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2018/02/10

ライバル登場


先日少し触れたが、

将来自宅で小さな囲碁教室を開くつもりだ。



その名は『自画自賛』。



自分なんてまだまだ、と謙遜がいきすぎて

自信を持てない人が多いなか、

自分の碁を自分で褒めちゃうぐらい

力を抜いて楽しんでほしいと思っている。



最近ライバルを見つけた。



その名は『自家自賛』。



1985年発刊、住友林業の「ちょっと自慢のわが家の実例集」。

うまいネーミングだ。内容も素晴らしい。



僕はまだ構想段階、しかもひねりがない。

先方はひねりも32年の歴史もあって、とてもライバルとは言えない。



いや、そんなことはないか。

こちらも名前のとおり、堂々とライバル視していこう。



ひねりを頂いて『自碁自賛』もいいな。


2018/02/08

選んだあと


持ち時間の制限がある対局で、

僕はしばしば時間切れギリギリに追いこまれる。

決断力があるほうだとは思わない。



囲碁でABか着手に迷ったときは、2つのことがいえる。



1つは、ABが浮かんだのが今の実力だ。

もう1つは、AでもBでも迷っているのだからどちらでもいい。



後者は、迷うのに時間をかけるのではなく、選んだあとに

時間とパワーをかけて、その決断を輝かせろということだ。




先週僕は人生で一番大きな買い物をした。

現地を見て30分後に決断した。



これが吉と出るかどうかは、選んだあと、

つまり今週からの自分にかかっている。



そう思うと責任重大だ。



50年後の自分に対して。


2018/01/30

負けるが価値


先日3度目からリピーターと呼ぼうという話をしたが、

そもそも1度目がなければ
その先もない。



その
1度目の演出で大きな役割を果たすのは「名前」だ。



有名な恵比寿の和食『賛否両論』はうまいネーミングと思う。



響きの中に多少のマイナスイメージがあっても、

堂々と宣言されると
マイナスがすっかり消えて記憶に粘る



『大絶賛』より『賛否両論』のほうが気になる。

ということは、
名前は負けるが勝ちなのか。



うちの近所に最近『自意識過剰』という居酒屋が出来た。

うるさいオヤジが焼き鳥焼いていそうで、一度会いにいきたい。



じつは僕も、将来、自宅で小さな囲碁教室を開きたいと思っている。

名前もひそかに決めている。




囲碁教室『自画自賛』



作戦はあたるだろうか。



名前負けしないように

とりあえずこのブログから練習をはじめておこう。



リピーターという言葉は2度目でも使われるだろうが、

本当は3度目以降
が正しいのではないだろうか。



と勝手に思っている。



飲食店では、この3年間で1度だけ行った店が全体の半数ぐらい。

残りの半数のうち、2度だけ行った店と3度以上行った店は

前者のほうが少し多い感触だ。




僕には「3度目の壁」は「2度目の壁」より高くそびえている。

リピーターは3度目から、の理由である。



一昨年からラジオや講演、新聞など、

人前で話したり書いたりする機会を
わずかながら頂いてきた。

まだ仕事と呼べる柱には
ほど遠いが、何度か「2度目」のお誘いもあった。



しかし「3度目」はまだない。



もう1ヶ月近く過ぎてしまったが、

もし間に合うなら今年の目標にこっそりいれておこう。



*FMヨコハマ(2016/1/18 12分)


http://initial02.from.tv/download/20160118.mp3

 


