出来ることならその言葉を自分で紡ぎたい

いう思いが沸いてきた。



答えあわせのような、そのむこうにある独自の表現の創造のような。

いま、そんな楽しみの最中だ。



「好きで詳しいもの」に生まれ変わる途中なのかもしれない。


2017/10/26

タイトルの力


最近、タイトルに惹かれて思わず買ってしまった本が2冊ある。



『それでいいのか 蕎麦打ち男』 残間里江子著

『悔しかったら、歳を取れ!』 野田一夫著



「蕎麦打ち男」は予想どおり面白かった。

「悔しかったら」は予想に反して今必要なく、文字どおり悔しくなった。



あらためて「タイトルの力」を体験で学んだことになる。



僕が一昨年上梓した本『目のつけどころはシニアに学べ』は、

最初の本ながらよくこのタイトルが降ってきたと感謝している。




編集者のアドバイスではなく、自分で決めたこのタイトルは、

練りにねったというより、いくつものアイデアを、幾日も頭に浮かべては

消す作業を繰り返していたら、ある日突然
降ってきたものだ。

正直言って偶然の産物だ。




本を読んだ人にはタイトルがいいねと「目のつけどころ」を褒められたり、

そのあと「目のつけどころ」セミナーを
幾度も開催するきっかけにもなった。



あの経験は、タイトルに対する取組む姿勢を僕に教えてくれた。



いま新たに産み出そうとしている2つの事業、

『上達の約束』と『名脇役』。

どちらもタイトルが
気にいっている。



これは事業をやるうえでとても大事なことだと思う。


2017/10/25

モデレータ


来週開催のシンポジウムでモデレータを務めることになった。

江戸川区の町工場で
打ちあわせの午後だった。



https://communicationba.jp/projectSAKURA/



なぜカタカナを使うのかはわからないが、

モデレータとは「盛り上げ司会」だ。



登壇される方は、話慣れているとは限らない。

うまく引き出して会場全体を一つの空気にまとめていく

指揮者でもある。




パネラーは4人の町工場の社長さんたちで、みなそれぞれ熱い。

自分が造った器具で日本人メダリストを誕生させる夢を語っていた。



その夢を会場の聴衆者に届け、心に遺すのが

11月1日の僕の仕事だ。



この家に住んで17年が経つ。

その間、何度蛍光灯を変えたか覚えていない。



しかし、天井の蛍光灯からぶら下がる紐が外れたのは

今日が初めてだった。




せっかくだから、長い紐にして、寝ながらオンオフできるようにしよう。

ものぐさな方向ではすぐにアイデアが浮かぶ。

円形の蛍光灯のカバー外に出ている、レバーに結び付けて準備OK

さっそく引っ張ってみた。




あれっつかない…。



もう一度強めに数度引っ張る。

いつも手に伝わる「明るさの段階」がない。



さては何かやってしまったか。紐が外れたときに何かが起きたのか。

そう思ってカバーを外し点検する。


異常は見当たらない。



うーむ。こういう時に人の頭は進化するもんだ。



本当は「いらっ」としている自分を無理やりポジティブに変換して、

違う部屋の同型のものと行き来すること数度。


ようやく原因がわかった。



カバーの外に出ているレバーに単に結びつけるだけではだめで、

そのレバーの奥にある「何か」に紐がつながっていて、


それを引っ張って今まで電気をつけていたのだ。



下から見れば単純にレバーを下げているだけに見えた紐。

17年間、ほぼ毎日何度か使ってきた。

恐らくその回数は
2万回は越すだろう。

しかし一度たりともその仕組みに
思いをよせなかった。



こんな日常の習慣の裏に、思わぬ仕組みが隠れていた。



少し首が痛いが得した気分だ。


2017/10/22

耳の季節


「春は目の季節、秋は耳の季節」



というとおり、秋は虫の音が似あう。

今日は一日中、雨音の日だった。



僕の耳は顔から立って横に広がっている。

耳大きいねと言われるが実はそれほどでもない。



人の言うことを良く聞いて育ったから耳が立った

と信じているが、真相は逆かもしれない。




ところでジョン・ケージという現代音楽家の本で

ある曲の存在を知って驚愕した。



『4分33秒』



試しに「聴いて」みてほしい。

http://mjk.ac/zZwn7f



音とはなにか。



耳がいくら立っていても

もう一度考えなおさないといけないかもしれない。


2017/10/22

手前味噌


今日、妻が味噌づくりのイベントに参加して、米麹、麦麹、

あわせて5Kの味噌を重そうに持って帰ってきた。

食べられるのは半年後だそうだ。



秋から冬にかけて味噌づくりのシーズンなのは、農作業が

一段落した季節に味噌を仕込んだ名残らしい。



最近みなくなったササニシキは、水分が少なくごはんとしての

需要は減ったのだが、味噌づくりにはぴったりだという。



そんな仕入れたばかりの話をしながらも、味噌の出来栄えには

自信がありそうだった。



そういえば、僕もいま仕込んでいるものがある。



来月から始まる『上達の約束』。囲碁界初の上達保証付プログラム。

https://peraichi.com/landing_pages/view/jotatsu-promise-igo



こちらも「手前味噌」ながら、味には少々自信がある。


2017/10/21

石榴の街


果物好きの僕が1年に1度食べるかどうかというものがある。



石榴(ザクロ)だ。



ジュースはたまに飲むが、トウモロコシみたいな実を

一粒ずつ食べることはあまりない。




そしてあの独特の甘酸っぱさは、久しぶりに出会うと

一瞬でお気に入りに入る力がある。



先日テレビでスペインのグラナダを紹介していた際、

町中いたるところにザクロのマークがあった。



果物屋のおばさんが、ザクロを持ちながら自慢気な表情で話しはじめる。



「グラナダは堅い守りのイスラムを破って作られた街だから、

ザクロのマーク(硬い皮が一部めくれている)
なのよ」



「ザクロの実はどれでも365粒なの。知ってた?」



こういうおばさんに旅行中に出会ったら得した気分になるだろう。



あとで調べたら、グラナダとはスペイン語でザクロのこと。

この地に元々ザクロの木がたくさんあったかららしい。

あのおばさんは何も言ってなかったが。



さて、今週末は旬のザクロを探しに出かけるとしよう。


2017/10/17

見舞いの仕方


「もう誰も癌のこと言わないのよね」



伯母がぽつりと呟いたのが耳に残っている。



都立病院の緩和ケア病棟に入って1ヶ月半。

今日は2度目のお見舞いに母と一緒に訪ねた。



ここは末期がんの方だけが22名入っているフロアで、

他のフロアと比べて時間と空気がゆっくり
流れている。



母と伯母は、今日もいつもと変わらず株の話や選挙の話で

盛り上がっていた。



残り時間がそう長くないのは本人もわかっている。

そんな中、どうお見舞いしていいのかわからない。



そばで話すひとときを、かわした会話を、

大事に心にしまうしかないのだろう。


 

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