根本席亭ブログ 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記 囲碁の上達方法やイベント情報など、日々の出来事を発信していきます。

2018/01/14

大切な1時間


子供の頃はいつも、早く終わらないかなぁ

それは「耐える時間」だった。




大人になって、耐える時間から「過ごす時間」にかわった。

儀式として理屈ぬきで必要なものは
歳とともに増える。



最近は過ごす時間から「想う時間」にかわってきた。



通夜と告別式2日間で合計1時間はたっぷりお経を聞く。



その言葉の意味は耳をすまして聞いてもわからない。

だが1時間は、集中してその人を想う時間としてちょうどいい。



同じように想う人といっしょに過ごすがゆえに、

これから想い続ける始まりとして大切な1時間となる。



どんな時も明るく味方してくれた。

47年間、甥としての実感だ。



一昨日、伯母が亡くなった。

2ヶ月半が平均の緩和ケア病棟で4ヶ月以上がんばった。

だが平均寿命まであと干支一周分残っている。早すぎる。



まんなかの母を含め、たまにおしゃべり三姉妹が揃うと、

展開が読めない掛け合い漫才が始まった。

みなが集まる正月やお盆の密かな楽しみだった。



8月の終わりにお見舞いにいったとき手紙をくれた。

4枚の便箋にぎっしりと思い出と想いが綴られていた。

僕は47年間ずっと「あっちゃん」だった。



伯母は30年前に20歳の娘を交通事故でなくしている。

親が子を供養する逆縁は世の中で一番つらいとされる。



今頃あちらで再会しているだろう。

そう思うとき、少しほっとする自分もいる。



伯母さん、ありがとう。


2018/01/05

ブログの力


このタイトルだとふつうは「ブログの影響力」、

たとえば、ブログで〇〇が広まったとか、

□□から嬉しい話がきた、をイメージする。



筆者もそれを期待したいところだが、残念ながら違う意味の力の話だ。



このブログを続けて読んでいる方(感謝です!)は記憶にあるだろうか。



今年はまだ身体を壊していないから心配だ、

などと生意気を
ブログに書いたら、翌週見事に壊れてしまった。



11月は米寿の方に飲みに誘われ、

12月は誰からも忘年会の誘いが来ないなか、

唯一5歳の姪っ子からクリスマスに呼ばれたことも

嬉しさのあまり筆がすべった。



そのとき、これからきっと88歳と5歳の間からも誘いがあるだろう、

と希望をこめて結んだのだが…



なんとそのブログのあと、47歳(88歳と5歳の丁度中間!)の

高校の同級生からランチの誘いがあったのだ。

頻繁にあっている友人ではない。27年ぶりだ。



いったいどんな話になるのか。



まぁ男子校6年間も一緒に過ごした仲なので、

四半世紀やそこら
まともに話をしてなくても、

一瞬で昔に戻って話が弾むにちがいない。




と、ここに書いておけば、明日はそうなるだろう。


2018/01/03

静かな活躍


最近テレビをつけると「静かな番組」に

チャンネルをあわせることが多くなった。



タレントや俳優が少々大げさにコメントする番組は避けてしまう。


加齢に伴う自然現象なのだろう。



元旦の朝、NHKをつけていると、好みの静かなトーンで

ある番組が始まった。




『2時間でまわる伊勢神宮』



飽きさせないスピーディーな展開と

元旦らしい厳かな雰囲気に魅かれて、

お雑煮とおせちを食べ終わったあとも最後まで見続けた。



番組が終わり、さてテレビを消して年賀状をとりにいくかと

立ち上がったそのとき、
エンドロール最後の

「統括ディレクター」
のところで目がとまった。



3歳年下の大学テニスサークルの後輩だった。

NHKで数少ない女性ディレクターとして頑張っていることは

知っていたが、
元旦朝の番組を任せられるとはびっくりだ。



嬉しくなって早速メールした。

番組をつくりながら私自身も色々と学びました、

とすぐ返信がきた。



普段は気に留めることもない番組のエンドロールに

「静かな活躍」が
隠れていることを知った。


2018/01/01

大福梅


今年の元旦の朝は『大福梅』から始まった。

京都の北野天満宮で配られる正月の縁起物だ。



境内には50種1500本もの梅があり、

毎年2-3トンとれる梅を樽で塩漬けたあと

天日干してつくられる。



元旦の朝のお茶にいれて招福息災を祈願する習慣は

平安時代から続いているという。




伏見にお住まいの石音メンバーの方から送って頂いた。



ゆっくり飲むにつれて梅の酸味と塩気が強くなり、

自然と背筋が伸びて身体が
目を覚ました。



素敵な贈り物で始まった2018年。

感謝の気持ちでスタート出来て幸せだ。


大福梅


2017/12/30

旅の醍醐味


それは道の奥にひっそりとたたずんでいた。



よく来たね。今日はあなたたちが初めてだよ。

そんな声が聞こえてきた。



さきほどまでの曇り空は知らぬまにどこかにいって、

ちょうど陽光が降り注いできたからかもしれない。



湖南から近江八幡への道すがら、信号待ちの際に

道ばたの小さな看板に目がとまった。



―国宝大笹原神社500



ん?国宝!?