2018/01/25

耳が傾いた話


面識が全くない人よりも、一度でも会ったことのある人の

ほうが耳が傾くというのは事実だろう。




最近話題になっているこんなニュースに目が留まった。



「首都圏大雪時の間引き運転は逆効果」

http://toyokeizai.net/articles/-/205736



自然だからと諦めムードになりがちの現状に一石を投じている。

利用者として拍手喝采したい。




執筆の阿部さんはJRに長年勤務したあと

珍しい「鉄道ベンチャー」を立ち上げた人だ。



僕が運営サイドで参加して司会を務めた

『生涯現役サミット2017』で知り合った。



たまたま隣席となった懇親会で、僕が日頃感じるこんな疑問

をぶつけたところ、思いのほか意気投合し
た。



「なぜ月曜終電と金曜終電の混雑が倍は違うのに

『平日ダイヤ』にこだわるのか」



僕は利用者として疑問を持ち続けているだけで何もしていないが、

今回の大雪の件もしかり、
彼はプロとして問題提起を続けている。



著書『満員電車がなくなる日』は

小池都知事が
推薦したことでも話題になった。



彼の姿勢を見習いたい。



本当に日本語が読めるのか、は一旦置いておこう。



5日前(1/19)のブログ『大きくなったらわかる』を読んだらしい。

こんな返事がサンディエゴから届いた。



―アンクル明、ブログ見たよ。

 
ちょっとドラマチックな書き方ね

 
私ね、本当はわかっているのよ。

 
もう大きいからね!Hahaha~



16歳の姪Hana(写真奥)からだ。



まぁこちらも「十分」大きいので

Hanaがわかってるのはわかっていたが、

それも一旦置いておこう。



―ちょっとドラマチックな書き方ね。



まるでクラスメートにむけた感想ではないか

顔文字つき。しかもその指摘が的を射てる。


31歳年上のおじさんはふつう“ぎゃふん”だろう。



そんな「下からの上から目線」、アンクル明は嫌いではない。

理由を考えてみた。




昨夏の写真をみるかぎり、本当は上下がないのかもしれない。



hanakana


2018/01/22

3歳の記憶


僕は2歳から4歳を山形の米沢で過ごした。

冬は豪雪で家が埋まり、2Fから出入りしていたそうだ。



かすかな記憶がある。

遊んでいる最中、雪の穴に落ちてしまって父に助けられた。

恐らく大きな声で泣いたにちがいない。




写真や伝聞で作られた記憶もあるだろうが、

楽しい最中に突然起きた「悲劇」は記憶の底にたしかにある。



今日、久しぶりに東京は雪景色となった。

二子玉川に住む5歳と7歳の2人の姪は

さっそく自宅バルコニーで
楽しんだようだ。



妹のほうの右足を見ると、この記憶は僕のよりも

もっと確かなものとして
刻まれるだろう。



yuki


2018/01/20

紙に書こう


以前、鎌倉文学館で鎌倉ゆかりの文豪の直筆原稿を

見る機会があった。




芥川龍之介、夏目漱石、川端康成、与謝野晶子。



どの原稿にも削除、挿入、書き直しなど、

苦闘のあとがはっきり浮き出ていた。



完成原稿でこれだとすれば、没原稿はどれほど

クシャクシャになって部屋を埋めつくしただろう。



書いたものを丸めるとき、頭をよぎるふがいなさ、

口惜しさはいかほどだっただろう。



ふと思う。



100年前の作品がいまだ多くの人に愛されている。

では100年後に今の作品が同じように読まれるだろうか。



名作として評価され読まれる作品の量は限られる。

“入れ替え戦”であの文豪たちに勝てるだろうか。



書くという作業が、パソコンに向かって行うのが

あたりまえになって20年が経った。



いま忘れられつつある「紙に書く」が

名作が輝く理由のひとつだとしよう。



半歩でも近づくためにやるべきことは決まった。

明日から僕も「紙に書く」をもう一度日々の営みに戻そう。



このブログは別として。


2018/01/16

イメージ崩壊


「円錐は横から見たら△だが上から見たら〇」



は、
視点をどこに置くか、つまり視座によって結果がちがう

例としてよくつかわれる。



世界史では「大航海時代」という前向きな表現で僕らは習ったが、

侵略された側から見たらあれは「大海賊時代」
だった。



曹操と西太后。悪役のイメージが強い2人を扱った

NHK-BS番組2つを見た。



番組タイトルから「視座をかえればいい人だった」というものを

予想したが、見事に裏切られた。




まず、なぜ悪役のイメージがついたのか、を徹底的に分析して

事実と違う点を明らかにしていく。

新発見の資料
(2009年に発見された曹操の墓や遺骨など)

も真実を裏付ける証拠として登場する。



視座ではなく「イメージを崩して」実像に迫ったのだ。




歴史の真実は視座転換で見えてくる。



僕の頭にこびりついたこんな「イメージ」もいっしょに

この2つの番組は崩してくれた。




*曹操と孔明

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92351/2351715/index.html



*悪女たちの真実 西太后

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3872/2676042/index.html



―ん?結構軽いね。札束ではないようだな。



父はデパートの包装紙に包まれた少し大きめの箱を手にして

顔をほころばせた。




こういう軽口は喜んでいる証拠だ。

半世紀近く息子をやっているとわかる。




父の誕生日は正月気分が少し落ち着く1月3日。

今年は喜寿の御祝いに帽子をプレゼントした。




その日以降、散歩のときはいつもかぶっていると母から聞いた。

先日の伯母の葬儀のときも「どうだい、似合うだろ」と

嬉しそうだった。




実はこの帽子、買うときにちょっとした“事件”があった。



売り場にたくさん並んでいる帽子から1つを選んで会計を頼んだ。

店員は店の奥に新品をとりにいった。その時だった。




―あれっこの帽子だけ安くなっているわ。



ショーケースの上に10個ほど並んでいる帽子の中で

1つだけ値札が安く貼りなおされているのをつれが見つけた。




―色も違うし別のだからじゃない?



この意見はすぐに却下された。間違いなく同じもので色違いだという。

もとより細部への目配りで僕の出る幕はない。




―この帽子だけ“わけあり”なんじゃない?



もっともそうなこの意見もスルーされた。

戻ってきた店員をつかまえてすぐ質問している。




―もうしわけございません。

​ 正しくは先ほど
お渡し頂いたお品物に貼られた値段なのですが、

​ お客様はいまこちらの値段を見てしまわれたわけですので…。




実は数日後に始まる初売りセールの準備品が、なぜか1つだけ紛れていたのだ。



動揺の色が隠せない店員は、いったん上司の判断をあおぎにもどった。

結局父の帽子もセール前ながらセールと同じ値段にかわった。



会計をお願いしている途中で5千円安くなるという事件
は、

庶民のテンションをあげるには十分だった。



―これでさっきのランチが浮いたね~



贈った側にとっても心に残る贈り物になった。


 

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