この2文字に目がない僕は慌ててハンドルを右にきった。



ガイドブックは3冊、隅々まで目を通したが

ここに国宝があるとの情報はない。



半信半疑のまま、県道から脇道に車をゆっくり走らせる。

ほどなく森の中に小さな駐車場があらわれた。車は1台もなかった。



車を降りて鳥居をくぐった瞬間、つれが声をあげた。

足先から「びびっと」きたらしい。

説明をみると『須佐之男命』とある。厳しい神様だ。



僕らは誰もいない境内にはいった。

室町時代からたたずむ本殿は、囲いがあって近くまで寄れないが、

欄間や側面にほどこされた彫刻の見事さを
双眼鏡で楽しんだ。



神聖さや絢爛豪華さ、荘厳さとも違う、

いままで出会ったなかで一番静かで素朴な国宝だ。



信号で止まらなければ生涯ここに来ることはなかっただろう。

そんな幸運に出会えるのも旅の醍醐味の一つだ。




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湖北の向源寺で国宝の十一面観音に向いあったとき、

解説の
お寺の方から伺った話が心に残った。



この観音様は10年ほど前、東博に出品したが

そのときは仏像ではなく、美術品にして出したという。



えっ何が違うの?



僕の疑問に丁寧に答えてくださった。



仏像はお寺から出すことはできない。

だから性根を抜いてから運び出す。



性根を抜くとは仏像の魂を抜くことで、仏像にむかって

お経を読む作法
のようだ。それを経て仏像は美術品となり

お寺を出られる。



仏像のお顔や身体を掃除するときも

性根抜きは欠かせないという。



仏像は出来る限りそのお寺で会いたい。

いままでその思いを強くもっていたが、

一つの答えをもらった気がして嬉しくなった。



僕は美術品ではなく仏像に会いたい。



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男はつらいよ第47作『拝啓 車寅次郎様』の舞台となった

滋賀長浜にやってきた。




寅さんの甥満男と菜穂さん(牧瀬里穂)が歩いた大通寺参道を歩き、

名物の「焼鯖ソーメン」
に舌鼓をうち黒壁エリアの散策を楽しんだ。



天気はあいにくみぞれまじりの雨で、楽しみにしていた竹生島への

クルーズも運行休止
だったが、長浜のあとは湖北エリアのお寺巡り

(向源寺、石道寺、鶏足寺、木之本地蔵院)を楽しんだ。



年末のシーズンオフで荒天ということもあり、

彫刻史上最高傑作といわれる向源寺の国宝十一面観音像をはじめ、

四カ所どこも
貸切状態で、係の人から30分つきっきりで

説明を受ける幸運に恵まれた。




寅さん


2017/12/23

似たもの同士


間もなく4回目の年男となる。そう、僕は戌年だ。



しかし今までの人生、犬とは全くといって接点がなかった。

苦手意識は特にないが、
飼いたいとか、かわいいといった感情を

もったことはなかった。



今日、つれの姪っ子に自宅に招かれたらペットとして届いたばかりの

生後3ヶ月の子犬がいた。トイプードルとマルチーズのハーフらしい。



5歳の女の子に、
だっこしてごらんと言われて、恐る恐る抱いてみる。

慣れていないので不安定感抜群だ。




「似たもの同士だね~」



というつれの台詞に気の利いた返しをする余裕もない。



しかししっぽをふりながら喜んでいる様子を見るうちに、

かわいいなぁと素直に思った。




動物のお腹をかかえると、当たり前だが鼓動や呼吸が手に伝わってくる。

生き物と
触れ合うのは久しぶりだが楽しくなってきた。



2時間後、ケージの前に陣取り、子犬の一挙手一投足を

じっと観察する僕がいた。




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2017/12/22

よいお年を


この挨拶をする機会が増えてきた。



次に会うのは新年、という時だけ期間限定で登場する

この言葉の
響きは結構好きだ。



発する自分も「よし、いい年を迎えるぞ」と気持ちが前向きになる。



そういえば今年の元旦、実家でのことを思い出した。

4歳になったばかりの姪っ子を隣家に挨拶に連れていった時、

彼女は堂々と挨拶をした。




「よいお年を!」



そのあとに省略されている言葉まで教わらなかったのだろう。

思わぬ視点に周囲の顔がほころんだ。


 

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